シノーポリ/ドレスデン・シュターツカペレによるドヴォルザークのスターバト・マーテル


ドヴォルザーク スターバト・マーテル
 シノーポリ/ドレスデン・シュターツカペレ
 グラモフォン 2000年ライヴ 4710332

おとといのアーノンクールの新譜についての感想の中で、「ドヴォルザークのスターバト・マーテルの新譜を購入したのは、2001年のシノーポリ盤以来」と書きましたが、そのシノーポリ盤がこれです。久しぶりに聴いてみました。

このシノーポリの「スターバト・マーテル」、リリースされたのが2001年4月だったんですが、ちょうどその月の20日に、あろうことかシノーポリはベルリン・ドイツ・オペラでヴェルディの歌劇「アイーダ」を指揮中、心筋梗塞で倒れ急逝してしまいます。

54歳というその若すぎる死を惜しむ声は当時絶えませんでしたが、この「スターバト・マーテル」のリリースは結果的に、シノーポリ自身の死の前触れともなり、また自身の演奏で自身の死を葬うというようなシチュエーションにもなってしまいました。

というような付帯要素がこのディスクにはあって、演奏自体の純粋な感銘よりも、その付帯要素による印象の度合の方がむしろ大きいくらいなんですが、いずれにしてもこの演奏は感動的ですね。聴き手を忘我の境地に誘うとでもいうような旋律形成の美しさは特筆的で、それが前記の付帯要素によりこよなく増幅されるというような。終楽章の終盤での劇的な高揚力も先のアーノンクール盤を凌ぐほどに素晴らしい。

この「スターバト・マーテル」は、シノーポリの最後の録音というわけではないですが、実質的にはその「白鳥の歌」ともいうような強烈な印象が演奏に付帯した、忘れがたい一枚です。

アーノンクール/バイエルン放送響によるドヴォルザークのスターバト・マーテル


ドヴォルザーク スターバト・マーテル
 アーノンクール/バイエルン放送交響楽団
 RCA 2007年 88697338342

アーノンクールとバイエルン放送響の共演による第2弾。ちなみに第1弾はシューマン「楽園とペリ」。このあたりの地味な選曲は意識的? ちなみにドヴォルザークのスターバト・マーテルの新譜を購入したのは、確か2001年のシノーポリ盤以来です。

それで聴いてみると、第1曲冒頭のピアニッシモが緩やかに起伏し、(2:06)あたりで慟哭を迎えるまでの流れに聴かれる音楽の悲痛味がすこぶる鮮烈に奏でられていて、この3分足らずで、この演奏はおそらく名演だと確信させられました。

(3:39)から再弱音で入るスターバトマーテル合唱は静謐な透明感を湛えて美しく、オーケストラ伴奏のリアルに引き締まった音響のシリアス感が合唱の美感をさらに増幅させ、中間部の四重奏での4歌手のアンサンブルも美しさの限り。

この第1曲に限らず、ここでのアーノンクールの表情形成は、全10曲の曲趣に応じた幅広い表情を名門バイエルン響から高感度に抽出しながら、そこに例えばクールに冴えた旋律線によるシャープな造型感や、トッティでの圧倒的な痛撃力を伴うドラマティックな起伏力といった、アーノンクール独自の個性ともいうべき色付けが巧妙に敷設されていて、全体の9割以上がスローテンポ指定というこの特異な作品に対して絶妙な起伏感を付与することに成功していると思います。

作品に対するスタンスとしては感情的に飲めり込むような表情とは一線を画していて、客観的に作品を眺望しながら、緻密な音響設計に基づいて音楽を構築するという風で、そのせいで内面から沸き起こる情動力に関しては表情的にやや不足する感じもしますが、常に格調高い音楽の運びの中から、この曲のダイナミクスの凄味をいかんなく抽出させている点では一級品の演奏という印象を与えられます。

全曲を聴き終えての印象として、このアーノンクールのスターバトマーテルは、ドヴォルザークの音楽としての民族主義的な匂いをほぼ極限まで薄め切り、さりとてそれを例えばドイツ風というように換骨奪胎させるでもなく、高性能オーケストラの支援を武器に、この作品の魅力をあくまで純音楽的なスタンスで描き出した名演と感じました。

音質も非常にいいですね。ちなみにフォーマットはSACDハイブリッドです。

ムローヴァとイル・ジャルディーノ・アルモニコによるヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集


ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集
 ムローヴァ(vn)
  アントニーニ/イル・ジャルディーノ・アルモニコ
 オニキス 2004年 ONYX4001

昨日書いたカルミニョーラとムローヴァの共演によるヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集についての感想の中で言及した、2005年リリースのムローヴァによるヴィヴァルディの協奏曲アルバムがこのディスクです。今日久しぶりに聴き返してみました。

収録曲は①ヴァイオリン協奏曲ニ長調RV.208「ムガール大帝」②4つのヴァイオリンのための協奏曲ロ短調RV.580③ヴァイオリン協奏曲ハ長調RV.187④ヴァイオリン協奏曲ニ長調RV.234「不安」⑤ヴァイオリン協奏曲ホ短調RV.277「お気に入り」。

同じヴィヴァルディのコンチェルトでも、カルミニョーラとの共演盤とはかなり雰囲気が違いますね。使用楽器からして、カルミニョーラとの共演盤ではバロック・ヴァイオリンですが、こちらのオニキス盤ではバロック・ヴァイオリンではなく、自身のストラディヴァリウスを用いながら、弦をスチールからガットに張り替え、ピッチを415Hzに調律し、かつボウイングにはバロック・ボウを使用するといった演奏様式が採られてます。

このようなスタイルの違いもあり、カルミニョーラとの共演盤での演奏と比べると、こちらのオニキス盤の方が全体に弾き回しが闊達で、音色の張りも強いようです。もちろんカルミニョーラとの共演盤では受け持ちがセカンド・ヴァイオリンなので単純比較は無理ですが、少なくとも演奏のヴァイタリティや、純粋なヴァイオリズムとしての魅力という点では、こちらのオニキス盤のヴィヴァルディの方により強い魅力を感じます。

イル・ジャルディーノ・アルモニコの伴奏がまた強烈で、トッティのとんがり具合といい、フレージングの鋭角性といい、音色の鮮烈感といい、いずれもヴェニス・バロック・オーケストラより一枚上手でしょう。演奏様式は、あの一世を風靡したヴィヴァルディの「四季」のアルバムにも近くて、局面によってはヴァイオリン・ソロの表出力さえ霞ませてしまうほど(とくにRV.234「不安」の第1楽章)。コンチェルトとしては必ずしも理想的なバランスでないかもしれませんが、凡庸感はほぼゼロで、聴いていて実直な愉悦味に浸れるアルバムです。

カルミニョーラとムローヴァの共演によるヴィヴァルディの2つのヴァイオリンのための協奏曲集


ヴィヴァルディ 2つのヴァイオリンのための協奏曲集
 カルミニョーラ(vn)、ムローヴァ(vn)
  マルコン/ヴェニス・バロック・オーケストラ
 アルヒーフ 2007年 4777466

なにやら、このところ円高が凄まじいんですが、こういう時っていつも思うんですよね、輸入盤が安くならないものかと(笑)。

ま、安くなった試しはないんですが、、、

さて、昨日買ったヴィヴァルディのアルバムをさっそく聴きました。ヴァイオリン・ソロを共演するのは、ジュリアーノ・カルミニョーラとヴィクトリア・ムローヴァという、豪華な顔合わせ。まあ、こういうあたりは、さすがにグラモフォン・グループという感じです。

カルミニョーラに関してはヴィヴァルディはほとんどホームグラウンドという印象ですが、ムローヴァの方も、2005年にヴィヴァルディの協奏曲アルバムをイル・ジャルディーノ・アルモニコのバックでオニキス・レーベルに録音していて、そこでの名演ぶりも印象に残っているところです。

演奏内容は期待どおりの素晴らしさ。最初のRV.516の第1楽章からフレージングの切れ、ボウイングの運動性、音色の強さ、そして両者のソロの掛け合いの緊密な一体感、いずれもあまりに際立っていて感嘆させられます。

特にカルミニョーラの歌い回しがまた闊達を極めていて凄い。カルミニョーラはこのアルバムのリリースされる少し前に、アバド/モーツァルト管と組んでのモーツァルトの協奏曲全集をグラモフォンからリリースしていて、それもすこぶる名演だったですが(ちなみに本ブログに書いた感想はこちら)、このヴィヴァルディでの演奏の生彩感は、ホームグラウンドの強みもあるのか、そのモーツァルトの時よりもさらに冴えている感じがしますね。

ムローヴァもカルミニョーラのソロにピタリと付随し、まさに完璧にコミュニケートされた共演という感じで、両者のアンサンブルに聴いていてワクワクさせられました。

バックのヴェニス・バロック・オーケストラのアンサンブルも含めて、演奏ピッチは440Hzとやや高めに設定されているため、かなり響きが明るく華やか。両ソロ奏者の華麗な演奏様式とあいまって、ちょっと華やかさが勝ち過ぎる気配もありますが、ヴィヴァルディの音楽の悦楽を堪能するという点ではまず最高水準のアルバムではないかと思います。

ちなみに作品自体の魅力では、RV.511とRV.523が全6曲の中でもひとつ抜けている感じがします。逆にRV.524とRV.509はちょっと地味ですね。

新譜購入記


今日は会社帰りにCDショップに寄って、新譜を少し購入。

①カルミニョーラとムローヴァの共演によるヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集:
二人の名ヴァイオリニストの豪華な共演。果たしてどんなヴィヴァルディが聴けるか?

②アーノンクール/バイエルン放送交響楽団によるドヴォルザークのスターバト・マーテル:
同じ顔合わせで今年3月に発売されたシューマンの「楽園とペリ」がなかなか良かったので。

③ガーディナー/オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークによるブラームスの交響曲第1番:
ピリオドオーケストラによるブラームスのシンフォニー録音はかなり久しぶりで、楽しみ。

いずれもまだ聴いてませんが、いずれ感想などを書くことになると思います。

ミュラー=ショットとクライツベルク/バイエルン放送響によるショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番と第2番


ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第1番、第2番
 ミュラー=ショット(vc)
  クライツベルク/バイエルン放送交響楽団
 オルフェオ 2005年 C659081A
C659081A

ヤコブ・クライツベルクは個人的に注目している指揮者ですが、そのクライツベルクが名門バイエルン放送響を振っての録音ということで購入しました。

チェロ奏者はダニエル・ミュラー=ショット。その演奏を聴くのはこのCDが初めてです。

聴いてみたところ、これは名演だと思いました。これらのコンチェルトのもの凄さが聴いていて良く伝わってくるという点で。

第1コンチェルト冒頭からミュラー=ショットのソロの技巧は一貫的にハイ・レベルで、作品の要求する難技巧に完全に対応し尽くしているし、それに留まらない表出力の高さにも圧倒されます。というより圧倒的なテクニックの冴えをそのまま表出力に転化させる術を熟知しているアーティストというべきでしょうか。

クライツベルクとバイエルン放送響の伴奏も見事なもので、アンサンブルに張り詰めたような密度感が絶えないですし、作品の生命線ともいうべきホルンとティンパニの音立ちの鮮やかさという点でも特筆的。第2楽章の(9:00)近辺でのぞっとするような切迫味などチェロ独奏の音彩の鮮やかさと相まって、ちょっと忘れがたいほど。

第2コンチェルトの方も第1コンチェルトに劣らずの名演。終楽章の(11:17)からの狂気性などまさにショスタコーヴィチを聴く醍醐味に満ちていて聴き応え抜群でした。

スティーヴン・オズボーンによるドビュッシーの前奏曲全集


ドビュッシー 前奏曲集第1巻・第2巻
 オズボーン(pf)
 ハイペリオン 2006年 CDA67530

昨日書いたブリテンのCDの感想の中で言及した、スティーヴン・オズボーンのドビュッシー前奏曲全集のディスクがこれです。

07年4月17日の東京文化会館でのコンサートの折りにロビーで購入したものです。このドビュッシーの他にもメシアンやショスタコーヴィチなどのCDが並んでいたと記憶します。

まず第1巻の1番と2番での夢幻的な音色の美感に驚かされるんですが、まるで夢の中で聴くような、響きのふっくらとした美しさとはかなさが独特で、ことにppやpなど良い意味での現実感の希薄さというのか、時にはピアノというより自然音を思わせる柔らか味さえあり、なんと美しい音楽かと、率直に思わせるようなピアニズムです。

例えば第5番など、冒頭のppのスタカート上行といい、3小節めからのppの高音フレーズといい、まるで風鈴が風に揺られて鳴っているというような清涼感があり、中盤のタランテラ進行なども、左手のリズムを必要以上に強調せず、むしろ右手をしなやかに用いて、まるで一陣の風が吹き抜けるような音楽の肌合いが素晴らしい。

こういう雰囲気が第2巻も含めて全体に立ち込め、この作品集の良さを再認識させられるほどの、肌触りの新鮮さに魅了される演奏です。難を言うなら強音の表現力が大人しい点で、例えば第1巻の第7番など、これでffがより鮮烈ならさぞかし。

明日は、ブログ更新をお休みします。

オズボーンとヴォルコフ/BBCスコティッシュ響によるブリテンのピアノと管弦楽のための作品全集


ブリテン ピアノと管弦楽のための作品全集
 オズボーン(pf) ヴォルコフ/BBCスコティッシュ交響楽団
 ハイペリオン 2007年 CDA67625

収録曲は①ピアノ協奏曲(1945年版)②「若きアポロ」③左手のピアノと管弦楽のためのディヴァージョンズ。①には第3楽章の初稿版「レチタティーヴォとアリア」が別収録されています。

①はブリテンの残したピアノ作品としてはおそらく最も有名なものでしょう。「トッカータ」と題された第1楽章での2つのテーマの扱い方がかなり独特で、冒頭の第1テーマはピアノ、(1:14)からの第2テーマはオーケストラ、という分担がとにかく徹底されてます。そして(5:19)からの再現部では、この2つが同時に出される。普通は順次出るものなのに、同時に出るというのはかなり珍しいですね。「ワルツ」と題された第2楽章のノーブルなムード、「アンプロンプテュ」と題された第3楽章の詩的な佇まい、そして「行進曲」と題された終楽章の弾けるようなギャロップ感。

この①に対し、ブリテンの残したもう一つのピアノ協奏曲である③は第1次大戦におけるロシア戦線で右腕を失ったウィーンのピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインの委託により書かれた作品です。ちなみにラヴェルも彼のために「左手のためのピアノ協奏曲」を作曲していて、こちらの方が有名ですね。このブリテンの「左手」はラヴェルの「左手」よりは知名度が低いものの、左手のみの構成とはにわかに思えないほどの華やかな楽想で、ラヴェルとはまた違った明朗な作風に魅力があります。

スティーヴン・オズボーンは71年スコットランド生まれの若手ピアニストで、07年4月に東京文化会館でブラームスの第2協奏曲の実演を聴いたことがあります(デプリースト/都響)。この実演はいまひとつ印象が強くなかったですが、そのときホールで購入したドビュッシーの前奏曲全集の録音が非常な名演だった。それでこのブリテンのアルバムも購入して聴いてみたが、こちらも名演。オズボーンはドイツ音楽とは少し離れた地点にピアニズムの適性があるように思います。

アイヒホルン/リンツ・ブルックナー管によるブルックナー交響曲第6番


ブルックナー 交響曲第6番
 アイヒホルン/リンツ・ブルックナー管弦楽団
 カメラータ 1994年 CMCD15049

今日はアイヒホルン/リンツ・ブルックナー管のブル6を聴いたので、昨日聴いたデイヴィス/リンツ・ブルックナー管のブル6と比べての感想を書きます。

・楽章別にタイム比較すると、中間2楽章は両盤ともにほぼ同じで、両端楽章はデイヴィス盤の方がアイヒホルン盤より2分ほど長い。

・全体的な印象を比べてみると、アイヒホルン盤の演奏の方は、おおむね管よりも弦を中核とする重厚感と濃密感に特色があり、その音色はどこか洗練し切らない朴訥な風情を残した、味わい深いもので、テンポ取りも端正で造形的に格調高い。

・対してデイヴィス盤の演奏は、アイヒホルン盤の演奏よりも総じて弦と管のバランスを拮抗させ、弦の音幕を必要以上に押し出さず、トッティ等でのソノリティの肥大化を防ぎながら、極めて効率的に最適化されたアンサンブル展開をベースに緻密にスコアを再現するという方向性が比較的強い。音色においても、アイヒホルン盤のそれより洗練度がひとまわり高く、ことに管パートのフレージングの切れや克明度においてアイヒホルン盤に勝っているし、ティンパニの響きの張りも一貫的に充実している。造型的には、アイヒホルン盤と比べると両端楽章で遅めのテンポが選択されていて、かつ緩急の動きもアイヒホルン盤よりも大きい。

以上のように、同じオーケストラに拠りながらも、両演における表情性はだいぶ異なり、引いてはその差異が両指揮者の表現の指向の違いということになると思われます。

全体としてみると、今回のデイヴィス盤の演奏はやはり名演で、まず演奏内容に指揮者の主張というか個性感が良く発揮されている点がいいし、それが音楽の良さを巧く引き立たせている点も素晴らしいと思います。

ただ、アイヒホルン盤の演奏と比べると、どことなく薄味なきらいもあり、濃色感や味わい深さという点から導かれる音楽のしての深みという観点では、アイヒホルン盤を凌ぐまでには到らないというのが率直な感想でもあります。

例えば、第1楽章展開部の練習番号L(8:01)からのところで、第1テーマの転回形(メロディが上下ひっくり返った形)が高弦に歌われるくだりがそうで、高弦の主声部に対して低弦の副声部の音量がかなり抑制されているため、音の密度に物足りなさを感じます。ここは、アイヒホルン盤が素晴らしいだけに。

もっとも、再現部開始の(10:22)からの強奏展開などでは、fffのティンパニの発する強い張りを含めて、このデイヴィス盤の冴えわたった響きの充実感の方に魅力を感じますし、局部的にはアイヒホルン盤を凌ぐように感じられる場面もかなり多いですね。

D・R・デイヴィス/リンツ・ブルックナー管によるブルックナー交響曲第6番


ブルックナー 交響曲第6番
 D・R・デイヴィス/リンツ・ブルックナー管弦楽団
 アルテ・ノヴァ 2008年ライヴ 88697319892

今日は、先週買ったデニス・ラッセル・デイヴィスとリンツ・ブルックナー管のブルックナー交響曲第6番の新譜を聴いてみました。

ブルックナーの交響曲第6番は最近けっこう耳にしていて、先月サントリーホールで実演を聴いてますし、その少し後にはノリントン/シュトゥットガルトの新譜も聴いてます。

さて、D・R・デイヴィスとリンツ・ブルックナー管のブルックナー・シリーズはこれまでリリースされたものもおおむね名演だったので、今回の第6交響曲もまず悪い演奏ではないと踏んでいましたが、実際聴いてみたところ、思った以上にいい演奏でした。

で、その感想を書こうかと思ったんですが、実はその前にもうひとつ聴いておきたいCDがあるので、ちょっと保留させてもらいます。それは、アイヒホルンとリンツ・ブルックナー管のブルックナー交響曲第6番の録音です。

こちらも同じオーケストラによるブル6ですが、指揮者が変わると演奏がどう違ってくるかという点を確認したいし、端的にどちらの演奏が名演なのかという興味もあります。アイヒホルン盤はしばらく聴いてないから、いい機会なので聴き比べてみたいと思います。

今日D・R・デイヴィス盤を聴いてからアイヒホルン盤を聴いてもよかったんですが、同じ曲を一日に2度聴くのもちょっとアレなので、アイヒホルン盤は明日あらためて聴こうと思います。

そういうわけで、両盤を聴き比べての感想を明日書こうと思います。

ミュンシュ/ボストン響によるチャイコフスキーの「悲愴」とロメ・ジュリ


チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」、幻想序曲「ロメオとジュリエット」
 ミュンシュ/ボストン響
 RCA 1962年・61年 BVCC-38452

昨日はミュンシュ/パリ音楽院管の「悲愴」について書きましたが、その中で言及した、ミュンシュのボストン響とのスタジオ録音による「悲愴」についても書いておこうと思います。ちなみにミュンシュとボストン響によるチャイコフスキーの交響曲の録音は、この「悲愴」の他には第4交響曲があるのみです。

このスタジオ録音の方の「悲愴」は、さすがにパリ音楽院管のライヴよりずっとアンサンブルが整っていて、音質的にも不足なく、ミュンシュ一流のエモーショナルな音楽の起伏力も良く感じられる演奏です。

ただ、この演奏は、全体にヴァイオリンの響きが薄いのが気になるところで、例えば第4楽章の後半(7:15)あたりで、管パートの響きにつぶされ、弦の動きがよく聴こえないとか、そんな感じのバランスが聴いていて時々みうけられます。トッティは良く鳴っているものの、弦の響きの薄さが迫力をそれなりに損ねているようです。第1楽章再現部直前のリタルダンドの強調などをはじめ、かなりテンポを動かして表面的にはドラマティックですが、その特徴感を最大限に発揮させるための弦の力動感がいまひとつなのが惜しい感じです。

インパクトとしてはむしろ併録のロメ・ジュリの方が「悲愴」よりもひとまわり上ですね。主部からの響きの苛烈ぶりが半端でなく、急迫テンポのわりに厚みもよく乗っていて、すこぶる高迫力の演奏です。

ミュンシュ/パリ音楽院管によるチャイコフスキーの2つの録音



チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」、ピアノ協奏曲第1番
 コスタンティノフ(pf) ミュンシュ/パリ音楽院管弦楽団
 archipel 1948年(悲愴)、41年(協奏曲) ARPCD0383

ミュンシュとパリ音楽院管とのチャイコフスキーの録音がarchipelよりリリースされました。「悲愴」が48年、協奏曲が41年の録音とされています。

ミュンシュ・ファンの私としては当然購入して聴いてみました。以下その感想です。

まず、録音年の記載だけ見るかぎり、聴く前はおそらく「悲愴」の方が音質が良く、戦時下の録音である協奏曲はあまり音質が冴えないだろうと、予想していたんですが、聴いてみるとこれが全くの逆です。

「悲愴」は音質があまり冴えず、逆に協奏曲は驚くほどいい。演奏内容も協奏曲の方がかなりいいです。

最初の「悲愴」は全体にスクラッチノイズがかなり多めで、それ以上に音響がかなり痩せている感じがします。それゆえ全体に響きが軽く、トッティにも厚みがあまり乗らない。この音質の影響が逆風となって、演奏自体から受ける感銘もいまひとつ弱い。全般に気になるのは金管パートの弱々しさで、第1楽章の(10:24)からの最強奏など弱すぎて聞こえなくくらいですね。終楽章の(5:11)からのところなどもそうで、どうも響きがか細い。

ミュンシュは後年「悲愴」をボストン響とRCAにスタジオ録音してますが、その演奏では逆に管が強くて弦がかなり弱く、バランスがいまいちと感じました。しかしこのパリ音楽院管との「悲愴」は全く逆の意味で、やはりバランスがいまひとつ良くないように感じます。

続くピアノ協奏曲では、コスティア・コスタンティノフをピアノ・ソロに迎えての演奏ですが、音質が「悲愴」とは段違いにいいですね。ソノリティがグッと立体的になり、ダイナミック・レンジも広く、本当に41年録音かと思われるほど。この音質のおかげで演奏の生々しい感触がリアルに伝わり、その演奏内容がまた素晴らしい。ミュンシュの指揮、コスタンティノフのソロ、ともに充実を極めている。ミュンシュの指揮は「悲愴」の時より明らかに冴えが感じられるし、コスタンティノフは一貫してタッチに見事な張りと艶が付帯していて聞き惚れてしまうほど。第1楽章の(7:32)あたりのピアノとオケとの掛け合いなど、両者の織りなす華麗にして豪壮なダイナミクスの織り上げが際立った感じがします。

ハイティンク/シカゴ響によるマーラー交響曲第6番「悲劇的」


マーラー 交響曲第6番「悲劇的」
 ハイティンク/シカゴ交響楽団
 CSO・RESOUND 2007年ライヴ CSOR901804

シカゴ響自主製作レーベルによるハイティンクとシカゴ響のマーラーライヴの第2弾です。先週末に買ってきたものですが、さっそく聴いてみました。

このシリーズでは、第1弾の第3交響曲での名演ぶりが印象に残っていたので、この「悲劇的」もおそらく名演との見込みで購入したんですが、聴いてみるとやはり期待どおりの内容というべきで、オーケストラの演奏コンディションの良さ、音質の良さ、そしてハイティンクのスケール味豊かな指揮といい、すこぶる聴き応えのあるマーラーです。

このシカゴ響との録音では、まずテンポ設定が個性的で、かなりのスロー調が主体です。全曲の総タイムは90分の大台に乗ってますし、第1楽章だけでも26分にも及びます。

その第1楽章は冒頭のフォルテッシモの第1テーマがかなり抑制された音量でソフトに奏でられていますが、この演奏でのハイティンクの指揮は、ここぞという時以外は音量にそれほどものを言わせない静的なダイナミクスを基調とし、それだけハーモニクスの克明な描出ぶりが際立った感じです。例えば(2:48)の第2テーマでの、超スローテンポの上で奏でられる透明なハーモニーの、ポリフォニックな美しさ。

展開部から再現部にかけてもテンポを上げず、悠然とした歩調を崩さず進められますが、ここではむしろダイナミクスのメリハリの強さがかなり印象的です。例えば(16:27)あたりのffは、楽章冒頭と同じくかなり弱いですが、再現部突入の(17:42)になると、同じffなのに明らかに強奏水準が高い。つまりスコアの強弱指定に画一的に従うのでなく、運用が柔軟性に富んでいて、聴いていてかなり新鮮な感じがします。加えてシカゴ響のブラスパートの名演ぶりも特筆的で、例えばコーダの(22:33)でのホルンのゲシュトプフの巧いこと。

第2楽章以降も傾向は同じですが、特に終楽章など、おそらくハイティンクによるこの曲の旧録音よりも呼吸感が深く、演奏に独特の吸引力あるいは深みが付帯していて傾聴させられました。

ベーム/バイロイト祝祭管のワーグナー「ニーベルングの指環」全曲


ワーグナー 楽劇4部作「ニーベルングの指環」全曲
 ベーム/バイロイト祝祭歌劇場管
 デッカ 1966・67年 4780279

カール・ベームの「リング」全曲をこの3連休でひととおり聴き通しました。これはおととい購入した33枚組のバイロイト公演のライヴ録音集に含まれているものです。

音質が思った以上にいいですね。全体にオンマイク的な録られ方で、鮮明感も高く、すこぶる臨場感に富んだ音響的感触です。

演奏も見事で、特にベームのアンサンブル展開が素晴らしい。総じて速めのテンポ設定なのに響きが軽く流れる感じがほとんどなく、響きの密度に充実感が絶えず、聴かせどころでの押しの強さという点も半端でない。なにより音楽の流れが動的な活力に満ちている点が感動的で、同じ時期に録音されているショルティ/ウィーン・フィルのスタジオ盤「リング」での、どこかショー・ウィンドウ的な画一感の先立つ音楽の流れとは一線を画した良さがあると感じます。

ただ、歌唱陣に関しては、ショルティ/ウィーン盤と比べて、やや引けをとるかなという気はしました。もちろんショルティ盤はいくらでも録り直しのきくレコーディング環境なので、一発ライヴのベーム盤をそれと比べるのは間違いかもしれないですが、その点を差し引いても、やはり何かもうひとつ押しが弱い感じがします。とくにジークフリート役ヴィントガッセンが。

なぜそう思うかというと、実はちょうど3週間前に、たまたまカイルベルト/バイロイトの55年リングの「ワルキューレ」と「ジークフリート」を聴いてしまっていたからです。ちなみにその感想については、それぞれ先月の20日と21日に本ブログで書いています。

そのカイルベルト盤の方でも、ヴィントガッセンがジークフリートを歌っているんですが、これが圧倒的に素晴らしい。それについては「ショルティ盤より完全に上」などと、このブログでも書きました。

その印象がまだリアルに残っているので、このベーム盤でのヴィントガッセンは率直に言ってちょっと物足りない感じがします。おそらくカイルベルト盤の方が全盛期に近い歌唱だと思うんですが、このベーム盤はそれから10年以上後のものですから、やはり年齢的な衰えという要因があるような気がします。

あと、このベーム盤でのヴィントガッセンは、「ラインの黄金」でローゲも歌ってるんですが、体力的に大丈夫なんだろうかと思ってしまいます。ただでさえジークフリートは超人的なスタミナが要求される役なのに、、、。

ヴォータン役テオ・アダムも、決して悪くはないんですが、ホッターと同等とまではさすがにいかないように思います。

ブリュンヒルデ役ニルソンはショルティ/ウィーンに迫る水準の名唱ぶり。カイルベルト盤のヴァルナイとはまた違った良さがあると思います。情感浸透力ではヴァルナイ、声自体の純粋な充実感ではニルソン。

他の歌唱陣も粒ぞろいで、特にハーゲン&グンターのグラインドル&スチュアートはショルティ盤のフリック&ディースカウよりも上かも知れないです。あと、ミーメ役ヴォールファールトがすごい迫力! こんなに悪魔的なミーメも珍しいですね。

以上、このベームの「リング」は、歌唱陣がショルティ盤とかなりかぶっているとはいえ、ショルティ盤を凌駕すると思われる多くの美質を備えていますし、この年代を代表する「リング」全曲の名演のひとつとして、やはり聴いておいて良かったと思いました。

それにしても、3日がかりとはいえ、「リング」全曲をまとめて聴いたのは数年ぶりです。まとめて聴くと、なにか妙に達成感が湧いてくるというか、、^^);

とはいえ、さすがにワーグナーはもう満腹状態なので、この33枚組のバイロイト・ライヴ集の「リング」以外の残りの録音については、また少し期間を置いてから聴いてみようと思います。

バイロイト祝祭歌劇場でのワーグナーの主要オペラ公演録音集成ボックスセット


今日の話題ですが、昨日買ってきたワーグナーのオペラCDボックスについてです。

といっても別に感想ではなく、その内容に関してです。まあ、それなりに話題にはなっていた代物なので、御存じの向きも多いとは思いますが、、

これはバイロイト・フェスティヴァル上演のライヴ録音の既発盤を集成したもので、ワーグナーのオペラ「オランダ人」から「パルジファル」までの主要10作品の録音がすべて含まれてます。

指揮者と録音年は以下の通りです。

・歌劇「さまよえるオランダ人」
 サヴァリッシュ指揮、1961年
・歌劇「タンホイザー」
 サヴァリッシュ指揮、1962年
・歌劇「ローエングリン」
 サヴァリッシュ指揮、1962年
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」
 ベーム指揮、1966年
・楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
 ヴァルヴィーゾ指揮、1974年
・楽劇4部作「ニーベルングの指環」
 ベーム指揮、1966・67年
・舞台神聖祝典劇「パルジファル」
 レヴァイン指揮、1985年

値段がまた安く、33枚組で9千円。一枚あたり300円を切ります。

ただ、上の7種の録音の中で、ベームのトリスタンとレヴァインのパルジファルは、すでにCDを所有済みです。

だから迷ったんですが、その8枚を差し引いても激安という点ではそれほど変わらないので、結局買ってしまいました。

で、さっそく聴き始めました。まずベームの「ニーベルングの指環」から。

昨日は「ラインの黄金」を聴いて、今日は「ワルキューレ」と「ジークフリート」を聴きました。

これで明日「神々の黄昏」を聴けば、とりあえずベームの「リング」全曲満了ということになります。

このベームの「リング」は、言うまでもなく極めて有名な録音ですが、実はこれまで聴いていませんでした。歌唱陣が、ショルティのスタジオ盤とかなりかぶっていますし、音質的にも、おそらくショルティ盤には及ばないように思われましたし、要するに、この年代の「リング」としては、まあショルティ盤があればいいかなと思っていたので。

しかし、少なくとも「ジークフリート」までを聴いたかぎりでは、上のような先入観は、けっこう浅はかだったかなあと思ってます。このベームの「リング」、かなり凄い、、、

そういうわけで、明日はこのベームの「リング」全曲の感想を書いてみたいと思います。

CDを60枚ほど購入


今日は午前中はずっと雨でしたが、午後になってカラッと晴れて過ごしやすい一日となりました。

それでというわけではないですが、都内のディスクショップでCDを買い漁ってきました。枚数にして計62枚。なんでそんなに枚数が多いのか、は後で書きます。

ちなみに私はここ数年、年間でだいたい400枚ほどCDを買ってるんですが、その年間購入枚数のおよそ7分の1を、今日一日だけで買ってしまったことになります(我ながら、呆れてしまう、、、)。

で、何を買ったかですが、以下のとおりです。

①ブリテン ピアノと管弦楽のための作品全集
 オズボーン(pf) ヴォルコフ/BBCスコティッシュ交響楽団

②チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」、ピアノ協奏曲第1番 
 ミュンシュ/パリ音楽院管、コスタンティノフ(pf)

③ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第1番、第2番 
 ミュラー=ショット(vc)クライツベルク/バイエルン放送響

④マーラー 交響曲第6番「悲劇的」 
 ハイティンク/シカゴ響
 (2CD)

⑤ブルックナー 交響曲第6番
 D・R・デイヴィス/リンツ・ブルックナー管

⑥ミュンシュ&ボストン響のロマン派作品のライヴ録音集
 (5CD)

⑦ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集
 プレトニョフ(pf)ガンシュ/ロシア国立管弦楽団
 (3CD)

⑧ベルワルド 交響曲全集 
 ダウスゴー/デンマーク国立放送響
 (2CD)

⑨グラズノフ 交響曲全集 
 ロジェストヴェンスキー/ソビエト国立文化省響
 (6CD)

⑩ラトル/バーミンガム市立響他によるアメリカ音楽作品集
 (7CD)

⑪「ワーグナー ザ・グレイト・オペラズ・フロム・バイロイト・フェスティヴァル」
 (33CD)

以上、計62枚。すべて輸入盤です。

①~⑥は初出盤、⑦~⑪は再発盤。⑪は今年の春にリリースされたものですが、既に所有している演奏も含まれているため、買うかどうか迷っていました。結局買ってしまいましたが^^);

62枚といっても、全11点中で複数枚組のセットものが過半数を占めてますから、総枚数の割りには安いです。結局、CD1枚あたりにすると平均600円くらいではないかと。

で、冒頭の枚数の話ですが、要するに⑪だけで33枚となるわけで、これで枚数がかさんでしまったわけです。

さて、その⑪のワーグナーのオペラ演奏集ですが、これについては具体的な中身も含めて、明日またあらためて書きたいと思います。

ベーム/ウィーン国立歌劇場によるベルクの歌劇「ヴォツェック」全曲ライブ


ベルク 歌劇「ヴォツェック」全曲
 ベーム/ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 アンダンテ 1955年ライブ AN3060

昨日は残業で、帰宅したのが日付の変わるちょっと前。ということでブログ更新不可でした。今日の日中に見て下さった方には申し訳ない。

このブログを8月に始めて以来、更新しなかった日は昨日が初めてですね。まあ、いつかは途切れるとは思ってましたが、、、。

さて、おととい予告しました、ベーム/ウィーン国立歌劇場によるベルクの「ヴォツェック」の感想にいきます。

「ヴォツェック」はけっこう好きなオペラです。このオペラは何といっても音響的にものすごいですから。狂気的な凄味というのか、まあとにかく強烈ですね。

シナリオが絶望的で、あまりにも暗いために、一般的には人気オペラとは言いがたいようですが、シナリオに関しては、副次的なものとして、あまり気しなくてもいいんじゃないかと。純粋に、新ウィーン楽派特有の無調音響のインパクトの凄味を堪能すべき作品ではないかと思います。

だいたい、作曲したベルク自身、このオペラの第1幕を「性格的小品」、第2幕を「交響曲」、第3幕を「インヴェンション」と命名していて、まるでオペラというより声楽付きオーケストラ作品とでもいうような呼び方をしてますから。

ちなみに、私がこのオペラの魅力に初めて気付いたのは、ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団による全曲録音を聴いたときです。このCDについても、また機会があれば感想を書きたいですね。

で、このベーム盤ですが、カール・ベームがウィーン国立歌劇場の監督だった1955年の国立歌劇場再建オープニング・フェスティヴァルにおけるライヴです。音源はウィーン国立歌劇場アーカイヴのものが使われています。

一般に、ベームによる「ヴォツェック」全曲のCDといえば、グラモフォンの1965年のスタジオ盤(ベルリン・ドイツ・オペラ)が名盤として名高いものです。ですが、このスタジオ盤(私が持っているのはPOCG9072/75です)は、オーケストラのアンサンブルに関しては素晴らしいんですが、歌唱陣にやや問題があって、総じて芝居気不足というのか、ちょっと格調が高すぎるというのか、聴いていて、オペラ本来の狂気的な雰囲気が十分に発現されていないような物足りなさがありました。

ディースカウのヴォツェックが特にそうで、その歌唱は立派ですが、精神錯乱的な危うさが薄いのが引っ掛かります。シュトルツェの大尉も意外と芝居気がないですし。

そのスタジオ盤に比べると、こちらのベームのライブ盤の方が、歌唱陣の表情がずっと強いですね。オーケストラの迫力や細部の響きの彫りなどはさすがにスタジオ盤には及ばないとしても、歌唱陣の名唱ぶりと、舞台の生々しい臨場感という点にスタジオ盤を凌ぐ良さを感じます。

ヴォツェック役のヴァルター・ベリーはディースカウよりもずっとヴォツェック的というのか、気のふれたような凄味の発露という点で圧倒されます。第2幕半ばでマリーの不倫を大尉と医者から知らされる場面での錯乱ぶりなど凄いし、第3幕での歌唱力にも圧倒されるものがあります。他の歌唱陣もおおむね好演。欲をいうなら、オーケストラのアンサンブルにもう少し緻密さがあればというところでしょうか。この年代のライヴとしては、かなり健闘はしているんですが、、、。

録音は舞台からやや距離感のある録られ方で、やや線が細いものの、ソノリティはかなり鮮明で聴き苦しさがなく、モノラルとしてはかなり音場の広がりの感じられる水準のようです。

明日は、また新譜を何枚か買いに、都内のCDショップに繰り出す予定です。何を買うかは、未定。だいたいその場で見て決めているので。

明日の更新では、その購入CDのリストを掲載しようかと思ってます。

メンゲルベルク/コンセルトヘボウ管によるブラームスの交響曲全集


ブラームス 交響曲全集
 メンゲルベルク/コンセルトヘボウ管弦楽団
 メモリーズ 1932年~40年 MR2049/50

3ヶ月くらい前にリリースされた、メンゲルベルクとコンセルトヘボウのブラームス交響曲全集です。録音年は1番と2番が40年、3番が32年(CD上の表記には31年とありますが、たぶん誤記です)、4番が38年。形態は1番のみライブ録りで、他はスタジオ録音です。

全4曲ともこれまでにも複数のレーベルから復刻が行われているお馴染みの演奏ですが、今回のこのメモリーズの復刻盤は、全4曲がCD2枚に組み込まれていて、かつ音質改善がうたわれています。値段も安かったこともあり購入して聴いてみたんですが、音質は確かにかなりいいと感じました。

例えば最初に収録されている第3シンフォニーの録音を、同一音源のアンダンテ盤(AN-1030)と比べてみると、明らかにこちらのメモリーズ盤の方が音が鮮明で、響きが実在感に富んでます。ノイズはやや多めですが、ノイズを下手に除かずに原盤のダイナミクスをそのまま活かしたようなトーン・ポリシーのようで、特にフォルテの鮮烈感が素晴らしい。他の3曲の演奏も同傾向で、既出盤中最高かどうかは分かりませんが、少なくとも最高水準の音質という感じはします。

演奏としても概ね名演で、音質の良さもありそれぞれの演奏の個性をあらためて認識させられます。4曲の中でのベストは第1シンフォニーの演奏でしょう。とにかくメンゲルベルクの個性全開。第1楽章冒頭から弦の強烈な鳴りっぷりが爽快を極め、主部以降では何かに憑かれたような高速テンポを主体に部分的にテンポを大きくうねらせ、その造形の振幅が凄まじい。ティンパニの鳴りも、例えば32年録音の第3シンフォニーの時よりはるかによく、アンサンブルのド迫力に拍車をかけています。ことに、コーダの(12:19)での激打! 

第2楽章はメンゲルベルクのお家芸ともいうべきポルタメントを全編に押し出しての濃厚を極めたフレージングで、まさに情感ここに極まれり、というような。第3楽章もケレン味たっぷり。終楽章は第1楽章に輪をかけて強烈に造形を揺さぶったロマンティック・スタイルの極地ですが、その造形ほどには音楽の表情自体は甘くないですね。アンサンブルの充実感が際立っているからで、例えば(12:36)あたりの最強奏に聴かれるアンサンブルの凝縮感など、凄味に満ちてますし、コーダの高潮感も抜群です。

他の2~4番の演奏もだいたい同様の流儀による名演ですが、ライヴの1番と比べてしまうと、表出力の度合いでやや引けを取るような感じはします。

明日はベーム/ウィーン国立歌劇場によるベルクの歌劇「ヴォツェック」全曲ライブについて書きます。

トスカニーニ/コロン劇場管によるベートーヴェン「第9」の1941年ブエノスアイレス・ライヴ


ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」、レオノーレ序曲第3番
 トスカニーニ/コロン劇場管弦楽団(第9)、
        ニューヨーク・フィル(序曲)
 ギルド・ヒストリカル 1941年ライヴ(第9)、
      1936年ライヴ(序曲) GHCD2344

先月ギルド・ヒストリカルより復刻リリースされたトスカニーニのベートーヴェン「第9」のライヴ盤です。収録されているのは1941年7月24日におけるブエノスアイレスのコロン歌劇場でのライヴですが、これは「トスカニーニの1941年ブエノスアイレス・ライヴ」として、クラシック・ファンの間ではかなり有名な演奏のようです。実際、グーグルでググってみるとかなりヒットしますし。

これまでにもアリオーソなど、一部のヒストリカル・レーベルからリリースされたこともあるんですが、それらは入手が難しくて、実際に聞くのはこのギルド盤が初めてです。

それで聴いてみたんですが、第1楽章冒頭の強奏部から凄まじいティンパニの強打に驚かされます。

もっとも、音質的には良好とはちょっと言い難く、アナログ・テープ再生時独特のノイズ・レベルがかなり高いですし、音場もこもり気味で、録音年代を考慮しても音質水準はそれほど高くはないようです。

しかし、その音質から伝わってくるアンサンブルの燃焼力、そして演奏自体の張り詰めた緊迫感がただごとでなく、例えばフルトヴェングラーのバイロイトの第9のように、音質を超えて伝わってくる強度のリアリティに、聴いていて圧倒させられます。

第1楽章展開部(4:46)での爆発的な強奏といい、(5:55)での度を越したティンパニの激打といい、トスカニーニの流儀による推進性みなぎる音楽の流れの中から、恐ろしいほどのダイナミクスが常に充溢していますし、再現部からコーダにかけてのテンションの高さも、常軌を逸したような凄味に満ちていて圧倒させられるものです。

他楽章も同様ですが、第2楽章は第1楽章より音質が一段鮮明で、演奏の迫力感がほぼ振り切れてますね。逆に終楽章は相対的に音質が落ち、局面によってはやや聞き苦しい。そのためか否か、トスカニーニの指揮も前半2楽章ほどの凄味には欠けるようにも思えます。それでもアンサンブルのものすごい燃焼力はジリジリ伝わってきて、やはりこれは並の演奏ではないという印象は、最後まで揺るぎませんでした。

併録のレオノーレ第3番も、音質はやはりいまひとつですが、内容的には「第9」のそれに迫るほどの熱演ぶりです。

明日はメンゲルベルク/コンセルトヘボウ管によるブラームスの交響曲全集の復刻盤について書きます。

カラヤン/ウィーン・フィルによるプッチーニの歌劇「トゥーランドット」全曲


プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」全曲
 カラヤン/ウィーン・フィル
 グラモフォン 1981年 F90G-50217/9

このカラヤンによる全曲盤は、「トゥーランドット」の全曲録音の中でもかなり気に入っているもののひとつで、おとといの新国立劇場に聴きに行く前にも、おさらいとしてひと通り聴きました。

ただ、問題点もあるんですよね、このカラヤン盤には。だから、ベストチョイスとは、ちょっと言い難い。しかし、それを差し引いても、やはり余りある魅力がこの録音にはあると思います。このカラヤン盤の最大の魅力は、ウィーン・フィルによる極上の管弦楽的音響美が、かなり良質な音質で味わえる点でしょう。プッチーニの極彩色なオーケストレーションによる美麗な音楽美が、ウィーン・フィルのアンサンブルの個性と調和し、聴いていて何とも言えない陶酔感に満たされるんですが、少なくともこの点においては、このカラヤン盤に伍する録音は他にちょっと見当たらないように思えます。

例えば、第1幕でトゥーランドット姫が初登場する第7トラックの(2:55)での、妖艶にして華美な音響感、同幕ラストでカラフがトゥーランドットの名を3回絶叫した後から幕切れまでの、壮麗な音楽の起伏ぶり、第2幕中盤のトゥーランドット姫の最初のアリアで立ち昇る、怜悧な音色が放つ超常的な美しさ。カラヤンの指揮もプッチーニ音楽のメロディの美感を絶妙にひきたたせていて、カラヤンのプッチーニ音楽に対する相性の良さが良く伺えるものです。

それに対して、問題点は中心歌手の歌唱が弱いことでしょう。外題役リッチャッレリは本来リリック・ソプラノですし、ドラマティック・ソプラノのために書かれたトゥーランドットを演ずるのはやはり無理があるように思います。そのため、ここではかなり無理をしているようで、確かに表面的には立派な歌唱なんですが、例えば第2幕後半の謎解きの場におけるアリアでの、超高音のインパクトが伸び切らなかったり、ギリギリのところで、高揚感が突き抜けない。その点はカラフ役ドミンゴも同様で、第1幕終盤の「泣くなリュー」とか、第3幕序盤の「誰も寝てはならぬ」あたりは文句なく素晴らしいんですが、第2幕の謎解きの場でのトゥーランドット姫とのハイCの応酬のあたりになると、ハイ・バリトンあがりのテノール歌手ゆえの、超高音域に弱点を保有するドミンゴの欠点が表面化してしまってます。

リュー役のヘンドリックス、ティムール役ライモンディ、そしてピン・ポン・パン役にホーニク、ツェドニク、アライサを配するぜいたくなキャストはさすがにグラモフォンというところですが、肝心の主役級の二人の歌手がミス・キャスト的な配役なのが惜しまれるところです。やはりこのカラヤン盤は、オーケストラを中心に、その響きの魅力を堪能するためのディスクだと思います。

明日の更新からは、先週同様、最近リリースされた新譜CDの感想の方に戻ります。ただ、先週は最新録音CDばかりを取り上げましたので、今週は録音年の古いもの(ヒストリカル録音)の中からめぼしいものを取り上げてみたいと思います。

まず明日は、先月復刻リリースされたばかりの、トスカニーニ/コロン劇場管によるベートーヴェン「第9」の1941年ブエノスアイレス・ライヴを取り上げます。

これはもともと伝説的な名演として名高い録音だったんですが、録音が入手難でこれまで聴けなかったんです。それが今回の復刻でようやく聴くことができたので、その感想を書きます。

新国立劇場「トゥーランドット」の感想・音楽編


昨日にひきつづき新国立劇場「トゥーランドット」の感想ということで、今日は音楽の方について書きます。

このオペラは第2幕の後半、トゥーランドット姫登場を皮切りとする、いわゆる「謎解きの場」の情景がバツグンだと思います。音楽の緊迫感が尋常じゃないですから。トゥーランドット姫が最初に歌う昔語りのアリアの、あの美しさと恐ろしさが絶妙に拮抗する戦慄感。3度にわたる姫の謎かけとカラフの謎解きにおける、ハイCを含む超高音領域で展開される壮絶な応酬の緊張感。そして謎をすべて解いたカラフの情熱的なアリアを経て、劇的な幕切れになだれ込むあたりの見事なドラマティズム。いずれも音楽的にずば抜けてますね。

もちろん、他にも名場面は多くて、カラフのアリアでは第1幕終盤の「泣くなリュー」とか、第3幕序盤の「誰も寝てはならぬ」とか、リューのアリアでは自害直前に歌う「氷に包まれた姫君」など、いずれもまさに名アリアで、素晴らしいですが、音楽の密度としてはやはり第2幕の謎解きの場が抜きん出ていると思います。

で、昨日の公演でも、やはりその謎解きの場が素晴らしかった。外題役イレーネ・テオリンは高音域での声量が圧倒的で、しかも透明感を帯びた美しい歌唱にして、テクニックも万全。3回目の謎かけを歌う際の3点Cの強烈感は今でも忘れがたい。カラフ役ヴァルテル・ フラッカーロは声量的にはテオリンにやや押されている感はありましたが、表情の強さにおいて圧倒していたと思います。もちろんトゥーランドット姫はそもそも無表情なキャラクターですが、それを差し引いてもカラフのエモーショナルな起伏を鮮やかに描き出していて、聴いていて感嘆させられましたし、最後の終盤のアリア「高慢な姫よ」では「燃え上がる(ardente)」のセリフをハイCのヴァージョンで完璧に決めて貫禄を見せつけました。

アントネッロ・アッレマンディ指揮による東京フィルの演奏は、全体にいまひとつ音色の強烈感が抑制されていたのが物足りませんでしたが、逆に叙情的な場面でのソフトな音色の美しさが秀逸でした。

あと演出に関して、昨日書き落としていたことがひとつあります。ふつう、オペラ公演では一幕が終ると幕を降ろすものですが、昨日の公演では幕を降ろさず、しかも休憩時間中もずっとオペラ中の群衆が舞台をフラフラ歩き回っているという、かなり珍しい光景が見られました。

以上、オペラ公演自体は、斬新な演出も含めて、充分に堪能できた内容でしたが、あえて文句を言うなら、チケット代の高さでしょう。S席で2万6千円を超えていて、以前の新国立劇場の同クラスの料金と比べても明らかに高いですね。まあ、私はB席で聴いたんですが、S席の値段が上がるとA以下もそれにつられて上がるんで、結局割高になります。

例えば新国立劇場の過去の公演では、2003年の秋に同じプッチーニの「トスカ」を上演してるんですが、手元に残っているパンフレットをみると、S席で1万8千円。やはり、ずいぶん上がってます。この調子で今後も料金が上がっていくとすると、なんだかイヤですね。

明日はCD感想の方に戻りますが、せっかくなので「トゥーランドット」の全曲盤の感想をひとつ書きたいと思います。カラヤン/ウィーン・フィルの1981年録音の演奏です。

新国立劇場「トゥーランドット」の感想・演出編


今日は新国立劇場でプッチーニの歌劇「トゥーランドット」を観てきました。

このオペラをナマで観るのは今日が初めてでしたが、実演に接してみて、あらためてこの「トゥーランドット」の音楽がいかに強烈なものであるかを実感しました。録音では結構聴いてるんですが、やはり実演のインパクトには叶わないですね。

その話はまたあらためて書くとして、今日はまず演出についての感想を書こうと思います。この演出が、かなり大胆というか不敵というか、まあ、とにかく意表を突かれました。

最初に驚いたのはオペラ冒頭のところで、幕が上がっても音楽がいっこうに始まらず、群衆がせっせと数台の屋台の準備を進めている。しかも、どうみても中国じゃない。時代も明らかに現代で、これ、本当にトゥーランドット?、という感じです。

そのうち芝居一座が舞台中央に芝居小屋を組み立て始めます。そして背広を着た中年の男性があらわれ、芝居芸人の一人と何やら話をしている。そして、幕が開いてからだいたい5分も過ぎたと思われたころ、オーケストラがようやく鳴り出し、同時に芝居小屋から芝居芸人が登場し、「トゥーランドットの芝居」を始めます。

要するに、劇中劇です。なぜかここでは「トゥーランドット」は芝居一座による「芝居興行」という設定になってしまってます。

で、私はこの演出の意図を知りたくて、第1幕後の休憩時間にプログラムを買って読んでみました。そこには今回の「トゥーランドット」の演出を担当したヘニング・ブロックハウス氏の寄稿が掲載されており、それを読んで、ようやくこの「劇中劇」の意味が分りました。

まず、冒頭に出た背広を着た中年の男性は実はプッチーニそのひとで、演じる役者はカラフ役のヴァルテル・フラッカーロです。舞台は1920年代のヨーロッパのとある広場。そこでの芝居興行として「トゥーランドット」が演じられるという設定のようです。

何のためにこんな入り組んだ設定にしたのかというと、この「トゥーランドット」の未完成部分、つまりアルファーノの補筆部分を、プッチーニのスコアから切り離すため、ということのようです。具体的に言うと、この「トゥーランドット」の劇中劇は、プッチーニの手による最後の場面である、第3幕のリューの葬送場面で幕を閉じます。その後は舞台が再び1920年代のヨーロッパにもどり、プッチーニが再登場し、それまで観ていた「トゥーランドット」の芝居について妻のエルヴィーラと口論する、という展開になります。ここで妻のエルヴィーラを演じるのは劇中劇でトゥーランドット姫を演じたイレーネ・テオリン。つまり、この演出ではトゥーランドット姫をプッチーニ妻のエルヴィーラに重ねていることになります。

で、以下は裏設定ということになりますが、プッチーニには当時ドリアという可愛がっていた小間使いがいたらしく、そのドリアが妻エルヴィーラの嫉妬のため自殺に追い込まれてしまった。そのせいで夫婦仲が悪化していたところ、「トゥーランドット」の興行芝居を夫婦で観劇することにより、最終的に和解に到る、というのが、今回の演出によるシナリオのおおまかな流れです。その和解のシーンにアルファーノ補筆部分の音楽がそのまま使われている、というわけです。

以上がヘニング・ブロックハウス演出の概要なんですが、この演出は、プッチーニの未完成部分に対する折り合いをつけるという点では、確かに良く考えたものだと感心させられるものです。ただ、やはり問題点もいくつかあるかと思います。まず、設定がかなりややこしいことになってる点で、私は上で書いたように、プログラムを読んでこの演出の意図が理解できたんですが、仮に読まなかったとしたら、まず理解不能だったと思います。解説がないと理解できない演出というのは、ちょっとどうかという気がします。あと、この演出はリューの葬送場面で劇中劇を打ち切るんですが、打ち切るといっても幕を下ろすわけにはいかないので、舞台上の群衆のコスチュームチェンジとか場面転換を、リューの葬送と並行してやるんですが、これだとせっかくの葬送シーンの厳かな雰囲気が、かなり削がれてしまいますね。

まあ、この演出に関しては、どうもインターネット上でも賛否両論のようで、否定派の意見としては、シナリオを分断したことによって、ラストの大団円が盛り上がらなくなったという意見が多いようです。

確かにそれもそうですが、私はこのオペラに関しては、シナリオ自体ははっきり言って子供だましのようなものだと思ってますので、音楽さえスポイルしなければ、これくらいの演出は面白くていいかなと思いました。やはり「トゥーランドット」の真価は音楽にこそあると思うので。

で、その「音楽」の方の感想は、明日書きます。

シモーネ・ヤング/西オーストラリア響とリサ・ガスティーンによるワーグナーとR・シュトラウスの歌曲・管弦楽作品集


ワーグナー&R・シュトラウス 歌曲・管弦楽作品集
 ガスティーン(sop) ヤング/西オーストラリア交響楽団
 ABCクラシックス 2007年 ABC4766811

収録曲は①ワーグナー ヴェーゼンドンク歌曲集②ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲③R.シュトラウス 「献呈」④R.シュトラウス 「ひそやかな誘い」⑤R.シュトラウス 「万霊節」⑥R.シュトラウス メタモルフォーゼン。

①のヴェーゼンドンク歌曲集は曲の配列がひとひねりしていて、まずワーグナー自身のオーケストレーションの第5曲「夢」から始まります。以降、モットルのオーケストレーションによる「天使」「とまれ」「温室にて」「悩み」と配置されて、最後に「夢」のヴァイオリン・ソロによるヴァージョンのもので締めくくられてます。これは伴奏パートではなくて歌唱パートの方をヴァイオリン・ソロに置き換えたものです。

シモーネ・ヤングというとハンブルク・フィルとエームズ・クラシックスに録音中の、一連のブルックナーのシンフォニーでの名演ぶりが印象に残っているところ、このアルバムでは、ワーグナーとリヒャルトを取り上げています。歌曲を歌うのは新進ワーグナー・ソプラノのリサ・ガスティーンです。ひととおり聴いてみたんですが、かなりの聴き応えでした。

最初のヴェーゼンドンク歌曲集ではリサ・ガスティーンの名唱ぶりが素晴らしく、その歌唱は重厚にして高音域での透明感と強度を兼ね備えた、まさしくワーグナー・ソプラノとしての特性を備えた見事なもので、その発声がどんなに厚みと強さを増しても、澄んだ透明感がほとんど揺らがない点に驚異的なものを感じます。とりわけ「天使」の後半の天使が降臨するくだり、あるいは「悩み」冒頭の太陽への呼び掛けのくだりなどでそういう印象を強く受けます。リヒャルトの方の歌曲も同様にいいですね。

ヤング指揮による西オーストラリア響のアンサンブルの方も非常に充実感があり、トリスタンとイゾルデの前奏曲といい、メタモルフォーゼンといい、全体的にその芳醇にしてコクのある響きからすると不思議なほどの透明感を湛え、音楽の清らかな美しさと、真に迫る音色の感触とが無理なく両立されている。聴かせどころでのインパクトも充分で、トリスタンでは(7:58)あたりの音楽の高揚力が震えがくるほどいいし、メタモルフォーゼンでは(11:45)あたりのハーモニーの透徹ぶりなど、聴いていてため息が出るほどの美しさです。

明日はオペラを観に行く予定です。新国立劇場の「トゥーランドット」。このオペラをナマで観るのは初めてなので、かなり楽しみ。明日のブログではその感想などを書きます。

マッケラス/フィルハーモニア管によるシューベルト交響曲第9番「グレイト」


シューベルト 交響曲第9番「グレイト」
 マッケラス/フィルハーモニア管弦楽団
 シグナム・クラシックス 2006年ライブ SIGCD133

06年6月10日のクィーン・エリザベス・ホールでのライヴ録音です。近年とみに円熟味を増した感のあるマッケラスとイギリスの名門オーケストラによるシューベルトの「グレイト」。どんな演奏か興味津々で、さっそく聴いてみました。

第1楽章は最初の序部から速めのテンポで開始されます。弦は最弱音においても歯切れよく、精度良く、管は強めの色合いでくっきりと奏され、ことに強奏時にはホルンなどがピリオド・バランス風に突き抜けて鳴り渡り、高揚感が上々です。

(2:54)からの主部に入っても全くテンポ・アップせずに、以降もテンポの動きがかなり抑制されています。このあたりは聴いていてちょっと気になるところで、もともと速めのテンポなので確かに聴いていてもたれることはないんですが、やや表情に乏しい嫌いがありますし、それ以上に、このテンポ設定には主張を感じにくい。速すぎも遅すぎもしない中庸な速度であって、ちょっと作品を客観的に眺めすぎているような物足りなさを感じます。

しかしアンサンブルのダイナミクスの方は非常に充実してます。テンポが非常に安定しているため、ハーモニクスは隅々まで統制が行き届き、練り切られていて、その緻密な響きの妙感がいいし、強奏時のアンサンブルの迫力もいい。とくにコーダにおける鳴動力は素晴らしい。

第2楽章も冒頭からやはりテンポの動きは少ないですが、ダイナミクスの充実感はさらに良くなってますね。後半の山場となる(8:06)からの強奏は凄い迫力なんですが、さらにここでは意表を突いたテンポの猛加速に圧倒されます。ここまで徹底的に動かさなかったテンポを初めて大きく揺さぶっての最強奏であるだけに、その効果は大きく、ここは聴いていてゾクゾクしました。

第3楽章もアンサンブルの鳴りの良さは相変わらずですが、前楽章ほどのインパクトには欠ける気がします。終楽章は冒頭からアンサンブルのヴォルテージが高く、そのヴォルテージを維持したまま提示部反復を含めてコーダまで一気に駆け抜けています。ダイナミクスの充実感も第2楽章と並んで素晴らしく、表情の立ち具合も第1楽章より遙かによく、卓越したフィナーレと感じました。

明日は、シモーネ・ヤング/西オーストラリア響とリサ・ガスティーンによるワーグナーとR・シュトラウスの歌曲・管弦楽作品のアルバムについて感想を書きます。

アマディンダ・パーカッション・グループによるケージの打楽器作品集の第5集


ケージ 打楽器のための作品集・第5集
 アマディンダ・パーカッション・グループ、コチシュ(pf)
 フンガトロン 2007年 HCD31848

かなりゆっくりとしたペースでリリースが続けられている、フンガトロン・レーベルによるジョン・ケージの打楽器のための作品集の第5集です。

収録曲は①Six②クヮルテット③一の四乗④ダンス・ミュージック⑤三の二乗。

①、③、⑤のいわゆる「ナンバー・ピース」系列の作品はケージの最晩年の時期の作品で、逆に②と④はケージの最初期の頃の作品です。このうち④は本ディスクが世界初録音とのことです。

ところでこの②のクヮルテットは、ケージの初のパーカッション作品として有名なものなんですが、このディスクと同じシリーズの「打楽器のための作品集・第1集」の方にも入っているんですよ。なんで同じ曲を2度録音?と思って良く見ると、第1集の方は4楽章すべて入っているのに、こちらの第5集では第3楽章を除いた3楽章版で収録されてます。

今回の録音は、中間2つの楽章のどちらかを省いても良いというケージの指示に基づくものらしいですね。印象的にも「モデラート」、「スロウ」、「ファスト」という各楽章の速度対比が鮮やかになって、よりメリハリ立った感じがします。この②と④のダンス・ミュージックはケージの初期作品だけに感覚的にも聴きやすく、パーカッション・リズムの放つ直截な熱狂感に魅力があります。

それに対して①、③、⑤のナンバー・ピース系列作品は、ガラッと趣きが異なって、リズムの熱狂感を前面に押し出すことはひかえめ。むしろ弱音ないし無音の発する静謐な緊張感に得難い個性味をもちます。特に③における無音状態の形成する凍てついた沈黙はかなり印象深いもので、聴いていて時間が凝縮するような感覚に襲われるというような。

アマディンダ・パーカッション・グループの演奏はいつもながら良くて、その打音はシャープにして強度感豊か。やはり強打時におけるパーカッションの響きが立ってこそ、弱音や無音での静謐が強調されることを、あらためて実感させられます。

明日は、マッケラス/フィルハーモニア管によるシューベルト交響曲第9番「グレイト」のライブ盤について感想を書きます。

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