カルロス・クライバーの1973年「ばらの騎士」全曲ライヴ


R.シュトラウス 歌劇「ばらの騎士」全曲
 C・クライバー/バイエルン国立管弦楽団
 オルフェオ 1973年ライヴ ORFEOR581083
ORFEOR581083
2008年最後のブログ更新になりますので、今年購入したディスクの中でも極めつきともいうべきディスクを挙げて締めくくりたいと思います。カルロス・クライバーの「ばらの騎士」全曲の正規盤。1973年7月13日のミュンヘン公演のライヴで、SACDハイブリッド仕様でのリリースです。

クライバー&バイエルン国立管の「ばらの騎士」の録音は、現在確認されているだけで73年、77年、79年の3種類のものがありますが、このうち正規リリースされていたのは79年の公演のビデオのみです。したがってこれまでCDとして売られていた全曲盤はすべて海賊盤ですが、中でも今回正規リリースされた73年公演のものは、最も多くのレーベルから非公式にリリースされてきた、クライバーの「ばらの騎士」の中でも最も評価の高い演奏です。

実はその非公式盤のひとつを既に持っていて、今回のSACD仕様での正規盤が、その非公式盤との音質とどの程度違うかという比較を行うつもりでいました。ですが、第1幕冒頭の前奏曲を10秒ほど聴いた時点で、もう比べようという気が失せてしまいました。「どの程度違うか」というレベルではもはやなく、はっきり言って次元が違ってます。このオルフェオ盤の音質は想像以上に素晴らしく、前奏曲冒頭のホルン強奏の音色の鮮烈ぶりからして思わずのけぞってしまうほど。おそらくSACD仕様にしたのが大正解で、ソノリティのふくよかな臨場感や強烈な実在感など、非公式盤とは比較を絶していると思います。

この最高音質を背景に、クライバーの指揮により展開される音楽の流れは豊麗を極め、表情形成は絶妙を極め、聴いていてもうこれ以外ないのではとさえ思えるほどに、作品と完璧に調和し切っている感じがします。このオペラならではの愉悦味、洒脱、陶酔、そして苦味が、クライバーの棒により究極的に高められた「ばらの騎士」最高の名演がここにあり、わけても第2幕の終盤、オクタヴィアンとオックスとの決闘場面から終幕のワルツに流れ込むあたりの音楽の表情変化の鮮やかさなど、問答無用に素晴らしいですし、第3幕終盤のマルシャリン、ゾフィー、オクタヴィアンの三重唱のクライマックスは、聴いていて体がとろけるような極限美に包まれ、全曲聴き終えてのひとかたならぬ余韻には筆舌に尽くし難いものがあります。

キャスティング面での特徴は、マルシャリン役に声質が圧倒的に美しいクレア・ワトソン、オックスに名手カール・リッダーブッシュが配されていることで、ともにこの73年公演ならではの配役です。オクタヴィアン役とゾフィー役はそれぞれに「はまり役」ともいうべきブリギッテ・ファスベンダーとルチア・ポップが務めています。

さて、来年は録音・実演ともに、どんな未知の名演に出会えるか、楽しみですね。それでは、良いお年を。

「ベイヌム&コンセルトヘボウ管弦楽団の芸術」


「ベイヌム&コンセルトヘボウ管弦楽団の芸術」
 ベイヌム/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 アンダンテ 1941~56年ライヴ AN4060
AN4060
エドゥアルト・ヴァン・ベイヌムの指揮によるコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏を収録したCD4枚組のアルバムです。このディスクも昨日掲載したジョージ・セルのザルツブルク・ライヴ集と同様、今年になって低価格で再リリースされたのを機に購入したものです。

いずれの演奏も概ねベイヌムのリアリストとしての怜悧な視線の感じられる演奏で、程度の差こそあれ、造型的な格調と内燃的な充実感を併せ持つ独自のスタイルが発現していて、音質を超えた良さが感じられます。

以下、CDごとに感想を記します。

CD1:ドビュッシー 「管弦楽のための映像」(48年)、交響組曲「春」(42年)、交響詩「海」(41年)
このCD1はドビュッシーの作品集としてまとまっています。いずれの演奏もキリッとしたハーモニーの結像感、造型ラインのキッチリした確立ぶりなどが印象的で、録音年代を考えると驚異的な水準と思われます。ちなみにドビュッシーの「管弦楽のための映像」の世界初録音(レコードリリースを前提とする録音)はアンセルメ/スイス・ロマンド管による1949年のデッカ録音とされていますが、このベイヌム/コンセルトヘボウの録音はその1年前。内容的にも、レコードリリースを前提としても問題ない完成度です。戦中録音の「春」と「海」は、さすがにノイズも多く、ドビュッシーだけに聞き苦しい場面も少なくないですが、それでもフレージングや音色の選択において慎重な吟味を感じさせる美演で、聴いていてスタジオ録音かとさえ思えてくるような音楽の締まり具合にも感心させられます。

CD2:①フランク 交響詩「プシシェ」よりプシシェの眠り、西風にさらわれるプシシェ、エロスの園、プシシェとエロス(41年) ②ラヴェル バレエ「ダフニスとクロエ」第2組曲(54年)③アンドリーセン 「苦痛の鏡」(52年、イルマ・コラッシ)④エッシャー 哀悼の音楽(50年頃)
フランクは41年録音にしては音質が上等で、全奏時の響きの肌荒れ具合が惜しいですが、同じ41年録音のドビュッシー「海」(CD1)よりは音響的にしっかりしています。それにしてもベイヌムの指揮はメンゲルベルクとは正反対という感じで、何がしかの対抗意識でもあるのかと勘繰りたくなるほど。ラヴェルの「ダフニスとクロエ」は音質が抜群に良く、聴いていて当時のコンセルトヘボウの管パートの音色の香気が匂いたってくるような美演。逆にエッシャーの「哀悼の音楽」は50年代の録音にしては音質が振るわず、41年のフランクの音質よりも下回る感じです。

CD3:ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲(58年、フランチェスカッティ)、ピアノ協奏曲第3番(52年、ソロモン)
この2つのベートーヴェンに関しては、ベイヌム&コンセルトヘボウのアンサンブルの充実感という点ではヴァイオリン協奏曲よりピアノ協奏曲の方がひとまわり上で、やはり52年あたりがこのコンビのひとつの全盛期だったことが伺われます。もっとも、ソロの魅力という点ではヴァイオリン協奏曲のフランチェスカッティが抜群です。ヴィヴラートをたっぷりかけて各メロディを遅めのテンポで歌い抜く独自のスタイルが、ベイヌムの形成する古典的均整のとれた造形の中で絶妙な表出力を発揮しています。

CD4:①J.S.バッハ ピアノ協奏曲第1番(47年、リパッティ)②モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第4番(56年、メニューイン)③シューベルト 「ロザムンデ」より間奏曲第3番、バレエ音楽第2番(40年)④シェーンベルク 管弦楽のための5つの小品(52年)
リパッティによるバッハのコンチェルトは、録音自体が貴重ですし、演奏としてもリッパティらしい古典的格調豊かなものですが、いかんせん音質がそうとうに悪いです。プライヴェート・レコーディングとされていますが(おそらくエア・チェックものでしょう)、ノイズが多い上にレンジが極端にナローで、音勢も弱いですね。メニューインによるモーツァルトのコンチェルトも56年録音にしてはいまひとつの音質ですが、メニューインのソロが実に爽やか。多少ボッテリした弾き回しですが、表情に屈託がなく、音楽の伸びやかな呼吸感が聴いていて心地よい演奏です。

セル&ドレスデン・シュターツカペレのザルツブルク・ライヴ集


セル&ドレスデン・シュターツカペレのザルツブルク・ライヴ集
 セル/ドレスデン・シュターツカペレ
 アンダンテ 1961・65年ライヴ AN2180
AN2180
このアンダンテ盤はリリース自体は2005年にされていましたが、今年になって低価格で再リリースされたため、それを機に購入したものです。

収録曲は、CD1の方がベートーヴェンのコリオラン序曲、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、交響曲第5番「運命」で、61年8月6日のザルツブルク祝祭大劇場でのライヴ。「皇帝」のソロはニキータ・マガロフ。CD2の方がベートーヴェンのエグモント序曲とブルックナーの交響曲第3番で、こちらは65年8月2日のザルツブルク祝祭大劇場でのライヴです。

ジョージ・セルはスタジオ録音とライヴとでかなり表情形成に差をつける傾向の強い指揮者ですが、このドレスデン・シュターツカペレを指揮してのコンサートにおいても、やはりそういう傾向が強くでている感じがします。

最初のコリオラン序曲からそうで、セルのスタジオ録音に聴くベートーヴェンとは一味違う燃焼力を感じさせる演奏です。手堅さよりも気迫を重視した表情の強さと、ドレスデンのオーケストラの味の濃く、飾らない音色の魅力(ことにホルン強奏の土臭い音色の感触)とが結託し、すこぶる充実した聴きごたえをもたらしています。音質もわりあい良く、モノラルですがこもった感じは少なく、強弱のレンジもまずまず。ただ音量レベルが低めなので、再生時のボリュームは高めに維持する必要があるようです。

次の「皇帝」もパリッとした快演で、オーケストラに関してはコリオランでの充実感がそのまま移行した感じになってますし、マガロフのソロも健康的にして格調高く、フレージングにやや型はまり的な側面もあるとしても、張りのあるタッチから展開される音色自体の魅力が高くて聴いていて惹き込まれるものがあります。

続く「運命」は、内容的には決して悪くないですが、同じくセルのザルツブルグ音楽会における「運命」のライヴである69年のウィーン・フィルとの超絶的名演(オルフェオ C484 981 B)と比較すると、この61年のドレスデン・シュターツカペレとの「運命」のライヴは、率直に言ってかなり落ちる感じがします。確かにアンサンブルの充実感としてはコリオランや「皇帝」に輪をかけて良く、特に金管パートの表出力が抜群で、クライマックスでの強烈な色彩感や濃密感など、スタジオ録音時のセルとは一線を画する凄味を放っていますが、それでも、あのウィーン・フィルとの69年の「運命」での、極限まで張り詰めるような緊迫感には及ばない感じがあり、あちらを基準に考えるとやはり聴き劣るように思います。

CD2の65年ライヴのエグモント序曲も同じで、やはり69年のウィーン・フィルとのエグモント序曲の方が熾烈な感じがします。ドレスデンのオケよりもウィーン・フィルの方がセルの棒に対する呼応力の高い(つまり相性がいい)のかもしれないですが、音質の差も結構大きいような気がします。このアンダンテ盤の音質自体も前述のように悪くないですが、オルフェオ盤はかなり上質なステレオ録音なのでどうしても不利ですね。

最後のブルックナー3番は、冒頭のトランペットがちょっと冴えない感じで心配しましたが、全体的には名演で、セルとしてはいまひとつキメが粗い演奏ながら、伝統色豊かなドレスデンのオーケストラの音色の良さが端的に活かされた味の濃い響きがいいですし、ライヴ時のセル特有の、妥協を許さない張り詰めた表情の形成ぶりも素晴らしい。セルのザルツブルグ音楽祭でのブルックナーは、ウィーン・フィルとの交響曲第7番の68年ライヴもリリースされていて(オルフェオ C704077L)、そちらも名演ですが、このドレスデン・シュターツカペレとの65年の3番もそれと同格の名演だと思います。

ベルティーニ/ベルリン・ドイツ響によるマーラーの交響曲第4番と第6番「悲劇的」


マーラー 交響曲第4番、交響曲第6番「悲劇的」
 ベルティーニ/ベルリン・ドイツ交響楽団
 ヴァイトブリック 2004年ライブ(4番)、1973年ライブ(6番) SSS0074/75-2
SSS007475-2
ウィーン響との5番、9番と同時に今年の1月頃にリリースされた、ベルティーニ指揮によるマーラーのライヴ盤です。4番は超名演、6番は超絶的名演というのが率直な感想です。

両演奏とも指揮者とオケは同一ながら録音時期に30年もの開きがあり、そのためか表情の方向性にかなりの差異があるようです。第4シンフォニーはベルティーニ最晩年の時期のライブで、その表情は圧倒的な幸福感に一抹の苦味が伴ったような清冽なフィーリングに満ち、オーケストラの特筆的な集中力も素晴らしく、聴いていて実直に音楽に浸れるような至純の名演と言い切って良いと思います。

対して第6シンフォニーの方は、何というか現状否定的な色彩に溢れた、熾烈な演奏であり、おおむね現状肯定的色彩の強かった第4シンフォニーの演奏とは感触が全然違っています。

第1楽章は提示部反復がなく、弱奏の中間部を除いてかなりのハイ・テンポをベースに音楽が進行しますが、それはザッハリヒ・スタイルとは一線を画した意思的なハイ・テンポで、そのアンサンブル展開においては濃密感を伴う音響密度が抜群であり、楽章冒頭から打楽器の強烈感を伴う苛烈なアンサンブルの色彩に圧倒されます。

表情の強さも素晴らしく、第2テーマ後半(2:49)での感極まったような猛加速といい、(3:19)でのホルンの常軌を逸したような強奏といい、ベルティーニの主観的な表出力が冴え渡っていますし、展開部から再現部にかけてもハーモニクスのどぎついまでの色彩的なメリハリが、高速テンポの中から鮮やかに浮上しては消えてゆく様が実に凄絶と言うよりなく、コーダのド迫力も、聴いていて総毛立つほど。

第2楽章も同格の充実感が継続し、ティンパニなど打楽器の苛烈な強打がすこぶるつきで、カタストロフな情景展開に拍車をかけています。(11:44)のヴァイオリンの不気味な音彩。第3楽章も全体にベルティーニの棒が冴え、独特の彩りを示してますが、わけても(5:07)からのくだりなど、主旋律のホルンが霞むほどに木管を全力で吹かせているのが印象的で、その真に迫った訴えかけに胸打たれる感じがしますし、後半の強奏起伏も真実味満点で感動的です。

終楽章は第1楽章に輪をかけて苛烈な色合いに満たされ、強奏時のアンサンブルははちきれんばかりの強度で鳴り響いています。驚異的なのはベルリン・ドイツ響の合奏力で、指揮者の要求に完全に応じているだけでなく、演奏ミスがほとんど無い! この難曲を、この年代で、これだけ見事に奏しうるオーケストラのポテンシャルに感服させられますが、それでもハンマーストローク直後の(11:49)あたりなどでは、ベルティーニはアンサンブルが歪みそうになるほどに、極限的な追い込みをかけ、このあたりの、指揮者とオーケストラの、真剣勝負の緊張感にはものすごいものがあります。(22:01)あたりでの血潮のような響きの色彩など 聴いていて身震いしてしまうほどで、終曲時にはもう汗びっしょり。こんな演奏を実演で聴いた日には、本当にどうにかなってしまうような気がします。

ベルティーニ/ウィーン響によるマーラー交響曲第9番


マーラー 交響曲第9番
 ベルティーニ/ウィーン交響楽団
 ヴァイトブリック 1985年ライブ SSS0081-2
SSS0081-2
一昨日に掲載した5番とともに2008年初頭に同時リリースされた、ベルティーニとウィーン響によるマーラーのライブ盤です。

この9番の演奏もその5番のライブ演奏での印象がほぼあてはまるようです。すなわち、アンサンブルの統制感は後年のそれより明らかに荒削りだが、内容的には、後年の様式でのそれに勝るとも劣らない名演であるという点で、5番でのそれと共通するものがあり、マーラーに相応しい音響的強度感、ダイナミクスの強烈な振幅力、メリハリ立ったハーモニクスの色彩的対照性の付与といった、5番の方で示されているベルティーニの個性感はこの9番でも健在と感じます。

第1楽章は冒頭こそやや慎重さが先立ち、(3:01)での金管の隆起などもビシッとしていないので聴いていてちょっと不安でしたが、やがて持ち直し、(7:19)のティンパニの強烈感、(11:30)近辺の見事な強度感、さらには(18:30)での激変ぶりなど、迫真を極め、聴いていて心揺さぶられるようなその表情の振幅力にベルティーニならではの凄味が感じらられる演奏です。

第2楽章はマーラーのごった煮的書式を有りのままに提示しているという風で、スコアに忠実なのに音楽のごった返した感じが凄まじい。第3楽章はいきなり冒頭第6小節でオーボエがフライングしてしまい、以降も局面によってはアンサンブルの線が危うくなる場面も聴かれるものの、この楽章特有の得たいの知れない性急感の表出という点ではベスト水準にあり、終盤からコーダなど、高潮感が並みでないですね。

終楽章はムジークフェラインの残響特性の利がよく活かされていて、重厚で柔らかい音色のぬくもりが絶品です。例えば(8:45)でのチェロの濃密無比な音色、、

ベルティーニ/ウィーン響によるマーラー交響曲第5番


マーラー 交響曲第5番
 ベルティーニ/ウィーン交響楽団
 ヴァイトブリック 1983年ライブ SSS0080-2
SSS0080-2
今年の1月頃にリリースされた、ベルティーニ指揮によるマーラーのライヴ盤3点のうちのひとつです。

ベルティーニのマーラーというと、後年のケルン放送響との全集、あるいは最晩年の都響とのライヴと、いずれも細部を徹底的に練り上げる、職人気質的な流儀に基づく演奏という印象がありましたが、このウィーン響とのマーラーは、少なくともそれらとは微妙に趣きが異なる感じがします。アンサンブルの統制感が後年のそれより明らかに荒削りな感じで、聴いていていかにも緻密に響きを練り上げているという印象を感じる場面はそれほど多くはないです。

しかし内容的には、後年の様式でのそれに勝るとも劣らない素晴らしいもので、マーラーに相応しい音響的強度感、ダイナミクスの強烈な振幅力、メリハリ立ったハーモニクスの色彩的対照性の付与といったベルティーニの個性感は、荒削りとはいえしっかりと刻印されていますし、ことに音響の強度感に関しては、細部統制が甘いぶんだけ後年の演奏よりも上を行くような局面も聴かれます。例えば第2楽章の(5:34)近辺のチェロの音色の訴えかけなどには肉声的な生々しさが感じられますし、同(8:48)からの主題再帰に聴かれる金管強奏の全開ぶりなども表出力が抜群です。ウィーン・ムジークフェラインでのライヴとされますが、これがもう少し残響を抑えたホールであったらと思うとゾッとするような感じがします。

このライヴ盤はどうやら無編集でのリリースのようで、第3楽章以降でところどころ演奏のキズ(トランペットの音程ミスなど)が耳に付いたりします。やはり完成度的にはいまひとつというところですが、例えば第4楽章のアダージョに聴かれる、飾らないのに美しく、真実味のこもった弦の音色や、終楽章コーダに聴かれるもの凄い情熱のほとばしり等、完成度的なものさしとはまた別の類の美質を豊富に有している演奏だと思います。

広上淳一/新日本フィルの「第9」演奏会



きのうは仕事が取り込んでしまい、ブログを更新できませんでした。11月15日以来の連日更新もついにストップ。やはり年の瀬は時間的に厳しいものがありますね。

そういうわけで、今週はおそらく隔日更新になろうかと思いますが、ひとつご容赦を。

それはさておき、今日はすみだトリフォニーで、ベートーヴェンの「第9」を聴いてきました。広上淳一の指揮、新日本フィルの演奏です。

広上淳一といえば先月、米コロンバス交響楽団の音楽監督の職を任期半ばで辞任した件が記憶に新しいところです。もっとも辞任の原因は例のリーマンショックに端を発する労使交渉のいざこざで、音楽的な理念に拠るものではないとされますが、いずれにしても広上にとって不幸な出来事であることには変わりなく、その広上が一年を締めくくる「第9」のコンサートでどのような指揮をするのか、そのあたりの興味を伴ってコンサートに足を運びました。

プログラムはメインが「第9」ですが、その前にミヒャエル・ハイドンの「クリスマスのパストレッロ」というクリスマス・コンサート用に作曲された作品が演奏されました。「第9」の前座というと昨今ではベートーヴェンの序曲やヴィヴァルディの「四季」あたりが多いですが、安直にそうしないあたりに広上のセンスの良さが伺えました。

「第9」ですが、概ね名演だったと思うんですが、第1楽章に関してのみ広上にしてはいまひとつ内容が薄かったような気もしました。

広上の指揮は端的に正攻法で、全編において変則的なテンポやバランスを選択するようなことはなく、その指揮の主眼はおそらくアンサンブルの内声の埋没を出来る限り抑止し、全奏であろうと弱奏であろうと個々のパートの輪郭線を曖昧なくクッキリと描き切ることにあったように思われます。奇を衒わずにベートーヴェンのスコアの一音一音を誠実かつ丁寧に音化していき、その蓄積によってベートーヴェンの音楽に潜在する本来のダイナミックな書式的迫力をえぐり出すことで、ハッタリを超えた本物の演奏を志向しようというような広上の確たる意志というかメッセージ性が聴いていて伝わってくるような演奏でした。

ただ、第1楽章に関してのみ、上に書いたような広上のアプローチがいささか空転気味であるような印象も否めませんでした。すなわち、アンサンブル内声部に対する尊重がいささか過ぎて、高弦、バス、ティンパニといったあたりの上声や低声に対する抑制が少し効きすぎではないかという感触があり、聴いていて音響的にややちんまりしたような印象を感じました。すこぶるバランスのいいアンサンブル展開ではありましたが、そのバランスを維持した上で迫力面に圧倒的なものを付加するまでには到らなかったという感じがしました。

しかし第2楽章になると迫力的にも格段に冴えが増し、バランスの良さも相変わらずで、ようやく広上の指揮の本領発揮という感じがしました。ハッタリの無い、すこぶる本格的な演奏。それは第3楽章も同様で、途中ホルンが大きく音程を外すアクシデントはありましたが、弦を中心に音楽の流れに淀みがなく、ハーモニーが冴え、その澄んだ美しさはあたかも指揮者の今の心境の現れかとも思われるような、ある種の吹っ切れたすがすがしさを湛えたものでした。

終楽章はやはり本演の白眉で、アンサンブルの音勢的迫力といい音色の表出力といい前3楽章に輪をかけて良く、バランス的にも練り切られていて、この終楽章本来の神々しい色合いが雑味なくストレートに出たような演奏でした。また第1楽章からステージ上でずっと立ちっぱなしだった栗友会合唱団(すみだトリフォニーのステージは奥行きが狭いので、椅子が置けない)の合唱の素晴らしさも特筆すべきもので、オーケストラと合わせて、実演ならではの(どんなに音質がいいCDでも及ばないような)「第9」の音響的醍醐味を十分に堪能することができました。

以上、いろいろ書きましたが、内容的にはやはり聴きに行って良かったと思えるコンサートで、その演奏のみならず、コロンバス響ポスト辞任を余儀なくされ間もないのにこれほどの吹っ切れた表現を成し得た広上淳一の非凡な音楽性に対しても率直に感服させられた演奏会でした。

フェドセーエフ/モスクワ放送響によるブラームス交響曲全集


ブラームス 交響曲全集
 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団
 ワーナー・クラシックス 2007年ライヴ 256469662-6
256469662-6
モスクワ音楽院大ホールでのライヴ録音で、今年の3月ごろにリリースされ、同じコンビによるベートーヴェンの交響曲全集が08年初頭にレリーフからリリースされたのに続く形になりました。

そのベートーヴェンの交響曲全集がユニークな名演だったこともあり、このブラームス全集の方にも食指が伸びたんですが、最初の第1シンフォニーを聴いてみてちょっとビックリしました。前のベートーヴェン全集での表情形成とは全く別物になっていて、同一の指揮者とは思えないほど違っています。

前のベートーヴェン全集はハイ・テンポを主体とする古典的な均整を満たした表情形成でしたが、このブラームス第1シンフォニーでは遅めのテンポを中心に、造型的振幅の激しさを全面に押し出した解釈となっています。極論すれば、前回のベートーヴェンをトスカニーニとすると、今回のブラームスはフルトヴェングラーというくらいの違いです。

第1楽章は主部からスローを基調にテンポを大胆に起伏させ、まるでメンゲルベルクやアーベントロートといった、ひと昔前の指揮者が好んで用いたロマンティック・スタイル。最近ほとんど聞かれなくなった、こういう古風なスタイルを臆面もなく展開していて、ビックリさせられますが、アンサンブル・バランスに関しては古風というより今風で、弦の音幕を管に対して相対的に抑制し、内声の動きを克明にえぐり出し、ハーモニーに複層感を与えようという方針が伺われます。例えば第1楽章の(8:10)のクライマックスや(10:48)あたりなどで管楽器のアクセントの浮き出しが見事に決まっていたり。終楽章ではテンポの振幅にかなり拍車がかかり、ことに(10:32)あたりの極限的なスロー・テンポ。

次の第2シンフォニーは、第1シンフォニーを聴いた後だと拍子抜けするほどオーソドックスな解釈。テンポもそれほど起伏させず、全体に抑制が効いています。第1シンフォニーに比べると穏健というか無難というか、演奏としてはいまひとつ表出力が振るわないようです。

次の第3シンフォニーは少し振幅感が強いですが、ここではむしろ演奏の完成度の低さというか、アンサンブルのバラけ具合が気になってしまいます。特に第1楽章の(7:43)あたりなど、縦の線が合っておらず、バラけていますが、こういうのが結構耳につきます。前回のベートーヴェン全集同様、このブラームスもどうやらノー編集のライヴの一発録りのようですが、マイナー・レーベルの前回はともかく、今回はメジャー・レーベルのワーナーですし、直すべきところは直しても良かったのでは、、、

最後の第4シンフォニーは最初の第1シンフォニーでのそれに近い大胆な造型振幅で、演奏の完成度、アンサンブルの充実感ともに本全集のベストと感じます。ことに終楽章はテンポ・レンジの広さが演奏の表出力に直結していて強い吸引力があり、傾聴させられます。

フェドセーエフ/モスクワ放送響によるベートーヴェン交響曲全集


ベートーヴェン 交響曲全集
 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団
 レリーフ 2004~06年ライヴ CR991089
CR991089
今年の春先にリリースされた、ヴラディーミル・フェドセーエフとモスクワ放送響(現在はチャイコフスキー交響楽団と改称)によるベートーヴェンの交響曲全曲ライヴ盤です。録音年は4番が05年、9番が06年、他はすべて04年とされます。

ロシア系指揮者&ロシアのオケによるベートーヴェン交響曲全集としては、07年リリースのプレトニョフ/ロシア・ナショナル管に続くものとなりますが、このフェドセーエフ盤はプレトニョフ盤の演奏と比べると造型的には全体に正攻法。もちろんプレトニョフ盤の演奏はすこぶる変則的というかキテレツ的な感じで、造型形成において聴いていてドキリとさせられるような刺激の強い表現でしたが、このフェドセーエフの演奏では少なくともそういう側面は薄く、概ねハイ・テンポを中心とする造型安定度の高い表現です。むしろ注目すべきはそのアンサンブルの荒びた迫力と熱気の高さの方で、この点においては近年めずらしいくらいの特徴を帯びているように思います。

全9曲においてのベスト演奏は「英雄」と言い切っていいと思います。というより、CDの収録順序がこの「英雄」から始まっていたのでまずそれから聴き始めたんですが、その演奏の充実感に驚かされました。推進力抜群の高速テンポの上に展開される熱気を孕んだアンサンブルの強烈な音響展開が素晴らしく、時につんのめりそうになるくらいの全力疾走でありながら常に音色に強度感が絶えず、その音楽の熱気は、まるでアマチュア・オーケストラの一発勝負的なノリすら感じさせものです。

このベートーヴェン全集はどうやら本当にライヴの一発録りのようで、音程外し等の演奏ミスが編集によって修正されていません。そういうこともあってか、演奏の雰囲気が良い意味でのアマチュア的で、プロ・オケ的なルーティンなムードが低く、それがユニークでフレッシュな感興をもたらしているように思われます。

とはいえ、全9曲すべてが名演かというと必ずしもそうでなく、結論から言うと「英雄」が突出的にいいです。他の8曲も「英雄」なみのアンサンブル展開で行ってくれれば良かったんですが、やはりライヴの一発録りである上に録音時期がバラついているためか、アンサンブルのコンディションにちょっとムラがあるようです。

演奏内容として「英雄」に次ぐ水準にあると感じたのは7番、4番、2番。逆に、「運命」と「第9」は充実感がいまひとつ。ハイ・テンポをカバーするだけの凝縮力がアンサンブルから捻出し切れず、「英雄」に比べて音響の密度が明らかに薄くなってしまってます。

ちょっとユニークなのが「田園」で、速いテンポをベースにアンサンブルの縦の線をカッチリさせずに余裕を持たせることで、独特のステップ感が出ていて、それが音楽の愉悦味に巧妙に照応するような演奏。多少セカセカした感じもあり、ベートーヴェンとしては軽いという意見もありそうですが、こういう表情は聴いていて面白いと思いました。

今年も残りわずか


ここ1週間に渡って掲載してきました特集・「バイロイトの第9」はこれでひと区切りしましたので、再びCD感想記の方へ戻りたいと思います。

ただ、今年も残り10日あまりと押しせまってきたことですし、この一年を振り返ってみるという意味で、とりあえず明日から年内いっぱいまでの更新では、おもに今年の上半期に購入したCDのうち、本ブログの感想記に未掲載のもので、かつ印象深い演奏をいくつか取り上げてみたいと思います。

今のところ考えているのは、フェドセーエフのベートーヴェンとブラームスの交響曲全集とか、ベルティーニのいくつかのマーラーのライヴ盤あたりですが、他にも、年が変わる前に感想を書いておきたいCDを優先的に取り上げるつもりです。

「バイロイトの第9」その5:オルフェオ盤(2)


ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」
 フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団
 オルフェオ 1951年ライブ C754081B

昨日の続きです。

まず第3楽章に関してですが、このバイエルン放送局音源ベースのオルフェオ盤は録音バランスがやや高弦よりに録られている感じがします。そのぶん低弦やティンパニといった重低音の迫力がEMI音源ベースの既出盤よりやや落ちるものの、ヴァイオリンなどの生彩という点ではEMI音源ベース盤をわずかに上回り、結果的にはこの楽章において高弦を中心に歌われる2つの主題の訴求力がかさ上げされた感じに聴こえるため、フレージングにひとまわり深みが増したような印象を受けます。

次に終楽章に関してですが、このオルフェオ盤の演奏においては、この「バイロイトの第9」のいくつかの決定的な特徴が消失してしまっているため、感銘の度合いとしても、これまで聴いてきたEMI音源ベースのバイロイト盤のそれに及ばないように思えてしまいます。

具体的に言うと、まず歓喜主題提示直前の長い「間」が、テープ編集のために消えています。あの神秘的なパウゼはこれまで「バイロイトの第9」の代名詞のようなものだったのですから、かなり違和感があります。

そして、「バイロイトの第9」のもうひとつの代名詞ともいうべき、コーダでの常軌を逸したアッチェレランドも、残念ながらオルフェオ盤の方には消失しているようです。これは双方を聞き比べてみれば明らかで、EMI音源ベースの既出盤の方がアッチェレランドがはるかに壮絶です。

上に挙げた2点のうち、前者はテープ編集上の問題ですが、後者は演奏上の問題で、このコーダ以外においても、全体にオルフェオ盤の方は既出のEMI音源盤より表現がひとまわり穏当な感じが拭えません。例えばオルフェオ盤終楽章(5:40)からの歓喜主題全奏なども、その直前での加速がEMI音源盤と比べるといかにも大人しく、インパクトが弱いですし、他の局面においても、テンポ変動のダイナミクスやフォルテッシモでの燃焼力といった点で、EMI音源ベース盤に遜色する場面が多い気がします。

こういう観点から、昨日書いたように、このオルフェオ盤の方の演奏は、ゲネプロではないかと感じました。もっとも、このオルフェオ盤の音質が、グランドスラムやオタケン、ミソスなみの水準だったら、また印象が変わってくるかもしれないですが。

以上のようなわけで、「正真正銘のバイロイト盤」というのはちょっとマユツバな気がするんですが、そうはいっても演奏自体の素晴らしさという点では、疑いなくフルトヴェングラーの「第9」の録音の中でも屈指の名演と思われますし、こういう録音が日の目を見たことの意義には計り知れないものがあると思います。

「バイロイトの第9」その5:オルフェオ盤(1)


ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」
 フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団
 オルフェオ 1951年ライブ C754081B
C754081B
最後のオルフェオ盤ですが、最後まで書き切れませんでしたので、今日・明日の2回に分けます。

このオルフェオ盤は、いわゆる「バイロイトの第9」として知られる演奏を、バイエルン放送局が実況中継した際に使用されたとされるテープから復刻したディスクです。

これまでのEMI音源ベースのバイロイト盤はEMIによる恣意的な編集の形跡が随所に認められていたため、このバイエルン放送局音源ベースの演奏こそが「正真正銘のバイロイト盤」であるとして大きな話題となったことは周知の通りです。

ですが、このバイエルン放送局音源の演奏が本当に本番のものかどうかは、各方面から疑問が提起されているところで、これは実は本番前日のゲネプロ演奏のものではないか、という説も、かなり有力です。

もちろん真偽のほどは分かりませんが、私の印象を率直に言うと、このオルフェオ盤に収録されている「バイロイトの第9」は、どうもゲネプロ演奏のような気がします。その理由は、演奏から受ける感銘の度合いが、これまでのEMI音源のものを下回るような感じがするからです。

とは言うものの、実はそこには音質の問題が絡んできているため、演奏自体の純粋な感銘としてはどちらが上かという判断は、実際かなり微妙なところです。

どういうことかというと、このオルフェオ盤(輸入盤の方です)のリリース時期は2007年の暮れだったんですが、ちょうどその直前に、間の悪いことに、昨日取り上げたバイロイト第9のミソス盤がリリースされてしまいました。これはもちろんEMI音源のものですが、そのミソス盤が超高音質であったことは、昨日書いたとおりです。

したがって、そのミソス盤を耳にした後では、このオルフェオ盤の音質はいかにも分が悪い印象が否めませんでした。

そこで音質のハンディはとりあえず度外視し、純粋に演奏自体の感銘度として双方の演奏を楽章別に比較してみますと、私の印象だと第1・第2楽章はほぼ同等、第3楽章はオルフェオ盤の演奏がわずかに上、終楽章はこれまでのEMI音源ベースの演奏の方がかなり上、という按配で、総合的には既出のEMI音源盤に基づく演奏の方が感銘度において勝るように感じました。

そのあたりの具体的な違いに関する話も書きたかったんですが、間に合わなかったので明日に回します。

「バイロイトの第9」その4:ミソス盤


ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」
 フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団
 ミソス 1951年ライブ MPCD9017
MPCD9017
2007年の暮れにリリースされたミソス・レーベルによる「バイロイトの第9」です。CD2枚組でのリリースで、2枚目のディスクにはフルトヴェングラー/ベルリン・フィルのシューマン交響曲第4番のスタジオ盤(1953年録音)がカップリングされています。

ミソス復刻CDでは、フルトヴェングラーのブラームス4番(ティタニア・パラスト・ライヴ)の音質の良さに仰天させられた記憶が新しかったので、この「第9」にもかなり期待していました。また「バイロイトの第9」では既にグランドスラム盤、オタケンの再リリース盤という高音質復刻盤があるので、それらと
比べてどうだろうかという興味もありました。

それら既出盤との聴き比べの結果も含めて、このミソス盤の印象を端的に述べると、確かに音質面では抜きん出ているものの、鑑賞上の問題がいくつかある、というものです。

まず音質ですが、印象としてはグランドスラム盤、オタケン盤より一回り上という感じがします。グランドスラム盤での腰の強さとオタケン盤での鮮明感とを併せ持ったような感じで、復刻水準としては確かに驚異的なレベルだと思いました。

ただ、既出の2盤と比べて圧倒的にいいというほどでもなく、その意味で、かつてグランドスラム盤を聴いたとき、既出盤との次元の違いに大感動したようなインパクトはここには薄いです。

問題点の方ですが、大きく3点あります。①スクラッチ・ノイズの多さと②終楽章が別CD収録である点と③終演後の拍手の収録が無い点です。

①ですが、これはおそらくLPからの音採りの際に極力ノイズ除去を控えているためと思われますが、場面によってはいささか耳障りに感じられます。第1楽章冒頭の弦の2回目の下降の時にブチッと強烈なのが入ってますし、第3楽章などもかなり大きめです。音質自体が非常にいいので、つい高めのヴォリュームで聴いてしまうんですが、そうするとノイズ音も強調されるため、そのぶんだけ演奏への意識の集中が阻害されるよう恨みがあります。

②ですが、このミソス盤は前記のようにCD2枚組でのリリースなんですが、具体的には「第9」の第3楽章までがCD1に、終楽章とシュマ4全曲がCD2に収録されています。したがって、「第9」の第3楽章が終わって終楽章に入る前にCDを取り替える必要があります。

しかし、そもそも「第9」の第3楽章と終楽章は極力続けて演奏されるべきものですし、実際フルトヴェングラーもそうしています。聴く方にしても、第3楽章から終楽章に入る際の表情の激変が「第9」の大きな醍醐味のひとつです。

演奏タイムの点でも終楽章だけ分ける必要は無いはずなんですが、それをわざわざしているのは、おそらくカップリングのシュマ4が入っている2枚目のディスクとの収録時間のバランスをとるためとか、そんな理由ではないかと思います。

③については、コーダの例の超絶的なアッチェレランド→拍手というイメージが私の中でほとんど固まっているため、拍手がないと何となく据わりが悪い感じがしてしまうからです。

以上のような理由で、このミソス盤は確かに音質改善面では率直に感心させられましたが、バイロイト盤のクリティカル・チョイスとしてはちょっとどうかなというのが私なりの感想です。

明日は、オルフェオ盤(C754081B)を取り上げます。

「バイロイトの第9」その3:オタケン盤


ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」
 フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団
 オタケン 1951年ライブ TKC-309
TKC-309
「バイロイトの第9」のオタケン・レーベルによる復刻CDで、音質が非常に良いと評判になったディスクです。

2007年にリリースされたCDですが、「バイロイトの第9」の復刻CDとしては、昨日書いたようにグランドスラム・レーベルから素晴らしい音質のものが2005年にリリースされています。

それでは、そのグランドスラム盤とこのオタケン盤とでは、どちらの音質がいいのでしょうか。以下、両者の音質に関する私なりの感想を書きます。

まず双方の復刻方式の違いですが、グランドスラム盤はLPレコードからのいわゆる「板起こし盤」、オタケン盤はレコーディング時のマスターテープからの復刻です。したがってAADのグランドスラム盤に対しADDのオタケン盤ということになります。

ただしオタケン盤の復刻マスターテープはメインのものでなく、予備マスターとされています。この予備マスター・テープは新規発見のものとされていて、復刻の度に酷使され劣化が進んだメイン・マスターと違いほとんど劣化がなく、よって音質も現時点でのメイン・マスター復刻のものより遥かに良い、というのがオタケン盤の高音質の理由とされています。

とするとグランドスラム盤の音質は分が悪いようにも思えますが、実際双方を聴き比べてみると、そうでもないようです。率直に言えば一長一短で、少なくともオタケン盤の方が音質的に上とは単純にはならないと感じます。

具体的には、グランドスラム盤は確かにオタケン盤と比べて、全体的にアンサンブルの解像度という点に一歩を譲り、また高音の抜けの良さという点でも若干ですが引けをとる感じはします。しかし中域を中心とするソノリティの密度的充実感、わけてもフォルテッシモでのズドンとくるようなパンチ力と実在感という点ではグランドスラム盤の方が上という印象があり、またオタケン盤の方は「シー」というテープ・ノイズが割合に高めなのに対し、グランドスラム盤はノイズ・レベルがかなり低く、特に弱奏時の音響の伝達感においてオタケン盤を凌いでいます。

以上が聴いた限りでの主な違いで、結論としては一長一短です。ただ個人的な好みからすると、グランドスラム盤の方に軍配を上げたい気もします。もちろんこのオタケン盤の音質が素晴らしいレベルである点には疑いは無いですが。

演奏以外の収録要素の点では、終演後の拍手は双方ともに入ってますが、オタケン盤の方は演奏前の指揮者入場時の足音及び拍手も入っています。つまりTOCE-6510同様、「足音入り」です。

明日は、ミソス盤(MPCD9017)を取り上げます。

「バイロイトの第9」その2:グランドスラム盤


ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」
 フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団
 グランドスラム 1951年ライブ GS-2009
GS-2009
このグランドスラム盤はいわゆる「板起こし盤」で、レコーディング時のマスターテープではなく、LPレコードからの音録り方式に基づく復刻盤です。

この方式の場合、普通に考えるとマスターテープから直接音録りするよりも音質が劣るようにも思われるところですが、録音から半世紀もの年月が経過すると、老朽化の進んだマスターテープを再生するよりも、保存状態の極めて良好なLPレコードを再生する方が音質的に上回るという、一種の逆転現象が生じることがあるようで、それを復刻手段として積極的に利用するのが「板起こし」と呼ばれる方式です。このため、板起こし盤の音質の良否は必然的に、音録りに用いられるLPレコードの音質状態の良否が決め手とされます。

それでこのグランドスラム盤の音質についてですが、一言でいうと革命的で、これを始めて耳にしたとき、それまでのEMI盤とは比較を絶するくらいの音質の劇的な向上ぶりに震えがきたほどです。

第1楽章冒頭のフォルテからして、アンサンブルの驚くべき肉厚感に思わずのけぞるほどで、これが本当にあのEMI盤での線の細いアンサンブルと同一演奏かと疑いたくなるくらいのインパクトがあります。弦の響きが実に鮮明に色づいていて、トランペットも驚異的に響き渡り、聴いていて惚れぼれするほどです。

しかし、このグランドスラム盤の音質の最大の美点はむしろ、ハーモニーの中域を中心とするソノリティの密度的充実感、特にフォルテッシモでのズドンとくるようなパンチ力と強度感にあるように感じます。このため音楽の実在感が生々しい。この「バイロイトの第9」は、そもそも演奏自体が破格ですが、その破格ぶりをハイ・ヴォリューム再生により直截的に堪能できるという点で、ちょっとこたえられないものがあります。

別にグランドスラム・レーベルの復刻CDがすべて良いというつもりはない(例えば、本ブログの感想記で先日取り上げたフルトヴェングラー/ベルリン・フィルによるティタニア・パラストのブラ4などはあまりパッとしない音質でした)ですが、この「バイロイトの第9」に関しては復刻盤としてめざましい成果を示していると思います。

さらに2007年には、このグランドスラム盤の音質さえも凌ぐかというくらい超高音質な復刻盤であるオタケン盤およびミソス盤がリリースされました。

明日はそのうちのひとつ、オタケン盤を取り上げます。

「バイロイトの第9」その1:EMI盤


ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」
 フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団
 EMIクラシックス 1951年ライヴ TOCE-6510

TOCE-6510

本家EMIによるバイロイト盤です。「足音入り」と呼ばれる録音で、第1楽章開始前にフルトヴェングラー入場時の足音が収録されているものです。

EMIからはこのTOCE-6510以外にも独自のリマスタリングを施したバイロイト盤が数点リリースされていますが、いずれもこのTOCE-6510よりは音質的に落ちるという意見が多いようです。実際聴く限りでも、このTOCE-6510は他のリマスタリング盤よりも音質操作の度合いが控え目な感じで、ソノリティのバランスが良く、確かに一定の迫力と臨場感が確保されていて、少なくともひと昔前までは、バイロイト盤の中でも高音質なものとしての存在感を保持していたCDです。

しかし現時点においては、その音質も必ずしも満足できる水準ではなくなってきています。

特に近年においては、ヒストリカル録音の復刻を専門に手がける複数のレーベルから、それこそ目の覚めるような高音質のバイロイト盤が次々にリリースされている状況にあり、それら一連の復刻盤と比較すると、このEMI盤の音質面での弱さはやはり如何ともし難いものがあるようです。

端的にはフレージングの線の細さ、ハーモニーの肉厚感の薄さ、音色の強さ、響きとしての実在感の弱さ、といった、フルトヴェングラーの多くのEMI盤に共通する音質面での弱点が、やはりこのバイロイト盤においてもそれなりに顕著で、この音質では、演奏自体がとてつもないものであることの気配を伺わせるまでが限界なように感じられます。ひと昔前までの、少なくともEMI盤以外の選択肢がなかった頃には、あまりそういうことは感じませんでしたが、いくつかの高音質復刻盤を耳にした現状で、このEMI盤をあらためて聴き返してみると、やはりそういった印象が否めないところです。

ちなみに、EMIからリリースされているバイロイト盤の中で、最高音質ではないかと思われるディスクのひとつとして、2002年にイタリアEMIからリリースされたベートーヴェン交響曲全集(5741732)に含まれているものが挙げられると思います。

5741732

これはリリース当初からその音質の良さが大評判となったセットで、私の印象としても、「英雄」、「田園」、7番あたりの音質の見事な向上ぶりに驚かされたものです。ただ、「第9」に関しては、確かに一定の音質向上ぶりは伺われたものの、他の8曲でのそれと比べると控えめで、少なくとも劇的な向上とまでは思えませんでした。

そして、まさにその劇的な音質の向上を、このバイロイト盤の録音において強力に実感させられたのが、2005年リリースのグランドスラム盤です。

明日はそのグランドスラム盤を取り上げます。

特集・「バイロイトの第9」


今年も残り3週間を切って、コンサートホールでは「第9」の演奏会の比率が飛躍的に高まる時節に差し掛かりますね。

それに合わせて、というわけでもないんですが、明日からしばらく、CDで聴ける「第9」の最高峰ともいうべき「バイロイトの第9」のいくつかのCDを取り上げて、それぞれの感想を書いてみようと思います。

もっとも、演奏自体に関してはもはや語り尽くされた感もありますし、感想といっても、ここでは主として音質面の話になると思います。

取り上げるCDとして予定しているのは、以下のものです。

①EMIクラシックス盤(TOCE-6510)
②グランドスラム盤(GS-2009)
③オタケン盤(TKC-309)
④ミソス盤(MPCD9017)
⑤オルフェオ盤(C754081B)

①~④はすべてEMI原盤をオリジナル音源とするもので、いずれも「バイロイトの第9」の各種CDの中でも高音質盤として知られるものです。

⑤ですが、これはEMI原盤ではなく、バイエルン放送局が実況中継した際に使用されたとされるテープから復刻されたディスクです。ちょうど昨年の暮れにリリースされ、かなり話題になったものです。

まず明日は、「足音入り」として名高い①のEMIクラシックス盤を取り上げます。

ロジェストヴェンスキー/ソビエト国立文化省響によるグラズノフ交響曲全集


グラズノフ 交響曲全集
 ロジェストヴェンスキー/ソビエト国立文化省交響楽団
 ヴェネツィア 1984年 CDVE04322

今年の8月ごろにロシアのヴェネツィア・レーベルから再発されたロジェストヴェンスキーのグラズノフ全集です。交響曲全8曲がソビエト国立文化省響の演奏で収録されています。それとは別に、モスクワ放送交響楽団と1962年に録音した「バレエの情景」の演奏も収録されています。

実は購入してから数か月ほったらかし状態だったんですが、今月に入ってから少しずつ聴き始めて、今日ひととおり聴き終えました。

ヴェネツィア・レーベルはメロディア原盤の再リリースにおける音質面のクオリティに定評のあるレーベルで、実際、かつてコンドラシン/モスクワ・フィルのショスタコーヴィチ交響曲全集の復刻盤を耳にしたとき、あまりの音質の良さにびっくり仰天したことがあります。

そんなこともあり、このロジェヴェンのグラズノフ全集も音質に期待して購入してみたんですが、おおむね期待どおりという感じです。パリッと冴えた音質で、おそらくメロディア原盤のオリジナルの音質に限りなく近いレベルではないかと思います。

音質もいいですが、演奏もいいですね。ロジェヴェンとソビエト国立文化省響のコンビによる演奏というと、とりわけショスタコーヴィチやブルックナーの交響曲全集において聞かれた、ややエキセントリックなバランスやぎらついたアンサンブルの音色が印象に残っていますが、このグラズノフ全集においても、やはりそういう傾向が出ているようで、金管の派手な突出感、弦楽器のギラギラした色彩の濃さなど、なかなかのものです。

とはいえ、同じコンビのショスタコーヴィチやブルックナーの交響曲全集での演奏ほどは、聴いていて奇矯な感じがなく、むしろこういう特徴が音楽によくフィットしている感じすらします。

グラズノフの交響曲には、本来的にこういうコッテリした味付けがよく合うような気がします。もともと構築的にカッチリした作風ではなく、むしろ旋律的な情緒に端的に訴えるのがグラズノフの作風ですが、そういう情緒的なサイドが、味の濃いアンサンブルの響きによりこよなく増幅されているというような。

特に収穫だったのは、その初期のシンフォニーの魅力に目が向けられた点です。これまで、グラズノフのシンフォニーというと、この上なくロマンティックな4番、英雄的な5番、激情的な6番、「田園」の異名を持つ7番、事実上の最高傑作の8番、以上5曲が傾聴に値する作品という認識で、逆に言うと3番以下の3曲は相対的に軽く見ていたんですが、このロジェヴェンの全集盤では、1番はそれほどでもないものの、2番と3番の演奏が実に素晴らしい。特に3番は超名演だと思います。チャイコフスキー風というようなロマン味の強い曲ですが、その濃密感がハンパでなく、アンサンブルも絶好調。そのむせかえるような響きには聴いていて惚れぼれしますし、表出力においても、これまで聴いたどの演奏よりも上だと思います。

この3番に加えて、6番、それに8番あたりが超名演にして本全集のベスト・スリーと感じました。

ゲルギエフ/ロンドン響によるプロコフィエフの交響曲全集(その3)


プロコフィエフ 交響曲全集
 ゲルギエフ ロンドン交響楽団
 フィリップス 2004年ライブ 4757655

ひきつづき、最後のCD4収録の演奏の感想にいきます。

第6番は、演奏自体はいいと思うんですが、ロンドン響の響きの特性によるのか、聴いていてどこかしっくりこない感じもあり、作品の持ち味を描き切るまでには到らないような印象を受けます。つまり、この曲の場合、やはりロシア的なアンサンブル・バランスが合うのではないかと。

第1楽章の(3:19)からのオーボエ・カンタービレや、(6:35)からのヴィオラのmfモチーフなど、響きの濃さや音色の暗みがもう少し欲しところですし、(10:32)あたりでのホルンの漸強漸弱も、もう少しアクが強いほうが面白いですね。第2楽章の(3:02)からのチェロとファゴットのユニゾンなども、ロシアの(伝統色のある)オケならもっと映える気がします。

第7番は、第6番とは逆に、ロシア臭の無さがかなりプラスになっていると思います。この曲はプロコの7曲の中ではダントツに「わかりやすく」(第1番よりも)、ロシア的なバランスだと過感傷になり勝ちなんですが、ここでの演奏はスコアに則した純音楽的な美質が光り、練れ切った(ライブなのに)アンサンブルの良さも華を沿え、この作品(駄作という評価も根強く、少なくとも第2番と同じ作曲家のものとは思いがたいようなところはありますね)をかなり魅力的に表現することに成功していると感じました。

以上、本全集における一連の演奏をあらためて振りかえると、特に2番と4番(Op.112)のシンフォニーの演奏が一頭地を抜く強印象で超名演、3番と5番の演奏がそれに続く名演、という風に感じました。

ゲルギエフ/ロンドン響によるプロコフィエフの交響曲全集(その2)


プロコフィエフ 交響曲全集
 ゲルギエフ ロンドン交響楽団
 フィリップス 2004年ライブ 4757655

昨日にひきつづき、本全集のCD3に収録の演奏についての感想にいきますが、その前に、そもそも各CDにどの曲が収録されているのか書いてませんでしたので、それを書きます。

CD1:交響曲第1番、第4番(Op.112)
CD2:交響曲第2番、第3番
CD3:交響曲第4番(Op.47)、第5番
CD4:交響曲第6番、第7番

というわけで、昨日掲載の感想記におけるCD1の交響曲第4番というのは、Op.112の改訂版の方です。

そしてCD3ですが、収録曲が第4シンフォニー・オリジナル版と第5シンフォニーとなっていて、ちょうど先週サントリーで聴いた演目と同一です。

そのオリジナル版の第4番ですが、録音としてはレアですし、演奏としても改訂版(CD1)と同格の水準なんですが、やはり改訂版の後で聞くといかにもコンパクトで、ことに終楽章コーダなど改訂版より音楽がかなり落ちる感じが否めません。要するに、先週実演を聴いて感じたことと概ね同じ感想です。

つづく第5番は、第1楽章の(0:38)からのmpの低弦モチーフを強めに鳴らしていたり、(3:57)からのアニマート・モチーフの鋭い音彩といい、展開部から再現部にわたっての重低音の強烈な押しと高音の苛烈な色合いとの劇的な交錯ぶりといい、いずれも素晴らしく、まさに先週の実演でのインパクトを彷彿とさせるものです。コーダ(11:17)あたりでの破滅的なトッティの爆発も、すこぶるつきの迫力。

第2楽章は闊達なフットワークから、重みの載ったパンチの応酬という風のアンサンブル展開。それは第3楽章(6:31)あたりにも当てはまります。終楽章は総じてロンドン響の木管が絶好調、(4:04)からの低音弦のドルチェのコラールを、ppを強調し過ぎない、厚みの載ったボリュームで堂々と奏しているあたりもいい感じです。

CD4についてはまた後日。

ゲルギエフ/ロンドン響によるプロコフィエフの交響曲全集(その1)


プロコフィエフ 交響曲全集
 ゲルギエフ/ロンドン交響楽団
 フィリップス 2004年ライブ 4757655

先週サントリーホールで聴いたゲルギエフ&ロンドン・シンフォニーのプロコフィエフの感想については既に一昨日の当ブログで書きましたが、同じ顔合わせで既にリリースされているプロコフィエフの交響曲全集の録音についても、この機会にひと通り聴き直してみました。以下、曲別に感想を書きます。今日はCD1とCD2に収録の4曲についての感想です。

最初の第1番は、純音楽的な美演という風です。ゲルギエフにしては重低音の強調はおおむね控えめで、オーケストラの洗練された音色の美感と、軽妙なテンポ感に基づく音楽の洒脱味が大事にされている感じがします。フルートのソロがやや冴えないようにも思うんですが、全般には響きの色合いが立っていて、クラリネットなどは優美で味のある音色です。

つづく第4番は、第1番とはアンサンブルの雰囲気がガラリと変わるような感じです。優美で軽妙なムードから一変、かなり重々しく 下卑で粗野なムードがオーケストラから捻出されています。アーティキュレーションは重厚味を増し、ハーモニクスの厚みも段違い。第1楽章アレグロ・エロイコの第1主題の、強和音の強烈なこと! 第2テーマのフルート(3:21)も、第1番の時より響きに冴えが出ていて、一安心。展開部から再現部にかけての音楽の荒びた迫力はここでの白眉で、ガツンガツンとした音響の感触がたまらないですね。中間の2楽章で面白いのは音色の質で、本質的に格調高い響きのロンドン響から、ゲルギエフができるだけ荒々しい粗暴な音色を引き出そうとしている風であり、第1シンフォニーの時とは別のオーケストラとさえ思えるほどです。フィナーレも、弦と打楽器がパリッとしていて、バスも豊かで申し分なし。コーダの最強起伏での、緊迫に満ちた音響の張り!

次の第2番は、第1楽章冒頭のフォルテッシモから、耳を切り裂くような熾烈な響きの色合いがすさまじく、この作品が、プロコフィエフの前衛精神が炸裂した名作であることを再確認させられます。人気が今ひとつなのは、良い演奏が少ないからだと思われますが(録音そのものも少ないですが)、このゲルギエフ盤の水準なら、この曲の真価を伝えるに十分ではないかと。(6:48)あたりの緊迫感など、じつに素晴らしい。第2楽章(20:05)から(第6変奏終盤)のクライマックスの凄いこと!

第3番は、第2番の後に聴くとやや割を食う感じですが、演奏の充実味は並でなく、常に屈強なフォルテの感触、弦楽器の切れ味の鋭さ、管楽器の音色の冴え、ことに(5:45)あたりの、木管と金管の熾烈なハイ・トーンのたたみ掛けの凄まじさ。終盤(8:45)からの盛り上がりの凄絶ぶり。第2楽章以下も、ロンドン響の力感と精度を満たしたアンサンブルの冴えが驚異的ですし、終楽章の再現部~コーダにかけての、世界の破滅のような響きも圧巻ですね。

CD3とCD4に収録の4曲についてはまた後日。

レーピンとナガノ/ハレ管によるプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番他


プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番
&ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番
 レーピン(vn) ナガノ/ハレ管弦楽団
 エラート 1995年録音 WPCS4552

おとといサントリーホールで購入したディスクです。

まず当夜サントリーで聴いたレーピンのソロに関しての感想から書きますが、抱いていたイメージに対して微妙に乖離がありました。かつての、旧ソ連の生んだ神童ヴァイオリニストとして喧伝されていた頃のレーピンというと、それこそ人間業とも思えないくらいの正確無比なボウイングと、そこから発せられるフレージングの切れや強度のインパクトに圧倒的な表現を聴かせるヴィルトゥオーゾというイメージでしたが、当夜の演奏では、確かに技術的には圧倒されるものがありましたが、それに付随するはずのフレージングの切れや強度が、思ったほどに伸びないような印象も伴いました。

神童としてデビューした10代から20代を経て、30代後半の年齢となった今、かつての鋭利な表現力は減退し、それと引き換えにフレージングや音色の感触にある種の円熟味が宿り、全体に熟したヴァイオリニズムという感じで、名演でしたが、その往年の尖鋭さの衰えに対し、聴いていて一抹の寂しさを覚えたのも事実でした。

それに対しこのCDですが、レーピン20代前半の最も脂が乗っていた時期の録音で、サントリーの実演の後で聴いてみると、やはり演奏の表情がずいぶん違う感じがします。同じように万全なテクニックを土台にしながらも、尖鋭にして鮮烈なフレージングの切れ、音色の強い訴求力、いずれも実演時のそれを大きく凌駕しています。第1楽章の展開部の頭(4:27)あたりのボウイングの鮮烈なこと。第3楽章(1:54)からのG線フレーズの表情の強烈なこと。プロコフィエフ晩年の比較的穏健色の強いこのコンチェルトから、これだけの強表情を引き出すヴァイオリンの表現力に、率直に脱帽させられました。

ショスタコーヴィチの第1コンチェルトの方も同じスタイルでの名演です。ただ、この曲には、同じ旧ソ連系のオイストラフやコーガンのソロによる、超絶的な録音が残されていますが、このレーピンの演奏はさすがにそれらを凌ぐほどのインパクトまでは、備わっていないように思われました。

ロンドン交響楽団来日公演の感想記


昨日のコンサートの感想です。

当夜のコンサートの白眉は後半のプロコフィエフ交響曲第5番の演奏で、これは圧倒的でした。

第1楽章の冒頭あたりの低弦モチーフをすこぶる強めに鳴らして堂々と始まり、楽章を通じてフレージングは常に重厚味を帯び、ハーモニーの厚みにおいても充実感が絶えず、16型の大編成オーケストラから展開されるその深々とした響きに端的に魅了されました。さらに展開部から再現部においてはアンサンブルの重低音の強烈な押しと、高音の苛烈な色合いとの劇的な交錯ぶりが素晴らしく、このあたりは聴いていて胸を大きく揺さぶられる思いでした。

第2楽章の充実感も相変わらず、特にティンパニの強烈なことときたらすこぶるつきで、先週聴いたラトル/ベルリン・フィルのそれを遙かに上回る激烈な強打ぶり。これは音楽の迫力にダイレクトに直結し、特に楽章コーダのクライマックスにおいてはホールを揺るがすような苛烈な響きが充溢し、聴いていて鳥肌が立ったくらいです。

第3楽章においては、その緩やかなテンポに関わらず指揮台のゲルギエフのアクションは前2楽章に劣らないくらいダイナミックなもので、指揮棒を持たないスタイルからオーケストラを大胆かつ繊細にコントロールし、その響きの推移と音色の変遷に対し実に複層的なパースペクティブを付帯させ、すこぶる内面的で深みのある表情をアンサンブルが切々と奏でていて傾聴させられました。

終楽章は、冒頭こそ割と気楽な感じで軽やかな足取りで始まるも次第に音楽に重みが増していき、ついには第1楽章のそれをも上回るほどの素晴らしい迫力をもって感動的に全曲を締めくくりました。特にコーダあたりの圧倒的な鳴りっぷりは、おそらくゲルギエフとロンドン響の、このプロコフィエフの交響曲全曲演奏会シリーズの最終局面において有終の美を飾らんというような、気力を尽くした演奏姿勢の端的な現れのように思われ、それが客席にまでジリジリと伝わってくるような迫真の響きでした。

それにしても聴いていて思ったのは、ロンドン交響楽団とはこんなにすごいオーケストラだったのかということで、特にそのバスの充実感には目を見張るものがありました。それがゆえに先週同じホールで聴いたラトル/ベルリン・フィルの演奏よりも今回のロンドン響との演奏の方がむしろドイツ的なバランスに近いと思えたほどです。

アンサンブル配置においても、向かって左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンと並べた変則対向配置で、さらにチェロの真後ろにコントラバスが配置されていました。プログラムの記載によるとこの編成はゲルギエフがプロコを振る際の常套とのことで、ハーモニーの最上声と最低声とをあえて隣接させることにより両者の緊密な連携を可能とすることが狙いとされているようです。このあたり、ゲルギエフのバス重視の音楽造りの例証とも言えそうで、読んでいて肯かされました。

前半に演奏されたプロコフィエフの第4交響曲(オリジナル版)の演奏に関しては、内容的には決して悪くないものでしたが、後半の第5交響曲での演奏の破格ぶりから振り返ると、印象的にはちょっと落ちる感が否めませんでした。そもそもリジナル版自体の魅力が改訂版ほどになく、特に終楽章のコーダなど、改訂版より音楽が少なからず遜色する感じが否めず、第5交響曲と比較しても作品としてのキャパシティが明らかに弱いと思いました。とはいえ、滅多に演奏されない曲なのは確かなので、貴重な体験にはなりました。

ロンドン交響楽団来日公演


今日はサントリーホールでロンドン交響楽団の来日公演を聴いてきました。指揮はワレリー・ゲルギエフ。

プロコフィエフの交響曲を全曲演奏する「プロコフィエフ・チクルス」の最終日で、曲目は交響曲第4番と第5番。それにワディム・レーピンのソロでヴァイオリン協奏曲第2番も演奏されました。

今日演奏された交響曲第4番は、一般に演奏されるop.112の方ではなく、オリジナル版と呼ばれるop.47の方でした。かなり特殊な版で、ゲルギエフ/ロンドン響のCDで聴いたことはありましたが、ナマで聴くのは今回が初めてです。

ゲルギエフは2004年にウィーン・フィルと来たときに聴いたチャイコフスキーの「悲愴」が見事な名演だったので、今回も期待して聴きに行ってみたんですが、内容的には期待以上のものがあったと思います。特に後半の交響曲第5番の演奏の名演ぶりは前回のウィーン・フィルとのそれをも凌ぐかとも思えるほどでした。

具体的な感想については後日書きたいと思います。

それと、休憩時間にロビーで以下のCDを購入しました。

プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番&
 ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番
 レーピン(vn) ナガノ/ハレ管弦楽団
 エラート 1995年録音 WPCS4552

今日の演目盤ということもあり、飛ぶように売れてました。私が買ったのはその最後の一枚でした。

正直買おうか迷っていたんですが、すごい勢いでストックが減っていく状況を目前にし、つい手が、、、

ゲルギエフ/ロンドン響のプロコフィエフ交響曲全集も当然のように販売されていましたが、これは既に所有済みです。

K.ザンデルリンク/ベルリン響によるベートーヴェン「第9」の87年ライブ


ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」
 K.ザンデルリンク/ベルリン交響楽団
 ヴァイトブリック 1987年ライブ SSS0083-2

いよいよ師走ということで、今年リリースされた「第9」のCDの感想をひとつ。

これは旧東ドイツにおける民主共和国会館での演奏で、ベルリン市制750周年記念の祝賀演奏会のライブ録音とされています。

クルト・ザンデルリンクの「第9」としては、他にフィルハーモニア管とのスタジオ録音もあります(disky 1981年録音)が、それとこのベルリン響との演奏とは、同一の指揮者とは思えないほど印象が違っています。フィルハーモニア管との録音は全体に、品の良く晴朗な表情の演奏という趣きで、端正ではあるものの強烈な印象を残すという類の演奏ではありませんでした。それに対して、このベルリン響との演奏は、アンサンブルの表出力がフィルハーモニア管とのそれとは段違いの水準で、内容的にも稀代の名演ともいい得るものだと思います。

第1楽章からたっぷりとしたソノリティの肉厚から繰り出される濃密な音響的インパクトが素晴らしいですが、ここで印象的なのは金管の強い突出感で、古楽器アンサンブルのようなバランスにかなり近いくらいです。しかし弦の編成を絞っている風でもなければ音量を抑えている風でもなく、つまり金管のパワーがものすごいということのようです。

展開部以降の音楽の緊迫度もすこぶるつきで、(7:18)あたりの高弦のギリギリするような律動、再現部直前(8:48)あたりの金管の大胆な強奏! 再現部冒頭もすごい迫力ですが、ここはティンパニをかなり抑えているのがもったいないような気がします。もっと強く鳴らせば迫力もさらに伸びると思うので。逆に金管はあいかわらず絶好調もいいところで、(9:47)あたりでのトランペットなど、やり過ぎなくらいの猛烈な強奏ぶりです。

第2楽章は前楽章で抑えていたティンパニを冒頭から全解放し、素晴らしい強打ぶりが全編を鮮やかに満たしています。第3楽章は弦の表出する得もいわれぬ豊穣な響きが充溢し、それでいて音響的に余分な力みがほとんどなく、テンポは明らかに遅めなのに流れに鈍重さが感じられず、その晴々として格調高い佇まいに思わず傾聴させられます。

終楽章は冒頭のティンパニの激打ぶりが途方もなく、あまりに強烈過ぎて直後のトッティの方が霞んで聞こえてしまうほど。(3:09)からの歓喜主題の弱奏導入も音量がしっかり確保されていますし、以降もコーダまで、テンポの緩急対比こそ控えめながら、端然としたアーティキュレーションを崩さずに造型的な威容が高度に練られ、響きの有機的な膨らみも抜群ですね。すこぶる感動的な「第9」です。

ミュンシュ/ボストン響によるロマン派作品のライヴ録音集(CD4・5)


「ミュンシュ・コンダクツ・ロマンティック・フェイヴァリット」
 ミュンシュ/ボストン交響楽団
 ウェスト・ヒル・ラジオ・アーカイヴ 1951~57年ライヴ WHRA6017

引き続き、CD4とCD5の感想です。

CD4の収録曲はドヴォルザークの「新世界」とリヒャルトの「ドン・ファン」です。ともにミュンシュの正規録音は残されていませんが、ドヴォルザークの交響曲では第8番のみRCAに録音しています。アメリカの名門オーケストラを擁していながら「新世界」ではなく8番を録音するくらいですから、「新世界」はてっきりレパートリーにしなかったのだろうと思っていました。そういう意味では、このミュンシュの「新世界」は本ライヴ集の目玉ともいえそうです。

その「新世界」の演奏ですが、まず音質があまり振るわず、鮮明感こそある程度は確保されているものの、全体にダイナミックレンジがナローで、音響的に平板な感じが否めません。管楽器の音色も総じて冴えず、特に第2楽章のイングリッシュホルンの音色はかなりチープな感じに響き、音色にも潤いが薄く、あまりパッとしません。

ですが、それでもこの「新世界」は名演と感じました。アンサンブルの発する情熱的なまでの表出力の度合いが高いからで、前のめりのオーケストラ・ドライブが展開する怒濤のような音楽の流れがすこぶる痛快であると同時に、そこには音質以上に伝わるものがあるように思います。例えば終楽章の(2:29)あたりのつんのめるような猛加速や、(8:32)での最強奏の強烈味など、聴いていて圧倒されるような聴き応えがありました。確かに音質的には冴えないですが、ミュンシュの演奏の中でもかなり存在感のある「新世界」だと思います。

「ドン・ファン」の方もミュンシュらしい味の濃い表現で満たされた名演だと思いますが、リヒャルトとしてはCD1の「死と変容」よりは充実感がやや落ちるようです。

最後のCD5ですが、歌曲の方はゼーフリートの可憐な歌い回しが聴きもので、オーケストラ伴奏も味わい深い音色で独唱に応答しています。

「英雄の生涯」は、アンサンブルのバラつきがかなり耳につきます。全体的に演奏にまとまりのない感じで、アンサンブルの線を合わせるのに一苦労といった様相です。リハーサル不足という感じでしょうか。いずれにしても、内容的にはかなり平凡で、聴くべきものは少ないと感じます。

「ディヴェルティメント」は、タングルウッド音楽祭でのライヴです。あまり録音されない珍しい曲で、そういう意味でも貴重ですし、演奏もまずまずですが、原録音のマスターテープに欠損があるようで、ところどころ演奏が欠落しているのが残念なところです。

ミュンシュ/ボストン響によるロマン派作品のライヴ録音集(CD2・3)


「ミュンシュ・コンダクツ・ロマンティック・フェイヴァリット」
 ミュンシュ/ボストン交響楽団
 ウェスト・ヒル・ラジオ・アーカイヴ 1951~57年ライヴ WHRA6017

昨日のCD1に続き、CD2とCD3の感想です。

CD2ですが、ブラームスのダブル・コンチェルト、交響曲第2番ともに名演で、特にダブル・コンチェルトは超名演と感じました。ドイツものの中でブラームスを最も得意とするミュンシュの個性が強く発現している上にアンサンブルの集中力も高く、フランチェスカッティ、マイエスの両ソロの展開する有機的なフレージングも素晴らしい。

交響曲第2番も内容的にはかなり良いですが、こちらはRCAのスタジオ盤に超名演が残されているため、それと比較すると音質が落ちるぶん不利です。ただ、ライヴならではの生々しい演奏の臨場感は豊かです。

CD3の方もブラームスで、全体的に悪くないですが、同じブラームスでもCD2ほどには強烈味が立たない印象も受けます。大学祝典序曲は正規録音がないので(悲劇的序曲はRCAにスタジオ録音してますが)、貴重ですが、アンサンブルの充実感、音質ともにいまひとつのようです。

ルドルフ・ゼルキンのソロによるピアノ協奏曲第1番はまずまずの名演です。ちなみにミュンシュはこの曲を、ゲイリー・グラフマンのソロでRCAにスタジオ録音してますが、そこでは当時新進のグラフマンが、大家ミュンシュに気後れしているような気配があり、終楽章こそ素晴らしいものの、第1・第2楽章がどうもパッとしません。その点、ここでのゼルキンは最初から最後までオーケストラと真っ向から渡り合っていて見事です。音質が同等であれば、おそらく正規録音よりも名演だと思います。

CD4とCD5の感想はまた後日書きます。


ミュンシュ/ボストン響によるロマン派作品のライヴ録音集(CD1)


「ミュンシュ・コンダクツ・ロマンティック・フェイヴァリット」
 ミュンシュ/ボストン交響楽団
 ウェスト・ヒル・ラジオ・アーカイヴ 1951~57年ライヴ WHRA6017

これは購入してからかなり経ってしまい、もはや新譜ともいえないものですが、今年の夏ごろにリリースされたシャルル・ミュンシュとボストン響のライヴ演奏集です。シューマン、ブラームス、ドヴォルザーク、R.シュトラウスの作品を演目とするコンサートでの演奏がディスク5枚組に収録されています。すべてモノラル録音です。

以下は各CDの収録内容です。

CD1:
シューマン チェロ協奏曲(フルニエ)、交響曲第4番&R.シュトラウス 交響詩「死と変容」

CD2:
ブラームス ダブル・コンチェルト(フランチェスカッティ、マイエス)、交響曲第2番

CD3:
ブラームス 大学祝典序曲、ピアノ協奏曲第1番(R・ゼルキン)

CD4:
ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」&R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」

CD5:
R.シュトラウス 歌曲「万霊節」「子守唄」「明日こそは」「セレナード」(ゼーフリート)、交響詩「英雄の生涯」、クープランのクラブサン曲によるディヴェルティメント

以上の収録曲のうち、正規録音のある演目はブラームスの交響曲とピアノ協奏曲、シューマンの交響曲第4番のみですので、ミュンシュのファンにとってはかなり興味深いライヴ集です。

それで、ひととおり演奏を聴いた感想をディスク別に掲載したいと思います。とりあえず今日はCD1の感想で、CD2以降は後日書きます。

そのCD1ですが、この3曲の中では「死と変容」が突出的によく、ミュンシュのリヒャルト演奏中最高の名演ではないかと思います。51年のコンサートのライヴで、自身ボストン響のアンサンブルをほぼ掌握した頃のひとつの充実期における演奏であることが伺われるものです。(4:52)からの第1テーマの震撼的な迫力、情熱的にして奔流のようなオーケストラドライブなど、聴いていてミュンシュのベスト・フォームに近い演奏という感じがしました。

これに対し、シューマンの2曲は相対的に平凡と感じました。フルニエをソロに迎えてのチェロ協奏曲は、フルニエによる同曲のいくつかの異演盤の方が訴求力が上だと思いますし、交響曲第4番もミュンシュにしてはいまひとつ味が薄く、造形的にも穏健な印象を拭えませんでした。

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