ノリントン/シュトゥットガルト放送響によるブルックナーの交響曲第6番


ブルックナー 交響曲第6番
 ノリントン/シュトゥットガルト放送交響楽団
 ヘンスラー 2007年ライブ CD93.219

ノリントンがシュトゥットガルト放送響と進めているブルックナー・チクルスの第2弾となるディスクです。ロンドン・クラシカル・プレーヤーとの録音も含めると、ノリントンの3枚目のブルックナーになります。

ただ、前2つの録音はいずれも第3シンフォニーの初稿版だったから、言ってみれば特殊な版による、搦め手勝負の録音という感じもしました。その点、今回の第6シンフォニーはノヴァーク版による真っ向勝負というところでしょうか。

さっそく聴いてみると、第1楽章冒頭のppからキリッとした音立ちが鮮やかで、強奏時においては金管部の鳴り具合が抜群にいいですね。(1:05)のホルンといい、(4:25)のトロンボーンといい、その鳴りっぷりのよさに惚れぼれします。対して弦パートは重厚感にこそ乏しいものの強度感は充分、総じて響きの幅を絞った鋭角的なフレージングの厳しさがいい感じです。

ただ、トッティでの量感が伸び切らない点がちょっと気になるところで、聴いた感じだとおそらく10型くらいの、やや小型編成だと思うんですが、例えば展開部の山場の(8:11)でのf2つと、再現部突入(8:38)のf3つとのダイナミクスそれほど違わない感じがしたり、ここぞという時のアンサンブルの質感の集約がいまひとつ弱い気がします。

第2楽章は冒頭のオーボエのソロといい、全体にヴィブラートを抑えての澄んだ音色によるフレーズ展開が甘さを排した美しさを湛え、傾聴させられます。ノリントンの指揮も、第3テーマの(4:40)でのティンパニのppをかなり強めに叩かせたりして、音楽を必要以上に甘口に流さない。第3楽章もソノリティの感触をシャープに維持しながらの、メリハリの強いフレージング展開で、そのハキハキとした音楽の流れが聴いていて爽快です。

終楽章も同様ですが、ここはちょっとテンポが速すぎる気もしますね。フレージングをあまり歌わないで短距離的に繋ぐ感じで、颯爽としていて表情が快活ですが、局面によってはもっとじっくりフレーズを繋いだ演奏で聴きたいというような印象も残りました。

明日は、アマディンダ・パーカッション・グループによるジョン・ケージの打楽器作品集についての感想を書きます。

ブーレーズの指揮と4人のソリストによるバルトークの協奏曲作品集


バルトーク ヴァイオリン、ヴィオラ、ピアノと打楽器のための協奏曲作品集
 バシュメット(va)、クレーメル(vn)、
 エマール(pf)、ステファノーヴィチ(pf)、
 ブーレーズ/ベルリン・フィル、ロンドン交響楽団
 グラモフォン 2008年・2004年 4777440

4777440

ピエール・ブーレーズによる一連のバルトーク・シリーズの完結となるディスクです。

収録曲は、
①2台のピアノ、打楽器と管弦楽のための協奏曲
②ヴァイオリン協奏曲第1番
③ヴィオラ協奏曲(シェルリ補筆版)

ソリストは①がタマラ・ステファノーヴィチ(第1ピアノ)とピエール=ローラン・エマール(第2ピアノ)、②がギドン・クレーメル、③がユーリ・バシュメット。オーケストラと録音年は①がロンドン響で2008年、②と③がベルリン・フィルで2004年。

この3曲はいずれもバルトークの協奏曲作品としては特殊な位置づけにあるためか、録音も相対的に少ないです。①は編曲作品ですし(原曲は「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」)、②は作曲以来数奇な運命を辿ったバルトークの遺作、③はもともと未完成の作品を弟子のシェルリが補筆した、バルトークの絶筆です。

演奏内容はさすがにというべきで、バルトークの比較的マイナーな作品群がブーレーズの統制のもと、超豪華ソリスト陣によって煌びやかにリフレッシュされたようなアルバムで、それぞれの作品の魅力があらためて強力にインプットされるほどのインパクトがありました。

①はもともとエンターテイメント色が強い作品ですが、やはりピアノと多種の打楽器との音色の華やかな饗宴が魅力です。ここでのブーレーズの表現はピアノより打楽器をいくぶん強調したバランスとなっているようで、第1楽章の(3:21)からの第1テーマとか、(5:00)からの第2テーマなど、いずれも強度的には抑制が効いていて、逆にティンパニや小太鼓などは強く鳴り切らせる。終楽章の第1テーマを出す木琴も含めて打音のパンチ力やリズムの勢い、音色の鮮烈感、いずれも見事です。逆に第2楽章はピアノ・ソロの幽韻な音色を主役としてムードをガラリと転換。このあたりの切り替えの妙味はさすがに現代畑のブーレーズの演奏という感じでしょうか。

②ですが、第1楽章の冒頭からクレーメルのソロが意外にヴィブラートを強めにかけているのが印象的です。かなりロマンティック。(5:08)からの第2テーマ発展部の美しいこと。第2楽章はクレーメルのヴィルトゥオーゾ全開。湧きたつような狂騒感が支配する中、終曲間近の(11:11)でホルンがガイエル・テーマを優しく奏でる場面の美しさがまたいいです。

③ですが、意外にもバシュメットの初録音です。満を持しての、というところでしょうか。全体にバシュメットの名技ぶりが絶妙で、例えば第1楽章中盤の(6:12)からの重音奏法、直後のカデンツァなど、難所を事も無げに弾き抜くテクニックの切れに聴いていて唖然とするほど。第2楽章の(2:29)からのモルト・ヴィブラートのところは、超高音に閃くヴィブラートの美しさにはゾクッとしました。

デュメイ/ヴァロニエ室内王立管によるラヴェルとショーソンのヴァイオリン名曲集


ラヴェル ツィガーヌ&ショーソン 「詩曲」、ピアノとヴァイオリンと弦楽四重奏のための協奏曲
 デュメイ(vn、指揮)/ヴァロニエ室内王立管弦楽団
 Cascavelle 2005年 VEL3082

おとといのサントリーホールで購入したディスクです。当夜のコンサートで聴いたオーギュスタン・デュメイのソロによるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏は素晴らしく、デュメイの持ち味ともいうべき、闊達なフレージングのパッションと、美麗にして熟した音色とが醸し出す響きの魅惑に酔わされた演奏でした。

その演奏後にロビーで買ったのがこのディスクで、ラヴェルとショーソンのヴァイオリン名曲で編まれたアルバムですが、ここでは3曲とも、本来の編成ではなく、弦楽オーケストラ伴奏ヴァージョンに編曲されています(編曲者はモラーゲス五重奏団のオーボエ奏者、デイヴィッド・ワルター)。

なぜ編曲する必要があるのかという理由ですが、どうも作品ごとに違っているようです。ツィガーヌと「詩曲」に関しては、本来のフル・オーケストラ版では響きが重たすぎるというアイザック・スターンの要望を受けての編曲らしいです。「協奏曲」の方は逆に、この曲を本当に「協奏曲」として演奏したいがため、本来の弦楽四重奏のパートを弦楽オーケストラ用に直してます。いずれにしても、原曲とは雰囲気が微妙に異なっていて、音楽のムードが独特ですね。

まあ、それは別としても、デュメイのソロが3曲とも好調で聴き惚れるばかりです。ベストは「詩曲」。(11:36)からのメロディ(第2テーマ)がピチカートで歌われる場面の、得も言われない美しさ、(13:08)の盛り上がりの圧倒的な情熱味。

ヴァロニエ(ワロニー)室内王立管はベルギーの名門室内オーケストラで、エリザベート王妃国際コンクール本選で伴奏を務めるオーケストラとして有名です。デュメイが2003年より主席指揮者を務めています。

明日からはしばらく、最近リリースされた新譜ディスクの演奏について感想を書こうと思います。まず、先月リリースされた、ブーレーズの指揮と4人のソリストによるバルトークの協奏曲作品集のアルバムについて感想を書きます。

コンサートの感想:ストリンガー/都響によるブルックナーの6番


昨日サントリーで聴いたストリンガー/都響によるブル6の演奏の感想を書きます。

マーク・ストリンガーはアメリカ出身の中堅指揮者で、現在44歳。オペラ・ハウスでのキャリアが中心のようですが、2004年からはウィーンの音楽大学で教授を務めているとのことです。

そのストリンガー指揮の演奏を聴くのは当夜が初めてだったですが、全体に手堅いながらも決めどころはきちんと決めていて、突出した特徴には欠ける感じでしたが、この作品の姿を丁寧に組み上げていて聴いていて過不足感がなく、聴き終えてあらためていい曲だったなと思い返せるような演奏でした。

振り返ってみると、今月サントリーで聴いたブルックナーの4つの実演は、いずれも名演だったですが、例えば12日のヘンヒェン/日本フィルによる交響曲第9番は造形的迫力が素晴らしかった。16日のムーティ/ウィーン・フィルによる交響曲第2番は圧倒的な美演だった。22日のスクロヴァチェフスキー/読売日響による交響曲第0番は細密的迫力が凄かった。しかし26日のストリンガー/都響による交響曲第6番は、前3者のような、これだ!的な明確な個性は正直感じませんでしたが、何がどうというのでなく、いい演奏だったという率直な印象が残りました。この6番が私の愛聴曲だからかもしれないですが。

都響の演奏ですが、管楽器のソロの冴えが抜群でした。この点に関しては、今月の4演中でも一番だったと思う。ウィーン・フィルよりも。

そういうわけで、今月はサントリーホールでブルックナーの名演を4回も楽しんだわけですが、この中でのベスト・コンサートは、というと、おそらく12日のヘンヒェン/日本フィルによる交響曲第9番ということになると思います。やはり、曲の深みというか密度という点で、他の3曲を上回っているので、仮に演奏水準が同列としても、どうしてもこの9番が勝ちますね。もっとも他の3演も、同じ曲の実演としては、過去に聴いたどのコンサートよりも上だったと思います。

また、昨日ロビーで買ったCDについてですが、ストリンガー指揮の演奏のCDはありませんでした。彼の指揮で何かCDが売られていれば買おうと思ったんですが。

ですので、デュメイとヴァロニエ室内王立管によるラヴェルとショーソンのヴァイオリン名曲集のCDを買って帰りました。

明日のブログでは、このCDの演奏の感想について書こうと思います。

サントリーホールで今月4回目のブルックナーを聴く


今日はサントリーホールでコンサートを聴いてきました。

曲目は、ブルックナー・交響曲第6番。
指揮はマーク・ストリンガー、オーケストラは東京都交響楽団。

またコンサートの前半にはオーギュスタン・デュメイのソロによる、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏もありました。

これで、私はこの9月に、サントリーホールで合計4回ブルックナーの交響曲を聴いたことになります。具体的には、、、

12日:ヘンヒェン/日本フィルによる交響曲第9番
16日:ムーティ/ウィーン・フィルによる交響曲第2番
22日:スクロヴァチェフスキー/読響による交響曲第0番
26日:ストリンガー/都響による交響曲第6番

となります。今月のサントリーホールはどうしちゃったんだろうと思うくらいのラインアップ。もちろん単なる偶然によるものですが、ほとんどブルックナー・フェスティヴァル状態ですよ。

だいたい、ひとつのホールで月4回もブルックナーの交響曲が取り上げられること自体めずらしいですが、それに輪をかけてめずらしいのが曲目。なにしろ、0番、2番、6番、9番と、また見事にレアな作品が並んでいる。9番はレアじゃないでしょ?、と思われるかもしれないですが、実はレアです。CDはともかく、実演では。コンサートに取り上げられる頻度としては、4番と7番が最多で、それに続くのが3、5、8番。逆にいうと、ブルックナーの10曲の交響曲の中で、0、1、2、6、9番の5曲は、実演で取り上げられる頻度としてはレアな部類に属することになりますから。

で、その実演上レアな部類の5曲のうち、実に4曲までをサントリーで今月聴いたことになります。これだけでも十分満足なのに、さらに演奏が4公演とも、すべて名演だった。そういうわけで、今月は実に貴重にしてメモリアルな月だったです。

ジョン・キムラ・パーカーとレヴィ/アトランタ響によるバーバーのピアノ協奏曲


バーバー ヴァイオリン協奏曲、スーヴェニア、ピアノ協奏曲
 パーカー(pf)、マクダフィ(vn)、レヴィ/アトランタ交響楽団
 テラーク 1996年 CD-80441

今週月曜夜のコンサートの時にホールのロビーで購入したCDのうちの一枚です。当夜のブラームス・ピアノ協奏曲第1番のピアノ・ソロを務めたジョン・キムラ・パーカーによる演奏のCDとして販売されていたものです。

おとといのブログのコンサート感想記ではブルックナーのことばかり書いたんですが、実は前半のブラームスもなかなかでした。パーカーのピアノ・ソロが良かった。

ジョン・キムラ・パーカーはカナダ生まれの日系ピアニストで、1984年のイギリスのリーズ国際ピアノコンクールの優勝者です。実演で聴くのは当夜が初めてだったですが、非常に腕の立つピアニストであることは聴いていて明瞭で、なにしろミスタッチなどほとんど無い上に、個々の打音のキリッとした音立ちの良さ、フレージングのキレ、音色の美しさ、いずれも高い次元でまとまっていて、およそアラというものが無いですね。ブラームスにしては打鍵がちょっと軽いかとも思われましたが、全体としては、すこぶる洗練されたピアニズムの味わいを堪能した演奏でした。

で、このCDですが、ここではバーバーのピアノ・コンチェルトのソリストを務めています。この曲は、稀代のメロディ・メーカーであるサミュエル・バーバーの残した名作であると同時に、かなりの腕達者でなければ弾きこなせない難曲としても知られるものですが、聴いてみると、ここでのパーカーのソロは危なげのないテクニックを主体に、実演の印象を彷彿とさせる切れ味のいいピアニズムを展開し、叙情的色合いの強い作品のカラーに対してピリッとした緊張感をまとわせてます。第1楽章(8:30)からのカデンツァの華麗なこと。終楽章でのピアノの打楽器的な使い方も実に巧いです。レヴィ/アトランタ響の伴奏も充実していて、全般にバーバー特有のメロディの魅力が引き立ってますし、第2楽章カンツォーネでの木管の柔らかい響きの美感もいい。

カップリングの他の2曲もピアノ協奏曲同様に名演と思いますが、敢えて難点をいうなら音質ですね。テラークにしてはちょっとモヤッとしてます。まあ、ロビーで購入したもう一枚のデンオンのSACD盤の音質が良すぎるので、そう感じるのかも知れないですが。

スクロヴァチェフスキー/読売日響によるブラームスの交響曲第1番


ブラームス 交響曲第1番
&J.S.バッハ トッカータとフーガ・ニ短調BWV565
 スクロヴァチェフスキー/読売日本交響楽団
 デンオン 2007年ライブ COGQ-34

おとといのコンサートの時にホールのロビーで購入したCDのうちの一枚です。先月リリースされた新譜のようです。バッハの「トッカータとフーガ」はスクロヴァチェフスキーによるオーケストレーション版です

ちなみにそのロビーのCD売り場でこのディスクを買うと、ミスターSの直筆サイン色紙が贈られるというので、その色紙ももらいました。25センチ四方の立派な色紙でした。

で、このCDの演奏は07年9月27日の東京芸術劇場でのコンサートのライヴ録音なんですが、実はこのコンサートには行ってまして、この演奏を客席で聴きました。当日はCD収録のブラームスとバッハの他に、ショパンのピアノ協奏曲第2番の演奏もありました。ピアノ・ソロはエヴァ・クピーク。

ただ、ブラームスに関しては、その時はそれほど強い感銘は、正直受けなかったですね。もちろん悪い演奏とは思いませんでしたが、ミスターSにしてはいまひとつ、という印象もあって、特にそのコンサートの数日前に、同じ読売日響を振ったショスタコーヴィチの10番の演奏を、サントリーで聴いていて、そちらがまさに超ド級の演奏だったから、相対的にこのブラームスは物足りない感じがしました。

だから、このCDもそれほど強い期待を持たず、むしろ実演に立ち会った記念として購入したんですが、聴いてみると、あまりの名演ぶりにビックリしました。

率直にいって、実演をはるかに上回るインパクトです。SACDハイブリッド仕様の音質がまた極上で、ヴォリュームを上げると、まるでホール前方の席で聴いているかのような、抜群の臨場感。そして、この録音から受ける感触が、おとといサントリーで聴いたブルックナー0番の実演での印象にかなり近い。考えてみれば、ブラームスの時の座席は芸術劇場の2階正面K列の席で、ステージからかなり遠かったんだ。そのせいで音の勢いがかなり弱まって届いたのかもしれない。サントリーの時は1階の前から2列目だったので、おそらくブラームスの時も、ステージ前方の席で聴いたら、こんな風に聴こえたに違いないと思う。

とにかく、これは名演! アンサンブルの力感や音勢の水準が軒並み高く、それでいて響きの練り上げは緻密を極める。例えば第1楽章の(12:09)からの山場など、信じがたいほどのハーモニーの情報量とアンサンブルのド迫力が、一体的に結託していて、聴いていて圧倒されます。ミスターSはこのブラームスの1番をかつてハレ管と録音していますが(IMPレーベル 1987年 KOS/IMP110)、それと比べてもこちらの読売日響とのライブの方が名演だと思う。ハレ管との録音では、迫力面に物足りなさがあって、どうも細部に懲りすぎというのか、手が込みすぎて音楽としてのアクティビティが逆に削がれているように思われたんですが、この読売日響とのライブでは、同じように細部にこだわった演奏なのに、迫力水準が素晴らしいですね。

明日のブログでは、おとといロビーで購入したもう一枚のCD、ジョン・キムラ・パーカーとレヴィ/アトランタ響によるバーバーのピアノ協奏曲の録音の感想を書きます。

スクロヴァチェフスキー/読売日響のコンサートの感想


きのうの夜サントリーで聴いたスクロヴァチェフスキーと読売日響のコンサートの感想を書きます。

やはりブルックナーが圧巻でした。ミスターS持ち前の緻密な解釈の上に、アンサンブルに漲る力感や音勢に圧倒的な充実感があって、このブルックナー初期のシンフォニーが、中期のそれにも比肩する迫力とスケールで鳴り響いた。特に終楽章の素晴らしさはちょっと忘れがたい。中盤のフーガから後半のクライマックス、そしてコーダへと到るまでの音楽の流れは、客席で聴いていて鳥肌が立ったほどです。まさに、このブル0を聴く醍醐味が、そこに凝縮していました。

ミスターSは現在85歳という高齢ですが、その指揮姿に老衰の陰りはおよそ無くて、特に第2楽章が終った後、休憩もとらずにそのまま第3楽章を続けられたのには驚かされましたね。本当に85歳?というような。指揮ぶりも精悍そのもの。

ただ、ミスターSは読響常任のポストを、2010年3月で退任することが既に決定したみたいですね。後任の指揮者ももう決まったようです。ちょっと残念な気がしますが、いずれにしても、これほどの指揮者が東京のオケの常任にいるというのは、全く嬉しいかぎりです。

ちなみに今このブログを書きながら、ミスターSによるブル0のCDを聴いてます。ザールブリュッケン放送響との1999年の録音です。8年くらい前に購入したCDですが、造型の取り方など、昨日の実演とほぼ同じだと思います。部分的な特徴もほぼ共通で、例えば第1楽章の第1テーマ再現部(8:38)からのセカンド・ヴァイオリンの大胆な強奏とか、昨日の演奏でも凄かったですよ。ただ、迫力や音勢などでは、たぶん実演の方が優っていたと思います。CDだと、確かに緻密なんですけど、アンサンブルがどうもこじんまりしてますね。

ちなみに昨日ロビーで購入したCDは、以下の2枚です。

ブラームス 交響曲第1番
&J.S.バッハ トッカータとフーガ・ニ短調BWV565
 スクロヴァチェフスキー/読売日本交響楽団
 デンオン 2007年ライブ COGQ-34

バーバー ヴァイオリン協奏曲、スーヴェニア(思い出)、ピアノ協奏曲
 パーカー(pf)、マクダフィ(vn)、レヴィ/アトランタ交響楽団
 テラーク 1996年 CD-80441

これらのCDの感想も後日掲載します。

サントリーホールでダブル・ブッキング


今日はサントリーホールでコンサートを聴いてきました。

スクロヴァチェフスキーの指揮、読売日本交響楽団の演奏で、演目は前半がブラームスのピアノ協奏曲第1番(ソリストはジョン・キムラ・パーカー)、後半がブルックナーの交響曲第0番。

演奏の感想は後日書きますが、ここではホールでのちょっとしたハプニングについて書きます。座席のダブル・ブッキングです。

今日も例によって開演5分くらい前に当日券で飛び込んだんですが、やはりというか、その時点でほぼ満席状態で、空席はほんのわずかしか残っていなかった。ミスターSがブルックナーを振る公演は、だいたい平日でも満員になりますから。今年4月の交響曲第5番の公演の時もそうで、平日なのにチケット完売で当日券無し。キャンセル待ちで何とか入れたんだ。ミスターSは現在、ブルックナーの演奏で最もお客を呼べる指揮者ですね。

だから今回もキャンセル待ち覚悟で行ったんですが、当日券が5席だけ残ってた。そのなかで1階席の2列29番の席を購入し、ホールへ。

で、その席に行くと、すでに年配の女性の方が着席されている。チケットを見せていただいたら、私と同じく、1階席の2列29番とある。その時点でもう開演の7時をまわっていたので、係員のところにすっ飛んで行って、事情を説明。折よくお隣の28番の席が空いていたので、とりあえずそこへ座って下さいと指示され、前半のブラームスをそこで鑑賞。

休憩時に係員の人が席に来て、チケット購入時にホール側の手違いがあったことの説明を受けました。もともと定期会員の方のキャンセルで空いた席らしいんですが、その席は本来1階2列28番だったのを、ホール側が1階2列29番と間違えて販売したので、ダブル・ブッキングが生じたということでした。

というわけで、後半のブルックナーも28番席で聴いたんですが、それにしてもコンサートの座席のダブル・ブッキングというのは初めてです。貴重な経験というか^^);

ただ、コンサートの座席のダブル・ブッキングというのは、飛行機の座席やホテルの部屋のダブル・ブッキングとは訳が違いますから、一瞬あせりました。今回の場合、当然あとから来た私の方が他席に行くことになるわけですが、もしその席が悪い席だったらと思うとね。実際、当日券の5席のうち、残り4席はすべてホールのかなり後方の席だったから、そっちに回されるとイヤだなあとか、前半のブラームスの時に考えちゃうわけですよ。まあ結局、後半も購入席の隣席で聴けたから良かったですが。

で、演奏の感想は後日書きますが、やはりブルックナーが良かったですよ。前半のブラームスも、聴いている時はいいなぁと思ったんですが、あのブルックナーの後だと、ちょっと印象が霞んでしまった。って、なんか同じようなことを先週も書いたような^^);

カイルベルト/バイロイト祝祭管によるワーグナー楽劇「ジークフリート」全曲


ワーグナー 楽劇「ジークフリート」全曲
 カイルベルト/バイロイト祝祭管弦楽団
 テスタメント 1955年ライブ SBT41392

昨日はカイルベルトの「ワルキューレ」について書きましたが、今日は同年のバイロイト・ライブの「ジークフリート」について書きます。

リリースはこちらが先だったので、音質の良さにビックリしたのもこちらが先ですが、音質面でとくに凄いと感じたのは第2幕2場の「森のささやき」のシーン、(0:54)からのフルートのppのマルカート・フレーズがくっきり鮮やかだし、つづくオーボエとクラリネットの旋律も実にカラフルで、このシーンの音楽がいかに美しいかが、下手なデジタル録音よりも如実に伝わってきます。

カイルベルトの指揮の推進性は当時「高速汽船のよう」と評されたそうですが、それはクナッパーツブッシュの「オーソドックスな」(当時の)テンポ運用とは、「正反対」(カイルベルト談)、とまではいかなくとも趣きにかなり差異があるようです。クナの深いフレーズの呼吸、そこから導出する悠々たるタイムスケールはここには希薄とはいえ、そのダイナミクスの強力な躍動感やスリリングなスピード感は、むしろこの「ジークフリート」には合っている。ファフナー戦の場面での、高速にたたき込まれる金管パッセージ(角笛動機→ノートゥング動機→ジークフリート動機)の急迫感! 金管の勇壮な厚味も軒並み素晴らしく、第3幕前奏曲での契約動機のファンファーレなどすさまじい限り(そのぶん黄昏動機がかなり喰われて聞こえますが)。

ジークフリート役ヴィントガッセンは、スタジオ録音のショルティ盤より圧倒的に上! 何しろ発声に若さがみなぎるし、全盛期のこの歌手の、天性の美声と高音の厚味の同時共存の凄さは、他に比肩がないほど。全体に立派ですが、その中でもやはり第1幕ラスト「鍛冶の歌」と第3幕ラストのブリュンヒルデとの二重奏は一頭地を抜いてますね。前者のハンマーがまた豪快で、オーケストラもバンバン鳴り切り、聴いていて体が火照ってくるほど。ブリュンヒルデ役ヴァルナイは、もちろん終盤しか出ませんが、恐るべき情感浸透力。第一声「太陽に祝福を」から鳥肌もので、終幕までのヴィントガッセンとの二重奏は、60年代のニルソンに限りなく迫るくらいの充実感に満ちてます。

ウォータン役ホッターはいつもながら抜群の出来。アルベリヒ役ナイトリンガーも第2幕冒頭のアリアなど、鬼気迫る歌唱で凄みがある。ここは「アルベリヒの呪い」動機のトロンボーンが強烈。ミーメ役クーエンは芝居気豊かで、第1幕3場のジークフリートに「恐れ」を語る段など感情移入が凄まじい限り。ただ、ヴィントガッセンと声質的に似ている感じがあるので、両者の掛け合いのメリハリが聴いていてやや弱い気もします。シュトルツェやツェドニクあたりだとあまり感じないんですが。

カイルベルト/バイロイト祝祭管によるワーグナー楽劇「ワルキューレ」全曲


ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」全曲
 カイルベルト/バイロイト祝祭管弦楽団
 テスタメント 1955年ライブ SBT41391

このワーグナーはリリース時、かなり話題になりました。収録以来50年もの眠りを経て、2006年に突如出現した、バイロイト・ライブの高音質ステレオ盤。

最初にリリースされたのが「ジークフリート」で、その1955年のバイロイトフェスティヴァルのライブ録音がステレオの驚異的な音質でよみがえり、度肝を抜かれましたが、続いてリリースされた「ワルキューレ」「ラインの黄金」「神々の黄昏」にも同様に度肝を抜かれました。

今日ひさしぶりに聴いてみて、このカイルベルトの「ワルキューレ」の素晴らしさを改めて認識させられました。音質ももちろん凄いですが、それ以上に音楽の実在感が素晴らしい! セッション録音では味わいにくいオペラティックな音楽の息吹、生命感が常にみなぎり、全編4時間があっという間に過ぎていく。

第1幕冒頭の(1:28)あたりなど聴いていて総毛立つほどだし、後半のジークムント(ヴィナイ)とジークリンデ(ブレウエンステイン)の二重唱なども、実に感動的でジーンとくるというか何というか。そして、それら以上に最高なのが第1幕ラスト。なんという凄まじいアッチェレランドであることか。このあたりはもう、聴いていて興奮の極み。第2幕はホッター(ヴォータン)やヴァルナイ(ブリュンヒルデ)といった名歌手たちの全盛期の歌唱が堂に入っていて実にいいし、第3幕に至っては、これ以上の録音は考えられないと思うくらい凄いですね。

明日はカイルベルトの「ジークフリート」について感想を書きます。

ベーム/ウィーン・フィルの77年来日公演ライブ


モーツァルト 交響曲第29番
&R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」
 ベーム/ウィーン・フィル
 TDKコア 1977年ライブ TDK-OC006

しばらくコンサートの話が続いたので、今日から本来のCD感想の方へ戻ります。ただこれからは、文体を変えようと思います。コーヒーブレイクのカテゴリと同じく「です・ます調」に統一します。この方がブログらしいですし。

で、今日のCDですが、とりあえずウィーン・フィル絡みということで、今年買ったウィーン・フィルのCDの中で最高の演奏と思われるCDについて書きたいと思います。これはFM東京による放送録音を音源とするTDKオリジナルコンサート・シリーズに含まれているディスクです。77年のカール・ベームとウィーン・フィルのコンビの2度目の来日公演時におけるコンサートのライブ、およびプローべ風景(ブラームスの2番)が収録されています。

といっても、これは別に今年発売のものではなく、もうだいぶ前からリリースされていたものです。それをなぜ、今年買ったかというと、そのTDKオリジナルコンサート・シリーズの全タイトルが2008年初頭に一律千円に値下げされたからです。なんでも、TDKコア・レーベルがコロンビア・ミュージックの傘下に組み込まれたことが契機の値下げだそうですが。

レギュラー・プライスで出ていたCDが廉価盤で再リリースされるのはよくあることですが、そういう場合はまずCDのプロダクトナンバーが変わるうえに、ジャケ絵やカップリング構成が変わったり、音質に手を加えられたりして、レギュラー・プライスのオリジナル盤と差別化されるのが、まあ普通です。しかし、このTDKのシリーズの場合はそうではなく、オリジナル盤がそのままプライス・ダウンしているわけで、こういうプライス・ダウンは非常に珍しい。それも以前の半値以下というかなりの値下げです。

レギュラー・プライスだと、おいそれとまとめ買いはできないですが、千円盤なら、おいそれとまとめ買いできるので(笑)、この値下げを機に同シリーズのディスクのうち未購入のものを選んで数点購入したんですが、その中でも最もインパクトの強かったものがこのディスクです。

収録されているコンサートの演奏内容が2曲ともに圧倒的な名演です。モーツァルトの29番はまるで鈍行列車のようなゆっくりとしたテンポから繰り出されるウィーン・フィルの馥郁たる音響美が抜群で、まるで50年代の同フィルのアンサンブルのような、高雅な音色の芳しさに何ともいえないものがあります。「ドン・ファン」はウィーン・フィルのまさにベスト・コンディションともいうべきアンサンブル展開の充実感が素晴らしく、金管パートは軒並み絶好調で、全体に強奏時の濃密な音響のリアリティが非常に際立った演奏です。

明日は東京に台風が来るらしく、まあ一日家でゆっくりCD鑑賞かなと。久しぶりにワーグナーのオペラ全曲盤をじっくり聴きたい。その感想を明日のブログで書きます。

ウィーン・フィル来日公演にて(その3)


今日も昨日の続きということで、ホールのロビーで買ったCDについて書きます。

コンサートに行くと、大概そこでCDを買ってます。そのコンサートを聴いた記念としての意味も込めて。もちろん、自分が持ってないCDを買うというのが前提で、売られているCDがすべて所有済みだった場合は買いませんが。

で、おとといですが、まず休憩時にロビーで売られているCDの品揃えを確認。ムーティ指揮のものと、ウィーン・フィル演奏のCDがズラッと並んでました。

しかし、その日の演目のハイドンの67番のCDは無かったですね。その日の演目のCDが売られてないというのは、結構めずらしいですが、さすがに曲が曲だけに、というところでしょうか。

ブルックナーの方は、ムーティがベルリン・フィルと録音したものがありました。でもこれは持ってるし、特に買う必要なし。演目の2番のCDはというと、やはりというか、ホルスト・シュタイン指揮ウィーン・フィルのCDがありました。でも、これも持ってるから、特に買う必要なし、、、と思いつつ、良く見ると、ジャケットに≪SHM-CD仕様≫の文字が。

SHM-CD、つまり新素材CDによる高音質盤ですね。最近よく見かけるものですが、このシュタインの演奏で出ているとは知らなかった。ちょうどこの9月にリリースされたものらしいですが、もしかすると、今年鬼籍に入られたシュタインの追悼盤としての意味もあるのかもしれない。

というわけで(←どういうわけ?)、購入しました。^^);

いま、そのCDを聴きながらこのブログを書いてます。音質なんですが、率直にいうと一長一短という感じです。

同じ演奏のノーマル仕様のもの(POCL-4321)とちょっと聴き比べてみたんですけど、SHM-CDの方が解像度が若干ですが向上してると思います。特に強奏時のトッティの解像度がかなり良くて、そのぶんノーマル仕様よりも迫力を感じる。これを長所とすると、短所は、響きが全体に硬質感が先立つような、悪い意味でデジタル的な音質になっているように思える点です。アナログ録音を強引にデジタル的な音響にしたような、味の薄さというか、そういう印象を受けます。

というわけで、解像度ではSHM-CD、味の濃さではノーマル仕様。

まあ、こういう風に同一演奏で聴き比べたのは今回が初めてですし、双方の音質差が画一的にこうだとは到底いえないと思いますが、少なくともこのシュタイン盤についてはそう思いました。

ウィーン・フィル来日公演にて(その2)


昨日のつづきです。演奏の感想について書きます。

やはりブルックナーが良かったですよ。前半のハイドンも、聴いている時はいいなぁと思ったんですが、あのブルックナーの後だと、ちょっと印象が霞んでしまった。

使用版はノヴァークの方だったですが、この曲の場合はハースもノヴァークも大して違わないから、それはいいとして、演奏の印象は一言でいうと「美演」。ヴァイオリンとヴィオラを対抗させた配置から、ウィーン・フィルの優美な音色と味の濃いハーモニーの魅力が充満した演奏で、ことアンサンブルに関してはオーケストラの持ち味が非常に良く出ていたと思う。

その持ち味をそこまで発揮させたのは、おそらくムーティで、その指揮は本当にスコア通りだった。とにかく余分なことをしない。彼はクレッシェンドでもほとんど加速しないし、デクレシェンドでもほとんど減速しない。速めのイン・テンポを順守して、そのかわり強弱の起伏のみ鋭敏に印象づける。オーケストラは細かいテンポの動きに煩わされることがないから、持ち前の音色の魅力をほぼフルに発揮できたんだと思う。

ただ、造型に関しては、先週聴いたブルックナー9番を指揮したヘンヒェンほどには練り切れてはなかったように思う。ヘンヒェンのブルックナーでは、トッティでのハーモニー展開が完璧に近く、どんなに大音量でも管と弦の響きの境界が明瞭だったし、高弦と低弦で違う音形を弾く場合なんかもそうだった。だから造型的迫力が凄かったんだけど、それに比べるとムーティの指揮では、特にトッティで楽器間の境界線が曖昧になるんだ。モヤモヤっとした感じ。

だから造型的迫力という点では、先週のヘンヒェンのブルックナーに一歩を譲ると感じた。だけどそれに代わる、掛け替えのない魅力が、楽器同士の渾然と溶け合うハーモニーの美しさ。これがこの前の改修でさらに良くなったサントリーホールの残響特性に増幅されて、陶酔的なまでの音響美を湧き起こした。モヤモヤなんだけど、圧倒的に美しいモヤモヤ。うーん、やっぱり言葉にするのは難しいですね。

で、演奏自体は十分に堪能したんですが、ウィーン・フィルの来日公演としてみると、印象度的には中くらいかなと。ウィーン・フィルの来日公演はここ10年に限ると昨日の公演を含めて5回聴いているんですが、印象度的に一番良かったのは、ラトルと来たときで、次がゲルギエフと来たとき。逆に印象があまり冴えなかったのが、小澤と来たときと、アーノンクールと来たとき。その点では、今回のムーティは、ちょうど真ん中です。

おおまかな感想は以上です。あと、ホールのロビーで買ったCDについて書きたいので、それについて明日書きます。

ウィーン・フィル来日公演にて(その1)


今日はサントリーホールでウィーン・フィルのコンサートを聴きました。指揮者はリッカルド・ムーティ。

今日の公演は曲目がすごくて、前半:ハイドンの交響曲第67番、後半:ブルックナーの交響曲第2番という、誰が考えたんだろうこれ、的なプログラム。配布されたパンフレットによると、ムーティの選曲によるものらしい。ムーティはレパートリーの広い指揮者だから、ハイドンやブルックナーを振ること自体は別に驚かないとしても、曲がそれぞれ67番と2番というのは、またずいぶん思い切ったものだと思う。

まあ、今日はブルックナーの2番目当てで行きました。この曲は大好きだけど(基本的にブルックナーは全曲好きだが)、なかなか実演では聴けませんから。それが、まさかウィーン・フィルの実演で、しかも日本で、この曲が聴けるなんて。今日のコンサートは待ち遠しかった。

で、そのコンサートの話の前に、開演前のちょっとしたことについて書きます。開演5分前くらいに着席したとき、ステージ上に楽器がもうスタンバイされていたんですが、そこにハープが置いてあった、という話です。

ハープはブルックナーの2番では使わないし、もちろんハイドンに使うわけがない。ということは、明らかにアンコール用。つまり、あのハープは、「今日のコンサートはアンコールがあるから、ブルックナーが終っても帰らないでください」という、聴衆への無言のメッセージだった。

なぜこんなことを書くかというと、実際あのハープのおかげで助かったから。コンサートではブルックナーの後にはアンコールが無い場合が圧倒的に多いから、今日もそうなんじゃないかと思って、ブルックナーが終ったら終演の拍手に最後まで付き合わずにホールを出ようと思っていたんだ。明日も朝から仕事だし、あまり遅くなってもね。終演直後は出口が混むし、早く席を立つに越したことはない。だけど、あのハープのおかげで、アンコールがあることが明示されていたから、そうせずに済んだ。

アンコール曲は、ジュゼッペ・マルトゥッチ「夜想曲」。ナマで聴くのは初めてだし、こういう珍しい曲をウィーン・フィルで聴くのもまた格別。

演奏の感想ですが、今日はもう時間が遅いので明日書きます。

ヘンヒェン/オランダ・フィルによるブルックナー交響曲第3番


ブルックナー 交響曲第3番
 ヘンヒェン/オランダ・フィル
 レーザーライト 1989年 COCO-78032

08年9月12日にサントリーホールでヘルトムート・ヘンヒェン指揮日本フィル演奏によるブルックナーの9番を聴いたが、これが非常な名演だった。前半にはシューベルト「未完成」が演奏され、こちらはいまひとつと感じたが、後半のブルックナーではアンサンブルの充実感が見違えるばかりで、特に強奏時の迫力が素晴らしく、12型の編成をフルに鳴らし切ったような突き抜けた響きがホールに充溢し陶酔させられた。ヘンヒェンの指揮も実によく、アンサンブルから迫真の響きを引き出しながらハーモニクスのバランス統制に綻びがなく、なんというか、ブルックナーが堂に入っている、という感じだ。造形バランスが練り切られているため、その充実した音響の魅力に安心して浸ることができた。

ヘルトムート・ヘンヒェンは現在65歳とのことで、経歴としては1980年代半ばまでは東ベルリンを中心に、それ以降はオランダを中心に活動を行っている。特にオランダ・フィル首席指揮者在任時にレコーディングが多いようで、このブルックナーの3番もそのオランダ・フィルとの録音。

ただ、このCD、購入したのはもう15年くらい前で、ここ10年くらいは聴いた覚えがない。演奏を聴いた時の印象も良く覚えていない(感想記録にも残っていなかった)。それで、久しぶりに聴いてみたのだが、やはりいまひとつ印象が弱い。丁寧でまとまりの良く、規範的でスコアに誠実な演奏なのだが、それ以上の特徴感に乏しく、教科書的というのか、どうも聴いていて新鮮味に乏しい感じを否めなかった。とりわけ強奏時の音の勢いやダイナミクスの腰の強さが、実演に比してかなり聴き劣るように思えるし、ここぞという時の緊迫感もいまいち伸びない。音質も全体に平板で、音色の繊細な機微の伝達感が十分でないように思う。この録音は今から20年ほど前の録音だが、残念ながら先日サントリーで聴いた実演の凄さの半分も発揮されていないように感じる。もし現在ヘンヒェンがブルックナーを録音し直したら、きっと名演となるに違いないと思うのだが。

別練サイトの方にCD感想を追加


別練サイトの方のCD感想リストに以下のものを追加しました。

・マリー=クレール・アランによる第2次バッハ・オルガン作品全集
・ケーゲル/ドレスデン・フィルによる名曲小品集
・バーンスタイン/ボストン響によるマーラー交響曲第9番
・シャルル・ミュンシュ「コンサート・ホール」録音集
・マズア/フランス国立管によるチャイコフスキー交響曲第5番
・チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルによるブルックナーのミサ曲第3番
・ベルティーニ/ベルリン・ドイツ響によるブルックナー交響曲第1番

まだ開設から間もないとはいえ、コンテンツがちょっと少ないかな、と思ったもので。ヤフー・ジャパンにも登録されたことだし。

実は上の7点の中にはブログの方には出しづらいものがあったりもします。アランのバッハ全集とケーゲルの名曲集は文章がかなり長い。バーンスタインのマーラーとマズアのチャイコフスキーは演奏があまり良くない。いずれもブログに掲載するにはちょっと躊躇するから、ブログを介さずに別練の方に直接出すことにしました。

で、今後も掲載できるものから順にちょこちょこと追加していこうかなと思っております。もちろんこっちのブログを経由しないで直接追加するので、両サイトのコンテンツにずれが出てきますが、まあいいかなと。あっちはあっち、こっちはこっちという感じで。

あと、アクセスカウンタの表示をONにしました。カウンタはいままでもついていたんですが、表示をOFFにしてました。アクセスが1000を超えたようなので、この機にONにします。


ブログ開設からひと月


早いもので、ブログ開設からもう1か月です。

ところで先日、このブログの別練「クラシックCD感想メモ」がヤフー・ジャパンに登録されました。カテゴリーはこちら

しかし、開設して1か月も経ってないのにヤフーのカテゴリーに登録されるとは、正直思ってなかったので、ちょっと驚きました。運が良かったのかも。

とはいえ、あっちのサイトはいまのところ、内容的には当ブログの単なるミラーコピー。あまり意味がないですが、コンテンツが増えてきたとき、一覧性に優れる形態のサイトがあった方がいいと思ってやってます。

ただ、あっちはあっちでコンテンツをガンガン追加するというのもアリかな、という気もしてます。

まあ、どうするかはちょっと考えるとして、当ブログの方はこれまでどおり続けます。今後ともどうぞよろしく。<(_ _)>

ひさびさのサントリーホールにて


今日はひさしぶりにサントリーホールでコンサートを聴いた。9月に入って初めてだし、8月中は一度も行ってないから、まる一か月ぶりだ。

6時45分に会社を出て(もっと早く出れればいいのだが、、)、55分にホール前に到着。さて、当日券売り場へ、、、とその時、不意にカラヤン広場の方から賑やかなまつりばやしが聞こえてきた。

そちらに目を向けると、なにやら盆踊りのような光景が? これはもしや、ウワサに聞く「アークヒルズ秋祭り」というものでは、、?

気にはなったが、なにしろ開演の7時まであと5分しかない。まず当日券売り場に行かなければ。空席を確認し、1階の3列目やや右の席が空いていたのでそれを購入。

それからカラヤン広場に行ってみると、まつりばやしの流れる中、屋台がずらっと並んでいて、大勢の人が食事を楽しんでいる。受付のようなところでパンフレットをもらった。「アークヒルズ秋祭り2008」。やはり。

「アークヒルズ秋祭り」は毎年この時期にカラヤン広場で開催されていたイベントだが、実際に見るのは初めてだ。今日がそうだったとは。

屋台の品揃えとか、もうちょっと見物したかったが、なにしろ開演の7時まであと2分しかない^^);; とりあえずホールへ。

前半部のシューベルト「未完成」が終って、後半部が始まるまで15分ほどあるので、ホールを出てカラヤン広場へ。屋台は10店ほど出ていて、カフェが比較的多い。スターバックスもあった。

小腹も空いていたので、カフェの屋台のひとつでブルーベリージャムのパニーニを買って食べる。

それにしても、カラヤン広場で聴くまつりばやしというのも意外に風情がある。なにしろ数分前までシューベルトの「未完成」の、あの静謐を極める第2楽章を聴いていたわけで、その反動からか、気分が妙にウキウキしてくる。

ホール入口でパニーニをパクついていると、後半部開演のチャイムがホール内から聞こえてきた。さて、ブルックナーの9番が始まる。残りのパニーニを慌てて口に押し込んで、再びホールへ。まつりばやしの余韻を、ほのかに耳に残しながら。

ベルティーニ/ケルン放送響によるR.シュトラウスの「英雄の生涯」


R.シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」
 ベルティーニ/ケルン放送交響楽団
 アルトゥス 1984年ライブ ALT152

2008年にアルトゥスよりリリースされたガリー・ベルティーニのケルン放送響時代のライブ盤のひとつ。同時リリースのベートーヴェンとブルックナーも疑いなく名演だったが、それらと比較してもこのリヒャルトの演奏はさらに良く、まさに超名演。なぜならこの演奏では、おそらくマーラーとリヒャルトの音楽の同質性に起因し、ベルティーニの「マーラー指揮者」としての本領発揮の度合いがより克明に感じられるからだ。

第1部「英雄」冒頭のフォルテ開始からコントラストの立ったアンサンブルのメリハリが素晴らしく、わけても(0:18)の第8小節からfで飛び込んでくるヴァイオリン・パートの鮮烈感が抜群だ。ベルティーニの指揮はアンサンブルからすこぶる濃密な色彩感を抽出しながら、その濃密性を精妙に制御し、緻密にハーモニクスの織り上げを行っている。ゆえにその響きは濃厚でありながら透明度が高く、リヒャルトの入り組んだテクスチャが明晰かつ情感豊かに奏でられている。第2部「英雄の敵」では木管ソロのアイロニカルな歌い口がまるでマーラーみたいだ。第3部「英雄の伴侶」ではジェンコフスキーのヴァイオリン・ソロが絶好調。(5:21)からの感極まったフレージングの感懐! しかし全編の白眉は第4部「英雄の戦場」で、その管弦楽的カタルシスは絶大だ。(1:39)からのffのパッセージなどトランペットの鳴りっぷりの良さには惚れぼれするし、オーケストラの鳴動力も素晴らしい。なかんずく激戦に突入する(3:36)以降のド迫力には参ってしまう。第5部「業績」から第6部「引退と完成」にかけては聴いていて音海を漂うような穏やかな感動が支配的だが、その中にあって第6部の(5:42)あたりでかつての戦闘を回想するくだりの強烈感がすごく、その心揺さぶられる感じが忘れがたい。

ベルティーニ/ケルン放送響によるブルックナー交響曲第7番


ブルックナー 交響曲第7番
 ベルティーニ/ケルン放送交響楽団
 アルトゥス 1988年ライブ ALT151

2008年にアルトゥスよりリリースされたガリー・ベルティーニのケルン放送響時代のライブ盤のひとつ。ベルティーニのブルックナーの録音は正規リリースとしてはこれが初めてのものだと思うが、以前、非正規盤のCD-Rを購入して聴いたことがある。それはベルリン・ドイツ交響楽団とのブルックナー・交響曲第1番(EnLarmes ELS02-289)。これは超名演で、ブルックナーというよりワーグナーを思わせる、完全にドラマティック様式のブルックナーだが、とにかく迫力がものすごく、聴いていて大感動したのを覚えている。

対して、こちらの7番の方の演奏は、その1番の演奏と比べると印象がかなり異なる。オーケストラが違うという以上に、表情形成の特徴として、先の1番の時より劇性を強調せず、造形的にはむしろオーソドックスに近い。ハーモニクス形成上の特徴としては、このCDと同時リリースのベートーヴェンの「英雄」でのそれにかなり近いように思う。すなわち、弦の厳しい色合いと管の優美な色合いとを対比させた、厳しくも美しいハーモニーの色合いだ。

ただ、聴いていてベートーヴェンの時とはやや趣きが異なる感じもあり、おそらくこのブルックナーの演奏においては、ベルティーニのマーラー指揮者としての味付けというかアプローチが加味されているのではないか、と思える節がある。例えば第1楽章の展開部(9:55)あたりでは、木管の現実を乖離したような音色の美しさをまざまざと強調し、その直後(10:55)を皮切りとする強奏部では金管パートの強音を耳に挑むかのように鋭く強調する、というあたりの、陶酔と覚醒との激しい揺さぶりは、明らかにマーラー的な特性を感じさせられる。それは必ずしもブルックナーの音楽に調和し切るものではないようにも思えるとしても、こういう視点でブルックナーを聴けることにおいて、フレッシュな趣きを感じさせてくれた演奏だ。使用版はノヴァーク盤だが、第2楽章の頂点でのシンバルとトライアングルは排除されている。

ベルティーニ/ケルン放送響によるベートーヴェンの英雄交響曲


ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」
 ベルティーニ/ケルン放送交響楽団
 アルトゥス 1989年ライブ ALT150

2008年にリリースされた、ガリー・ベルティーニのケルン放送響とのライブ盤3点のうちのひとつ。ベートーヴェンはベルティーニの録音ジャンルとしても珍しい。

さっそく聴いてみると、第1楽章冒頭からまず印象的なのはそのテンポ・スピードの速さ。実際、楽章全体を通して提示部反復を含めて16分強で駆け抜けている。そしてこのハイ・テンポを土台としながら、ハーモニクスの織り上げが緻密を極めている点にまず驚かされる。アンサンブルの響きは弦の厳しい色合いと管の優美な色合いとを明確に対比させたもので、アンサンブル全体の奏でるハーモニーの色合いは、厳しくも美しい、という独特なもの。わけても金管パートの色づかいは独特を極め、例えば再現部の(10:41)からホルンがメイン・テーマを吹くくだりなど、透き通るような音色の美彩さが耳を捉える。(11:17)から同テーマがトランペット強奏されるくだりでさえもそうで、木管も含めて管フレーズの音色や強弱のコントロールに関しては細心の注意が払われているように思う。

同じことは第2楽章以降にも当てはまり、例えば第2楽章後半のフガートの頂点で鳴り渡る第135小節のホルン(7:26)など、ffにも関わらず透明な美彩を失わず、現実を離れた美しさを放っていて感銘深い。ただ、全楽章とも管の突出を徹底的に回避している点に加えてティンパニもかなり抑制されているので、純粋な音響的迫力という点からするといまひとつ物足りないのも事実。としても、この演奏に聴かれるアンサンブルの厳しい美しさはやはり独特であり、聴いていて耳を奪われるシーンが非常に多い。

第1楽章コーダの(15:29)からの第658小節のところでトランペットの主題線を延長させずにスコア通り消している点からも明らかなように、解釈自体はおおむねスコアの指定に忠実な正攻法のものでありながら、普通と言うには一味違う、ベートーヴェンの「英雄」の美演のひとつだと思う。

ラトル/ベルリン・フィルによるブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」


ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」
 ラトル/ベルリン・フィル
 EMIクラシックス 2006年ライブ 3847232

ラトルのベルリン・フィルとの初のブルックナー録音。ノヴァーク版による演奏。

第1楽章提示部から、管弦ともにかなり強めの色合いでくっきり奏され、第2テーマのチェロ、第3テーマの金管など、重厚という風ではないが音色の味が濃い。展開部の(8:41)からティンパニの強調など、かなり豪快で、クライマックスの迫力を強力に後押ししたかと思うと、(10:50)前後のクレッシェンドの響きの透明感の素晴らしさなど、ラトルらしい表情の多彩ぶりだ。

第2楽章も、全体に各パートの音色は強めなのにトータルの響きは、清楚で透明なハーモニー展開。このあたりのアンサンブル統制は絶妙であり、全奏部においても、決して響きを濁らせず、がならせず、澄んだ響きの美感が常に絶えない。第3楽章も同様で、テンポもあまり急き込ませず、動的というよりスタティックなロマンティズム。

しかし終楽章は、(1:28)からの第1テーマ提示クレッシェンドが凄絶! 前楽章までのクレッシェンド展開とは凝縮度が段違い。第3テーマ提示冒頭のティンパニの痛撃など凄いし、以下、ピリッとした緊迫が演奏を包み、それがコーダまで弛緩せず持続する。

全体としてみると名演だと思う。ただ、演奏自体の純然な刺激感、あるいは独創感という点では、ラトルがマーラーの演奏で示すそれと比べて、強烈味がちょっと薄いような感じもする。音質もどうもいまひとつで、コンサートのライブ録りのためか、聴いていて音像の抜けがいまいちスッキリしないもどかしさを感じる。

アーベントロート/バイエルン国立管&ライプツィヒ放送響によるブラームス交響曲全集


ブラームス 交響曲全集
 アーベントロート/バイエルン国立管弦楽団(1番)、
            ライプツィヒ放送交響楽団(2~4番)
 MEMORIES 1956年ライブ(1番)、52年(2番、3番)、
         54年(4番) MR2045/46

アーベントロートの残したブラームスのシンフォニー録音を集めた全集盤で、2008年にリリースされたもの。このうち1番のバイエルン国立管とのライブは名演というよりむしろ「爆演」として語られることの多いもので、これまでもいくつかのヒストリカル・レーベルからリリースされてきた演奏だ。対して2~4番の演奏は放送用のスタジオ録音で、オーケストラはライプツィヒ放送響。

CDの収録が3→1→2→4の順番なのでまず第3シンフォニーから聴き始めたが、これが素晴らしい。冒頭からコーダまでのきなみ超快速でひた走るアーベントロートらしい流儀の演奏だが、アンサンブルの鳴りっぷりに惚れ惚れする。冒頭のヴァイオリンの鳴りから最高で、このテンポでよくここまで鳴り切らせられるものだ。いきおい音楽の白熱ぶりがバツグンで、まさに情熱のかたまりのような演奏というに相応しく、鮮明なモノラルの音質がその熱感を直裁に伝達する。第2・第3楽章はロマン味たっぷりで、すこぶる濃密。終楽章はまるで火の玉のような灼熱の驀進ぶりがものすごい。なんともド迫力で、情熱味満点! 

次は問題?の第1シンフォニーだが、この演奏の最大の特徴は、そのテンポの出入りの激しさにある。それもオーソドックスな動きではおよそなく、ギョッとするところでテンポをおおきく動かし、造型に激しい揺さぶりをかける。第1楽章でいうなら(7:19)あたりとか再現部直前などがそうだが、後者はまだしも、前者などどこかハッタリめいた印象が拭えず、いまひとつ真に訴えてこない感じがする。むしろ第2楽章の方が内容的によく、やはりテンポが激しく動くが、第1楽章ほどは奇形的でなく、必然性があり、それが真実味に昇華されていて傾聴させられる。しかし最大の聞き物は終楽章だ。とくに主部以降のすさまじいテンポ・アップは度を超えたもので、(6:26)あたりなどアンサンブルの縦の線が合っていないし、少なくとも再現部に入るまでのくだりは、第1楽章同様、なにかハッタリめいたショーのような感じで、迫真という印象には欠ける。

しかし再現部以降ともなると、その徹底した極端ぶりに聴いていて感じ入ってしまう。(9:57)あたりの超ハイ・テンポはすべてを投げ打つような真に迫った表情に満ち、(10:55)あたりの、何かにとり付かれたような猛加速の激感も最高だ。圧巻はコーダで、あまりにも常軌を逸したテンポをベースとする、金管の渾身の絶叫を伴うアンサンブルのフルパワー。深みはともかく、とにかく凄絶だ。次の第2シンフォニーは最初の第3シンフォニーと同じような流儀だが、音質がひとまわり落ちるのが残念。最後の第4シンフォニーは、音質、アンサンブルの燃焼力、ともに第3シンフォニー並みにいいが、演奏の流儀が第1シンフォニーのそれに近く、場合によってはいかにも芝居がかったような感じもする。

ゲルギエフ/キーロフ歌劇場管によるチャイコフスキー歌劇「スペードの女王」全曲


チャイコフスキー 歌劇「スペードの女王」全曲
 ゲルギエフ/キーロフ歌劇場管弦楽団
 フィリップス 1992年 PHCP-5176~8

「スペードの女王」はチャイコフスキーの残した10番目のオペラで、ポピュラリティ的には「エフゲニー・オネーギン」に次ぐ2番手だが、内容的には最高傑作かもしれない。チャイコフスキー晩年の円熟期に書かれた作品ゆえ、オーケストレーションの鮮やかさといい、メロディの情感表出性といい、いずれも堂に入っており、多少の改作があるとはいえプーシキン文学に基づくシナリオの妙味がそれらをさらにひき立てる。

このオペラは1890年にマイリンスキー歌劇場で初演されているが、このゲルギエフ盤はそのマイリンスキー歌劇場のオーケストラによる初の全曲録音とされている。その内容は指揮良し歌手良し音質良しという鉄壁ぶりで、このオペラの録音としてはほとんど決定盤ではないかと思えるほどいい。ゲルギエフの指揮は手兵のキーロフのオーケストラを冷静に統率し切りながらも、その表面下に情熱の火が透けて見えるような強烈な色彩感をアンサンブルから抽出させ、このオペラに極めて精緻にして動的な起伏を付与することに成功している。冒頭の序曲からして強烈であり、(1:48)からの「スペードの女王」のテーマともいうべき伯爵夫人のモチーフの鮮烈さ、(2:13)あたりの苛烈な叩き込み、(2:26)からのモルト・エスプレシーヴォの楽段でのむせかえるような甘美な色合いなど、いずれも魅力たっぷり。その充実感は本編以降も持続し、力動的で濃厚な筆致で音楽を刻みながらも、時に漲る非情なまでの音響の張りが素晴らしい。第2幕のラストで伯爵夫人がショック死するくだりの音楽(第6交響曲「悲愴」の終楽章にそっくりだ)、第3幕第2場のラストのリーザの投身自殺の場面、そして第3幕終盤でゲルマンに破滅のカードとなるスペードのクイーンが配られる場面など、いずれもゾクゾクさせられる。

ゲルマン役グリゴリアンは第2幕から第3幕にかけてもう少し狂気的な発露が強ければという気がするものの、第1幕第1場終盤のアリアでの鬼気迫る歌唱をはじめとして、純粋な声の力という点では抜群だ。しかし歌唱陣においての最大の聞きものはむしろ、ヒロインのリーザを歌うマリア・グレギナで、これは今でこそ最高峰のドラマティック・ソプラノとして認知されるスター歌手の無名時代の貴重な録音。例えば第1幕ラストでゲルマンに「Zhivi!(生きて!)」と絶叫するくだりでの高音のものすごい表出力など、その実力のほどが瞭然としている。美声という点でも申し分なく、ポリーナ役オリガ・ボロディナとの2重唱の場面など、両歌手の美声が相乗的に引き立っていて夢のような美しさだ。

ちょっとひと息


ブログ開設から3週間。とりあえず順調なペースできてますので、今後もこの調子でいきたいと思います。

このへんでちょっと一息ということで、新しいカテゴリを作りました。「コーヒー・ブレイク(雑感など)」です。まあ、いわゆる「独り言」的な記事のためのカテゴリとして使おうかと思ってます。

そのカテゴリの区分けに関してですが、ブログを始めるにどうするかちょっと迷ったんですが、とりあえず録音年別にしました。基本的にCD単位でやっている以上、交響曲とか協奏曲とかの区分は合わないし、といって作曲家別、アーティスト別にすると多すぎてたぶん収拾がつかなくなる。

迷ったといえば、そもそもブログ形態にするか、HTMLベースのWeb形態にするかも、迷いましたね。結局、両方やっているわけですが、やってみるとブログの方がやはり圧倒的にいいです。なにしろ更新がラクだし、更新の度にpingが飛んであちこちに知らせてくれるし、あとレイアウトを考えなくていいし。特にレイアウトに関しては、私がその方面のセンスに全く欠けているということもあり(笑)、ほんと助かります。

で、今後の予定ですが、とりあえずCD感想の方は続けますが、その他に、例えば私の素性とか、このブログをどういう風に更新しているかとか、そのあたりをもうちょっと書いておいたほうがいいような気がするので、それを明日にでも出そうと思います。

デ・ワールト/オランダ放送フィルによるR.シュトラウスの「ツァラトゥストラ」ほか


R.シュトラウス 「ツァラトゥストラかく語りき」、
    「ドンファン」、組曲「ばらの騎士」
 デ・ワールト/オランダ放送フィル
 エクストン 2005年 OVCL-00218

3曲とも名演だと思う。中でも「ツァラトゥストラ」がひときわよく、デ・ワールトの見事なアンサンブル統制力が最高水準の音質に助長され、素晴らしい聴き応えだ。冒頭の自然主題の起伏から管弦ともに響きの色合いがすこぶる鮮やかなのに加えてティンパニ強打のキリッとしていることこの上なく、まさに最上の出だしを示す。この流れが導入以降もごく自然な形で定着し、精緻にしてリッチな音響展開の妙味が充溢する。「大いなるあこがれ」に入る直前のクレッシェンドの壮麗さ、その終盤から「喜びと情熱」になだれ込むあたりの沸き立つようなアンサンブルの色合いなど、強奏部はいずれも絶品。特に後者での(1:27)からのトロンボーンのff(マルカーティッシモ)など実に見事だ。

対して弱奏部はというと、「科学について」冒頭など、かなり音量を絞っての最弱音であるにも関わらず、その響きは実在感に富んでいる。音質がいいことも原因だと思うが、やはりデ・ワールトの指揮にしっかりと芯が通っていることが大きいのではないかと思う。後半のクライマックスもいいが、「舞踏の歌」に移る前後のコミカルな流れなど、もう少しアイロニカルな視点が強調された方が、リヒャルトの音楽に合うような気もする。「夜のさすらい人」に入る前後の最後の山場はカタルシス満点!

ミュンシュ/ボストン響によるモーツァルトとブルックナーのレア・ライブ集


モーツァルト 交響曲第31番「パリ」、
         交響曲第41番「ジュピター」
&ブルックナー 交響曲第7番
 ミュンシュ/ボストン交響楽団
 メモリーズ 1954年ライブ(パリ)、
    52年ライブ(ジュピター)、
    58年ライブ(ブルックナー) MR2069/70

「ミュンシュ+ボストン響のレア・ライブ集」と銘打たれたアルバム。2008年8月にリリース。モーツァルト、ブルックナーともにミュンシュのレパートリーとしては極めて珍しく、いずれの交響曲の録音もボストン響との一連のスタジオ録音(RCA)の中に残されていない。

さっそく聴いてみると、1枚目のモーツァルトはかなりの名演だと思う。「パリ」、「ジュピター」ともに密度感のある響きを主体に集中度の高い演奏が展開され、ことに弦パートの充実感が一貫的に高い。逆に木管はやや引っ込み気味で、音色の魅力もいまひとつ冴えないものの、弦のヴァイタリティがその弱みを補っている。テンポ設定は「パリ」がやや遅め、「ジュピター」がかなり速めで、特に「ジュピター」の第1楽章は冒頭からガンガン突き進むという風であり、ちょっと性急というか、急ぎ過ぎではないか、という気もしなくもない。しかし終楽章は同じスタイルでも表出力が格段に増し、アンサンブルの直截な高揚力が素晴らしい。

2枚目のブルックナーは、使用スコアの記載は無いものの、第1楽章の(1:03)でのホルンの飛び出しにより、「シャルク改訂版」と確認される。演奏内容だが、正直かなり苦しいと思う。あまりに問題が多すぎるのだ。

第1楽章冒頭から響きが冴えず、モーツァルトの時よりオフマイク気味で強奏時の凝縮感に不足するし、ハーモニーもかなりダンゴ状態だ。ミュンシュの指揮も、どうも聴いていて、あまりブルックナーに思い入れがないような印象を否めない。展開部(6:47)あたりの木管の無造作なくらいそっけないフレージング、(9:11)からのセカセカした歩調。342小節からの(13:22)のトッティでは金管があまりに強すぎて弦のffが全然聴こえないし、401小節からの(15:49)では逆にティンパニのffがあまりに弱くて迫力不足。第2楽章も同傾向で、音質のせいかも知れないものの、総じてアンサンブルにずしりとした感触が乏しい。

第3楽章は演奏タイムがわずか6分半。これは反復をすべてカットしているためだ。しかし驚くべきは終楽章の演奏タイムで、7分13秒というのはまずありえないタイム。一体どういうことかと思って聴いていくと、展開部の途中(4:51)でいきなり第1テーマが???

スコアで確認した限り、このミュンシュの演奏では、練習番号0~Wの部分、すなわち175小節から274小節までがカットされていて、174小節から275小節にワープする形になっている。要するにまるまる100小節が恣意的に飛ばされているわけで、これはいくらなんでも、、という気がする。おそらく聴衆を意識してのカットと思われるが、やはり当時のアメリカでは、まだブルックナーは一般的な演目ではなかった、ということだろうか。

トスカニーニ/NBC響による対独・対日戦勝記念演奏会のベートーヴェン・ライブ


ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」、
          交響曲第5番「運命」
 トスカニーニ/NBC交響楽団
 Music&Arts 1945年ライブ CD-753

「英雄」は1945年9月1日のVJ day、すなわち日本が降伏文書に調印したアメリカの戦勝記念日に行われた祝賀コンサートのライブ、「運命」は同年5月8日 VE day、すなわちドイツが降伏したアメリカの対欧戦勝記念日に行われた祝賀コンサートのライブ。日本はともかく、対ドイツ戦勝記念日にベートーヴェンを演奏するというのはちょっとシニカルだが、逆に言うならベートーヴェン作品のコスモポリタン的な位置づけをくっきりと認識させられるエピソードだ。

それにつけてもこのディスクの音質の良さには驚かされる。本当に45年当時の放送用音源に基づく録音か、とさえ思えるほど、響きの抜けはいいし、ソノリティが実在感に満ちている。演奏内容としてもなかなかの水準で、各コンサートの祝祭的ムードが付帯要因としてあるためか、両演奏ともに燃焼感に溢れ、聴いていてその並々ならない迫力に圧倒される。同じMusic&Artsからリリースされているトスカニーニ/NBC響の39年のベートーヴェン全曲ライブの演奏にも圧倒されたが、この45年ライブもそれに迫る水準の名演だと感じる。

ただ、ここでの「英雄」、「運命」はともに、個々のフレージングを客観的に鳴り切らせるという点では、確かにこれ以上ないくらいのレベルではあるものの、例えばフルトヴェングラーの演奏に聴かれるような、各フレーズに対する主観的な色付けは総じて薄い。そのあたりの主観的なデフォルメの希薄さはトスカニーニの解釈の強みと同時に弱みともなる諸刃の剣のようなところがあり、少なくともこの両曲に関しては、トスカニーニの表現も圧倒的な高みにあるとしても、それでもフルトヴェングラーの方が、演奏としては一枚上だと思う。録音が高音質なだけに、そのあたりの印象の差異もあらためて実感させられた。


下野竜也/読売日響によるバッハ・シャコンヌとココリアーノ交響曲第1番


J.S.バッハ シャコンヌ(齊藤秀雄編曲)
&ココリアーノ 交響曲第1番
 下野竜也/読売日本交響楽団
 エイベックス・クラシックス 2006年ライブ AVCL-25186

サントリーホールでのライブで、下野竜也が読響の正指揮者に就任後初めてのコンサート。それだけにオーケストラも、両曲ともにかなり気合のこもった演奏スタンスだ。

ところで齊藤秀雄編曲によるバッハのシャコンヌというと、どうしても思い出される決定的な演奏がある。それは「齊藤秀雄メモリアルコンサート1984年」(フォンテック FOCD 9068/9)に収録されている演奏。齊藤秀雄没後10周年の命日に東京文化会館で行われたライブ録音で、指揮者は小澤征爾、奏するは桐朋学園齊藤秀雄メモリアルオーケストラだが、この演奏はまさに何かがのり移ったか、というほどの凄演ぶりを示した圧巻の名演だった。

その演奏から受けた強烈な印象と比べてしまうと、この下野&読響の演奏は、率直に言ってやはり分が悪い感じが否めない。とはいえ、演奏自体は十分に名演と感じる。音質も抜群。小澤による凄演に対してこちらは熱演というに相応しく、弦パートの充実感が全編にめざましい。(7:55)からの主題回帰でのグッとテンポを落とした恰幅の良さ、(15:39)あたりの弦の強奏の音色の強さなど、その気持ちのこもったアンサンブルが素晴らしい。

ジョン・ココリアーノの交響曲第1番は初めて聴く。1989年作曲の作品で、翌年にバレンボイム/シカゴ響により初演されている。内容的にはアメリカの作曲家に有り勝ちなムード調の強いものではないが、現代音楽と言うには透徹した抽象的荘厳という雰囲気でもなく、ちょっと中途半端な感じがあり、後世において音楽史上のマイルストーンとなる可能性は低いように思う。しかし演奏自体はかなりのもので、第1楽章冒頭から激烈なティンパニを中核に抜き差しならない雰囲気が強く立ち込めているし、(5:18)から流れるアルベニスのタンゴの虚無感もいいし、第2楽章終盤の狂騒感、第3楽章コーダの破滅感など、いずれも下野竜也の指揮者としての力量が良く表れているように思う。

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