夏目漱石の小説「こころ」


夏目漱石の小説シリーズ、今回は「こころ」です。なお、テキストは青空文庫のものをコピーして使わせていただきました。

       NatsumeSoseki-22

「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他(ひと)を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」
「もし私の命が真面目なものなら、私の今いった事も真面目です」
 私の声は顫えた。
「よろしい」と先生がいった。「話しましょう。私の過去を残らず、あなたに話して上げましょう。その代り……。いやそれは構わない。しかし私の過去はあなたに取ってそれほど有益でないかも知れませんよ。聞かない方が増(まし)かも知れませんよ。それから、――今は話せないんだから、そのつもりでいて下さい。適当の時機が来なくっちゃ話さないんだから」
 私は下宿へ帰ってからも一種の圧迫を感じた。

「こころ」は1914年に朝日新聞紙上で連載された長編小説で、「彼岸過まで」「行人」とともに漱石の後期3部作を構成する作品です。いわゆる近代的自我に基づくエゴイズムと、人間としての倫理観との、激しい葛藤に苦悩する明治の知識人の姿が描き出されている、というように一般に読まれています。

しかし「こころ」に関しては少なくとも日本人であれば、どういう小説なのか知らないという人の方が稀だと思われます。ですので、さっそく本題の、ベートーヴェンとのアナロジーの方に入ります。すなわち、漱石の「こころ」はベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」に類似する特質を多分に保有しているように私には思える、という話です。

両作品の共通点ですが、まず両者の主要作中の中でも畢生の名作として一般に認知されている点、両作品とも作者の当初の構想から外れた形での完成となっている点、それがため一般的な「名作」的評価とは裏腹に、彼らの主要作中で際立った「問題作」としての側面をも有している点、そして、両作品ともに「人は他者と心を通じ合えるか」という命題がテクスト形態で明示されている点、以上4点を挙げたいと思います。

順番にいきますが、まず両者の主要作中の中でも畢生の名作として一般に認知されている点については、特に異論の余地はないかと思います(ただし真に文学的ないし音楽的に名作かどうかに関しては後述のように議論の余地がある)。「こころ」に関しては高校の授業における課題図書として概ね必読となっているという状況、「第9」に関しては日本のコンサートホールにおける年末の風物詩となっているという状況が、それぞれ裏付けとなり得るでしょう。

つぎに両作品とも作者の当初の構想から外れた形での完成となっている点ですが、「こころ」に関しては当初の漱石の構想においては複数の短編を執筆した上で、それらを「こころ」というタイトルの小説に一本化する予定だったところ、その第一話であるはずだった短編「先生の遺書」が当初の予期を超えた長編となってしまったため、この一編だけを三部構成に直し、あらためて「こころ」として出版することにした、という経緯があります。

「第9」ですが、ベートーヴェンは当初、終楽章に声楽を含まない器楽のみの編成を予定し、声楽を用いた楽章は交響曲第10番として構想していた「ドイツ交響曲」に組み込もうというアイディアを考えていたことが知られています。しかし諸般の事情により、これら2つの構想が統合され最終的に現在の交響曲第9番としての形に落ち着いたという経緯があります。

このように、「こころ」と「第9」は漱石ならびにベートーヴェンの当初の作品構想から大きく修正をかけられた形で最終形に行き着いたという特異な経緯を持ち、その観点で彼らの主要作中でも異彩を放つものとなっている。このことから、今日の両作品に対する一般的な「名作」的評価とは裏腹に、彼らの主要作中で際立った「問題作」としての側面をも有しているという状況、これが第3の共通点です。

まず「第9」ですが、この交響曲の作曲当時の評価は必ずしも芳しいものではなく、ヨーロッパ各地で何回か演奏が試みられたものの、何といっても交響曲としては構造的に観て破綻すれすれである終楽章の存在が大きなネックとなり駄作という烙印を押されてしまうケースも多く、このためベートーヴェン自身でさえ終楽章を器楽のみの編成に改訂する計画を立てていたことも知られています。

「こころ」も同様に、上記のように漱石自身の当初のプラニングから大きく逸脱したこともあり、小説としての構成に多くの難があるという問題点が多くの識者により看破されており、かつて谷崎潤一郎なども指摘している通り、純粋に文学作品として観た場合、「こころ」は少なくとも漱石の主要作の中では駄作ないし凡庸な作品の部類に入るのではないかという見解も、かなりの説得力を帯びた意見として提起されているという状況にあります。つまり「第9」「こころ」ともに、一般の名作的評価からすると意外と思えるほどに、交響曲ないし小説としての構成に関して「問題作」としての側面をも少なからず持っているという構図が成立しています。

そして最後の、両作品ともに「人は他者と心を通じ合えるか」という命題がテクスト形態で明示されている点です。この点は私自身、上記3つの共通点以上に興味深い事実であると思っているので、少し念入りに書いてみたいと思います。

まず、「第9」の終楽章でベートーヴェンが用いた、フリードリヒ・フォン・シラーの詩作「An die Freude(歓喜に寄せて)」における一部分を以下に抜粋します。

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

シラーは周知のようにゲーテと並びドイツ古典主義の代表とされる詩人・思想家であり、18世紀後半のヨーロッパ社会に対し「自由・平等・博愛」といった人間精神の理念・あり方を提唱したことで知られ、前述の「歓喜に寄せて」においても友愛精神の歓びが高らかに謳われた内容となっています。

ここで、この記事の冒頭で引用した漱石「こころ」の中に書かれている文章の「私は死ぬ前にたった一人で好いから~」の部分を抽出し、以下のように上記シラーの歌詞と突き合わせてみます。

・漱石「こころ」:
「私は死ぬ前にたった一人で好いから、他(ひと)を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。」

・ベートーヴェン「第9」:
「地上にただ一人だけでも心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ」

この部分、双方ともに「人は他者と心を通じ合えるか」という命題が根底にあることは明らかですが、特に注目させられるのが、漱石の小説中にある「たった一人で好いから」というテクストと、シラーの歌詞にある「ただ一人だけでも」というテクストとが、ちょうど符合している点です。私には、この2つのテクストの偶発的とも思える重なり合いが非常に興味深く思えます。

むろん、この事実を表面的に捉えるならば、たまたまテクストが重なったという、それだけの話にも思えます。しかし、少しだけ深く「こころ」と「第9」の両作品に横たわる思想を俯瞰するなら、そういう表面的な符合だけに留まらない、両作品の潜在的な共通項が浮かびあがってくるのではないか、という風にも考えられなくもありません。

つまり、こういうことです。「こころ」という小説の水面下には、近代的自我より生ずる人間のエゴイズムを探求するという大きなテーマが横たわっている。というのも、「先生」は「社会の中で生きている」が、同時に「社会から独立した存在である」、という背反性を抱きながら、どのように社会の中で生きていけば良いのか、という疑問から発生する苦悩を抱き続けて生きているからであり、そのような、いわば近代的な思想ないし哲学上の問題を描いた小説が「こころ」にほかならないからです。

しかし、そもそも漱石を含む明治期の多くの文学者が題材とした「近代的自我の思想」とは何なのか、という問題に目を転じると、これはもともと封建社会が倒壊し近代の到来したヨーロッパにおいて、それまでの封建主義的な価値観と決別し、自由に自分の意思を表明し、自己の行動を決定することが可能になった個人が自覚した、自由で平等な個人の思想が、時代を遅れて日本に流入したもの、と捉えられている。そして、その思想の近代ヨーロッパにおける大きな源泉として、シラーの提唱した自由思想が横たわっているという事実がある。そもそも「近代的自我」の最初の発見者は、周知のとおりデカルトですが、そのデカルト哲学の最大の継承者がカントであり、そのカント哲学に傾倒し自己の思想に積極的に組み込んだ思想家がシラーその人でした。

そうであるなら、漱石の「こころ」とシラーの「歓喜に寄せて」とは時空を超えた理念の繋がりを示していると、言うことができるのではないでしょうか。そもそも説中に描かれる「先生」の自殺というのは、つまりは自己のエゴイズムに対する断罪であって、その動機は「自由・平等・博愛」といった近代の個人主義道徳に対するストイックな追求姿勢からくるものでしょう。それはシラーの提唱した理念と重なり合う面積が大きく、その限りにおいて漱石とシラーは同じ理念を地域・時代を違えて、異なる方法論で追求した作家である、とみなすこともできそうですし、そう考えると、上で書いたような偶発的ともいうべきテクストの重なり合いも、単なる偶然を超えた意義を帯びたものとして示されたもののように思えなくもありません。

以上、これまでベートーヴェンと夏目漱石とのアナロジーという切り口から、両者の主要作の逐一において相互に驚くほどの豊富な対応を孕んだ関係を保持しているという、私見に基づくトピックスを掲載してきましたが、それは今回の「こころ」をもって終了です。それぞれのジャンルにおいて後世に対し巨大な足跡を刻んだ異才が、洋の東西および100年の時代を超えて、類似する創作上の流れを辿ったという興味深い実例にならないだろうかと、少なくとも私は考えています。

夏目漱石の小説「行人」


「夏目漱石の小説シリーズ」ですが、今回は「行人」です。なお、テキストは青空文庫のものをコピーして使わせていただきました。

       NatsumeSoseki-21

「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
 兄さんははたしてこう云い出しました。その時兄さんの顔は、むしろ絶望の谷に赴く人のように見えました。
「しかし宗教にはどうも這入(はい)れそうもない。死ぬのも未練に食いとめられそうだ。なればまあ気違だな。しかし未来の僕はさておいて、現在の僕は君正気(しょうき)なんだろうかな。もうすでにどうかなっているんじゃないかしら。僕は怖くてたまらない」
 兄さんは立って縁側へ出ました。そこから見える海を手摺(てすり)に倚(よ)ってしばらく眺めていました。それから室の前を二三度行ったり来たりした後、また元の所へ帰って来ました。
「椅子ぐらい失って心の平和を乱されるマラルメは幸いなものだ。僕はもうたいていなものを失っている。わずかに自己の所有として残っているこの肉体さえ、(この手や足さえ、)遠慮なく僕を裏切るくらいだから」
・・・
 私は兄さんの話を聞いて、始めて何も考えていない人の顔が一番気高いと云った兄さんの心を理解する事ができました。兄さんがこの判断に到着したのは、全く考えた御蔭です。しかし考えた御蔭でこの境界(きょうがい)には這入れないのです。兄さんは幸福になりたいと思って、ただ幸福の研究ばかりしたのです。ところがいくら研究を積んでも、幸福は依然として対岸にあったのです。

「行人」は1912年から1913年に朝日新聞紙上で連載された長編小説で、「彼岸過まで」「こころ」とともに漱石の後期3部作を構成する作品です。主人公の長野一郎の強迫神経症的な苦悩が描かれた作品ですが、その苦悩が狂気の域にまで達しているかのような描写において、漱石作品の中でも独特の凄味を帯びた作風となっています。

最初に読んだときに、これはシェイクスピアの「オセロ」に着想を得た小説ではあるまいかと感じました。オセロが一郎で、デズデモーナが一郎の妻お直、キャシオーが二郎。しかしイアーゴーに対応する人物がいない。それに別に奸計が展開されるわけでもないし、妻を殺害もしないし、自殺もしない。しかしシナリオの差違は別として、イアーゴーを一郎の持つ「強迫神経症」と規定するなら、かなり似ているようにも思えます。

いずれにしても、この「行人」は人生の深い悲劇性を描いた、漱石の円熟期の作品にして、ほとんど哲学の域にまで昇華されたかのような、人間の苦悩から生ずる精神の壮絶なまでの葛藤がリアルに描き切られていますが、それでもやはり人間の理性というものの勝利への確信のようなものが、ここには厳然として存在することが読んでいて窺えるように思えます。

この意味において、以下の作品評に対し私は強いシンパシーを覚えました。

もし、漱石が、アイロニーに満ちた自己認識を繰り返す登場人物のごとく、小説を書いていたとすれば、頭ばかりか胃も痛くなるような風通しの悪い作品を私達は読まされる羽目になっただろう。しかし、漱石は、狂気の領域に踏み込んだ登場人物の内面を書いても、どこか精神分析的な要素も内包させている。・・「行人」などの作品では奇妙な内面の風景が描写されているが、これが写生文の描写のスタイルである。主人公が狂気に至っても、なお語り手は余裕ある視点を保持しているのが、漱石作品の特徴である。
        「漱石を書く」島田雅彦・著 岩波新書

この「行人」という小説を、もしベートーヴェンの交響曲に喩えるなら何が妥当でしょうか? 交響曲第8番ではないでしょうか。なぜなら、ベートーヴェンの交響曲9作中で最も強迫神経症的な度の強い作風を持つのが、実は交響曲第8番にほかならないからです。

・・という風に書いて「なるほど、その通りだ!」と納得される向きが、どれほどいらっしゃるか、さすがに心許ない気がします。そもそもベートーヴェンの交響曲第8番の作風をして強迫神経症に結びつけるのは、あまり一般的でないので、ちょっと飛躍し過ぎでないかと思われるかもしれません。ので、そのあたりを少し詳しく書きます。

ここで強迫神経症的だと言うのは、おもにソナタ形式の構造的な観点に着目した話になります。ふつう交響曲の第1楽章というのはソナタ形式で書かれており、その2つのテーマについては、第1主題は「主調」、第2主題は平行調または属調、要するに(主調に対する)「近親調」という一般的な約束事があります。

例えばベートーヴェンの交響曲第1番で言いますと、主調はハ長調なので第1楽章の第1主題はハ長調、第2主題はというとト長調ですが、これはハ音の5度上なので「属調」にあたり、主調に対する「近親調」です。

あるいはベートーヴェンの交響曲第5番「運命」で言いますと、主調はハ短調なので第1楽章の第1主題はハ短調、これに対し第2主題は変ホ長調ですが、これは楽譜の上で調号が同じ(構成音が同じで主音が違う)「平行調」にあたり、これもやはり主調に対する「近親調」です。

この点から交響曲第8番の第1楽章を見るに 主調はヘ長調なので第1主題はヘ長調、これに対し第2主題はニ長調となっていて、これは主調であるヘ長調の短3度下なので、平行調または属調とは言えず、第2主題が主調に対する「近親調」という約束事から逸脱した書かれ方となっていることが分かります。

これはつまり調性が推移する上での生理に反しているわけであり、突拍子がなく、いわば聴いていて何事か?という異様な感じになる。これが理由のひとつです。

第2の理由は、この第1楽章の展開部における、何か発作的とも思える調性の動かされ方です。例えばベートーヴェン交響曲第8番の音楽之友社ポケットスコアの作品解説を読みますと、この展開部が如何に異色であるかが、以下のように記されています。

・・主題回想の和声的構成は、ヴィオラのハ音の上に、その属七の和音に基礎を持つ断片が動くという不協和音を作り出している。この不協和音は現在では珍しくないが、ベートーヴェン時代としては大胆なものであった。すぐ最強音で提示部結尾の分散和音(ハの和音)が再現する。謎のようにふらふらするうちに、3回、主題回想が転調しつつ持ちこまれる。ついで激情の門ははねとばされる。あらあらしく鞭打つ弦と管の短いフガート風が短調で始められ、力強い発展をもたらす力へと転ぜられる。チェロとベースとのハ音の力強い跳躍から迫力をまし、fffの主要主題で再現部に入る。・・・

さらに第3の理由を加えるならば、ベートーヴェンの交響曲9作中で「fff」の音量指示が「勇気をもって」書き込まれたのが、この交響曲第8番「だけ」であるという事実(他の8曲はffが最大)が挙げられます。これも既存の約束事を大きく打ち破る大胆な書かれ方です。

そもそも強迫神経症における強迫症状とは、本人の意志と無関係に頭に浮かぶ、不快感や不安感を生じさせる観念を指すと言われますが、この自己のコントロールの及ばない感情の突発的な発生という点で、こうくるだろうという自己または他者の事前の予測が通用しない。ベートーヴェンの交響曲第8番は、敢えて当時のシンフォニーの生理に反する書かれ方が採用されたため、それが革命的であると同時に、その調性の動きにおいて、どこか生理的な違和感ともいうべき据わりの悪さも認められるものですが、こういった特徴が何かしら強迫神経症的な機微と相通ずるように思える、という意味で、漱石の「行人」とベートーヴェンの交響曲第8番とは互いに相通ずる性格を有しているように私には思われます。

以上、次回は「こころ」について書きます。

夏目漱石の小説「彼岸過まで」


「夏目漱石の小説シリーズ」ですが、今回は「彼岸過まで」です。なお、テキストは青空文庫のものをコピーして使わせていただきました。

       NatsumeSoseki-20

 須永の話の末段は少し敬太郎の理解力を苦しめた。事実を云えば彼はまた彼なりに詩人とも哲学者とも云い得る男なのかも知れなかった。しかしそれは傍(はた)から彼を見た眼の評する言葉で、敬太郎自身はけっしてどっちとも思っていなかった。したがって詩とか哲学とかいう文字も、月の世界でなければ役に立たない夢のようなものとして、ほとんど一顧に価(あたい)しないくらいに見限(みかぎ)っていた。その上彼は理窟(りくつ)が大嫌いであった。右か左へ自分の身体(からだ)を動かし得ないただの理窟は、いくら旨(うま)くできても彼には用のない贋造紙幣と同じ物であった。したがって恐れる男とか恐れない女とかいう辻占(つじうら)に似た文句を、黙って聞いているはずはなかったのだが、しっとりと潤(うるお)った身の上話の続きとして、感想がそこへ流れ込んで来たものだから、敬太郎もよく解らないながら素直に耳を傾むけなければすまなかったのである。
 須永もそこに気がついた。
「話が理窟張(りくつば)ってむずかしくなって来たね。あんまり一人で調子に乗って饒舌(しゃべ)っているものだから」
「いや構わん。大変面白い」
「洋杖(ステッキ)の効果(ききめ)がありゃしないか」
「どうも不思議にあるようだ。ついでにもう少し先まで話す事にしようじゃないか」
「もう無いよ」
 須永はそう云い切って、静かな水の上に眼を移した。敬太郎もしばらく黙っていた。不思議にも今聞かされた須永の詩だか哲学だか分らないものが、形の判然(はっきり)しない雲の峰のように、頭の中に聳(そび)えて容易に消えそうにしなかった。

「彼岸過まで」は1912年に朝日新聞紙上で連載された長編小説で、「行人」「こころ」とともに漱石の後期3部作を構成する作品です。主人公の田川敬太郎と友人の須永市蔵を中心的なキャラクターとして話が進められますが、小説全体が副題を持つ幾つかの章に分割されている点も本作品の特徴です。

本作は小説の本筋に入る前に、著者・漱石の前口上である「彼岸過迄に就いて」が書かれています。「修善寺の大患」で文字通り生死の境を彷徨い、奇跡的に一命を取り留めた漱石の復帰後の最初の作であるだけに、「久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければすまないという気がいくらかある。」と本作への意欲が語られています。また、「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実は空(むな)しい標題(みだし)である。」として、そのタイトルと小説のストーリーとが何ら関係がない事実も示されています。

本作は一般的には「漱石の晩年様式への過渡期的な作品」と評されることが多いようです。例えば島田雅彦・著「漱石を書く」(岩波新書)では以下のように評されています。

「彼岸過迄」は後期の作品群への橋渡し的作品ともみなされる。この再出発は結果的に大成功だったといってもいいだろう。なぜなら、「彼岸過迄」において、写生文は近代小説の手法と混じり合い、空前絶後のエクリチュールを生み、のちの「明暗」につながるようなポリフォニックな展開を予感させるまでに洗練されたからだ。「明暗」のような作品は少なくとも「彼岸過迄」の試みを経由しなければ、書かれようがなかった。

まさに本作の本質が簡潔にして的確に指摘された名評ではないかと思いますが、ただ私のような素人的な観点から本作を読んだ場合に最も驚かされる点は、この小説の破格ともいうべき娯楽性ではないかと思われます。

つまり、専門家の方々が本作に関して最も評価されているのが「須永の話」「松本の話」を中核とする後半部であるのに対し、私などは、むしろ前半部の「風呂の後」「停留場」「報告」あたりで書かれる、後年のミステリー小説(この時代にミステリー小説というジャンルは日本に無かった)みたいな部分を読んで、驚嘆するわけです。あの漱石が、こんなエンターテイメントな話を書くなんて、という印象。あの「門」の後だけに、よけい本作の娯楽色が目立って感じられます。

この点、大岡昇平・著「小説家夏目漱石」では、その第4章の中の「彼岸過迄をめぐって」において、この「推理小説仕立て」に関する氏の自論が開陳されています。それはつまり、あの平凡な日常の延長のような前半があるから、後半の深刻な側面が活きてくる、という趣旨なのです。

そして氏はオカルト、すなわち「へんな感じ」が我々の合理的な解釈を超えて、作品の魅力を形作っているとし、その変に薄気味の悪い感じにおいて、合理的な漱石を超える、という意味で漱石が漱石を超える部分に一番興味がある、とされています。

実のところ私も同じような印象を感じたのでした。といっても氏ほど深く考えたわけでは全然ありませんが、あの気楽を絵にかいたような前半部の「敬太郎編」と、深刻を極めたような後半部の「須永編」との著しいコントラストが、この「彼岸過迄」の魅力ではないかと思ったもので、氏の作品評にシンパシーを覚えたのでした。

さて、この漱石の「彼岸過まで」という作品をベートーヴェンの交響曲に喩えるなら何が妥当か、という話ですが、これはズバリ言って交響曲第7番のイメージが私にはオーバーラップします。

その理由として最も大きいものが娯楽志向性(エンターテイメント性)の高さです。漱石の主要9作品のうち娯楽志向性の最も高いと思われる作品が「彼岸過まで」であることは、上で書いた通りですが、それではベートーヴェンの9つの交響曲のうち最も娯楽志向型の作品はというと、それは交響曲第7番ということになるでしょう。

この第7交響曲の初演は周知のように1813年12月8日、ウィーン大学の講堂で、それはハナウ戦争で傷ついた兵のための慈善音楽祭だったわけですが、その舞踏的なリズム感を全面に押し出したエンターテイメントな楽想が聴衆の心を強く捉え、その演奏会は大変な盛り上がりを呈したと伝えられています。このような音楽としての良い意味での俗っぽさ、景気の良さは本作品の大きな特徴として認められています。日本で最近ヒットしたというトレンディードラマで主題歌の代わりに、この交響曲第7番の第1楽章が用いられていたという話ですが、これなども多分そういった娯楽色と無縁ではないと思います。

もうひとつの共通点は作品としての構造的アナロジーです。周知のようにベートーヴェンの交響曲第7番は後年ワーグナーによって「舞踏の神化」と評されるなど、4つの楽章において、それぞれに固有のリズム・モチーフが支配する特異な楽想を一つの特徴としています。ひるがえって漱石の「彼岸過まで」においては、一つの小説作品に対し3種類の語り手を導入するという革新的な構想が導入されています。これは言わば3つの語り手が織り上げる錯綜した舞踏であり、その語り手それぞれの文章に固有のリズム感が設定されているあたり、ベートーヴェンの交響曲第7番の革新的な楽章構造に対して興味深い接近を示しているように思えます。さらに言うなら、「彼岸過まで」の中間に配置されている「雨の降る日」と、「永遠のアレグレット」として名高い交響曲第7番の第2楽章とが、その醸し出す雰囲気において極めて近しい印象を感じさせることも興味深い点です。

もうひとつ、以下のように作品の完成年という面においても両作品には興味深いアナロジーが見受けられます。

まず、この「彼岸過まで」が発表された1912年に至るまでの、夏目漱石の主要作の発表年を以下に示します。

①1905年:吾輩は猫である
②1906年:坊っちゃん
③1907年:虞美人草
④1908年:三四郎
⑤1909年:それから
⑥1910年:門
⑦1912年:彼岸過まで
⑧1912年:行人

このように、1905年に最初の小説を発表してから、几帳面に毎年1作品ずつ主要作とみなされる小説を発表し続けてきたことになりますが、このペースは⑦で破られ、「門」の後「彼岸過まで」が出されるまで1年の空白が存在しています。これは前述のように世に言う「修善寺の大患」のためです。

次に、ベートーヴェンの交響曲第7番が完成された1812年に至るまでの、ベートーヴェンの交響曲の完成年を以下に示します。

①1800年:交響曲第1番
②1802年:交響曲第2番
③1804年:交響曲第3番「英雄」
④1806年:交響曲第4番
⑤1807年:交響曲第5番「運命」
⑥1808年:交響曲第6番「田園」
⑦1812年:交響曲第7番
⑧1812年:交響曲第8番

このように、1800年に最初の交響曲を完成してから、几帳面に2年ないし1年間隔で1作品ずつ交響曲を完成し続けてきたことになりますが、このペースは⑦で破られ、「田園」の後に交響曲第7番が出されるまで4年もの空白が存在しています。これは漱石のような疾患が原因のものではなく、たまたまそうなったというに過ぎません。しかし、これまで2年と置かず交響曲を作曲してきたベートーヴェンが、⑦において初めて大きく「間」を置いたことは紛れもない事実です。そして、この「間」が、あの交響曲第7番での心機一転とでもいうように溌剌とした楽想に対して影響を与えなかったと考えるのは難しく、まさに「久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければすまないという気がいくらかある」と述べた、「彼岸過まで」での漱石の気概に一脈つうずるものがあるように私には思えるのです。

以上、次回は「行人」について書きます。

夏目漱石の小説「門」


「夏目漱石の小説シリーズ」ですが、今回は「門」です。なお、テキストは青空文庫のものをコピーして使わせていただきました。

       NatsumeSoseki-19

 宗助と御米(およね)とは仲の好い夫婦に違なかった。いっしょになってから今日まで六年ほどの長い月日を、まだ半日も気不味(きまず)く暮した事はなかった。言逆(いさかい)に顔を赤らめ合った試(ためし)はなおなかった。二人は呉服屋の反物を買って着た。米屋から米を取って食った。けれどもその他には一般の社会に待つところのきわめて少ない人間であった。彼らは、日常の必要品を供給する以上の意味において、社会の存在をほとんど認めていなかった。彼らに取って絶対に必要なものは御互だけで、その御互だけが、彼らにはまた充分であった。彼らは山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた。
 自然の勢(いきおい)として、彼らの生活は単調に流れない訳に行かなかった。彼らは複雑な社会の煩(わずらい)を避け得たと共に、その社会の活動から出るさまざまの経験に直接触れる機会を、自分と塞(ふさ)いでしまって、都会に住みながら、都会に住む文明人の特権を棄てたような結果に到着した。彼らも自分達の日常に変化のない事は折々自覚した。御互が御互に飽きるの、物足りなくなるのという心は微塵も起らなかったけれども、御互の頭に受け入れる生活の内容には、刺戟(しげき)に乏しい或物が潜んでいるような鈍い訴(うったえ)があった。それにもかかわらず、彼らが毎日同じ判を同じ胸に押して、長の月日を倦(う)まず渡って来たのは、彼らが始から一般の社会に興味を失っていたためではなかった。社会の方で彼らを二人ぎりに切りつめて、その二人に冷かな背(そびら)を向けた結果にほかならなかった。

「門」は、ちょうど今から100年前となる、1910年に朝日新聞紙上で連載された長編小説で、「三四郎」「それから」とともに漱石の前期3部作を構成する作品です。

主人公の野中宗助と、その妻の御米の、一見して仲睦まじい夫婦が、実は過去に暗い傷を抱えており、その傷口がふとしたキッカケで大きく開いていく、という話ですが、この小説では特に、主人公の平凡を極めたような日常生活が淡々と綴られる前半部と、主人公の中で過去に犯した「罪」の意識が大きく首をもたげる後半部とのギャップが著しく、そのあたりが批評家から問題視されがちな作品でもあります。

正直、私も最初「門」を読んだ時は、「この小説は、何が面白いのだろう」と思いましたし、特に前半部が読んでいて少々(どころじゃなく)かったるく、その意味で退屈さを感じました。異様なくらい淡々とした筆致から、ひたすらに主人公の平穏かつ無為な日常が綴られていく。とにかく平凡です。「それから」のように主人公の周辺なり意識なりで波風が立つというのでもない。後半の参禅にしたところで、結局のところ何の意味もない。ということで、この「門」という作品を咀嚼しあぐねた私は、識者の作品論を当たらざるを得なかった。しかし幾つか作品論を読んでも、どうもピンと来ない。というのも、漱石作品の中でも「門」は重視しないというスタンスの評者がほとんどだったからです。

しかし、ある一冊の本が私の「門」という作品に対する見方をガラッと変えさせてくれました。それは福永武彦の文学エッセイ「鴎外・漱石・龍之介」(講談社文芸文庫)です。

「私は昔からこの『門』という作品が好きだった」という著者は、「三四郎」「それから」「門」の3部作が、相互に連結することによって一つの長編小説を形づくっている、という視点を私に提示してくれたのです。「門」を欠いては「三四郎」も「それから」も中途半端である。「門」の暗さが前二者に投影して、初めて一つの想像世界が完結する、、、いわば「三部作」という枠組みから一歩進めて、これら3作を一編の長編小説として読むべきという指摘ですが、それを読んだ私は、それが何となく腑に落ちたような気がしたのです。

その後で私が出会ったのが、大岡信・著「拝啓 漱石先生」でした。ここでは、漱石作品の中でも「門」は重視すべきだというスタンスから、「門」の文学的リアリティーを詳細に検討した上で、以下のように結論付けています。

 小説の世界は、つまずきの世界であるといっていい。それは我々に、さらによく物事を理解したいという知的情熱を起こさせるものではあっても、決して我々に悟性や英知をあたえるものではないのである。少なくとも、漱石によって描かれた多くの女性像は、漱石の論理的追究が力尽きて途絶えたと見えるところで、不意に美しい、なまめかしくさえある現実性をもって、立ちあがる。
 作品「門」は、このように見てくると、小説構成で破綻をきたした、ほかならぬその場所で、漱石晩年の作家的道程の決定的里程標となっているわけである。宗助の参禅は、客観的に見るならば唐突であるかも知れない。しかし早晩、漱石は同じようなことを小説の中で扱わなければならなかったのである。宗助の参禅ということによる人間内面の世界への開眼こそ、漱石の向かうべき道を明らかに指し示す最初の事件だったのであった。

私は「三四郎」と「それから」の2作品は掛け値なしに面白い小説だと思っていたのに対し「門」だけは、何が面白いのか良く分らなかった。しかし、福永武彦氏と大岡信氏の作品論を読むに及び、この小説の持つ意義や重みといったものが、以前よりずっと強く実感できるようになった気がします。

そして、この漱石の「門」という作品を仮にベートーヴェンの交響曲に喩えるとすると、私には交響曲第6番「田園」のイメージが最も当てはまるように思えます。

まず作品前半に自然観照の描写が多い点が挙げられます(このことは福永武彦氏が上記エッセイの中で指摘されています)。例えば以下の部分などがそうです。

 今まで陰気な室(へや)にいた所為(せい)か、通(とおり)へ来ると急にからりと気が晴れた。肌の筋肉が寒い風に抵抗して、一時に緊縮するような冬の心持の鋭どく出るうちに、ある快感を覚えたので、宗助は御米もああ家にばかり置いては善(よ)くない、気候が好くなったら、ちと戸外の空気を呼吸させるようにしてやらなくては毒だと思いながら歩いた。
 坂井の家の門を入ったら、玄関と勝手口の仕切になっている生垣(いけがき)の目に、冬に似合わないぱっとした赤いものが見えた。傍(そば)へ寄ってわざわざ検(しら)べると、それは人形に掛ける小さい夜具であった。細い竹を袖(そで)に通して、落ちないように、扇骨木(かなめ)の枝に寄せ掛けた手際(てぎわ)が、いかにも女の子の所作らしく殊勝に思われた。こう云う悪戯(いたずら)をする年頃の娘は固(もと)よりの事、子供と云う子供を育て上げた経験のない宗助は、この小さい赤い夜具の尋常に日に干してある有様をしばらく立って眺(なが)めていた。そうして二十年も昔に父母が、死んだ妹のために飾った、赤い雛段(ひなだん)と五人囃(ごにんばやし)と、模様の美くしい干菓子と、それから甘いようで辛い白酒を思い出した。

生垣の目に、「人形に掛ける小さい夜具」が掛かっていた、という描写。この夜具は、以後の話においても特段、何かの伏線になるということはありませんが、それが逆に、この場面の印象を(私の中で)大きく深めているように思えます。

そして作品後半部で、唐突に主人公を襲う苦悩の暴風雨、そして最後に訪れる(仮初めの)平穏、という流れも、漱石の「門」とベートーヴェンの「田園」とは奇妙な一致を示しています。

もちろん漱石の「門」の前半部の舞台は東京の都市部であり、「田園」ではありませんが、しかし「門」という小説における時間の緩慢な流れは、どこか田園の長閑な時間の流れに似通っているような気が私にはします。

もうひとつ私が面白いと思うのは、この「門」という小説の題名が、漱石の主要9作品の中で唯一、「実質的な標題」としての機能を果たしている点です。ここでいう標題とは標題音楽における標題と同じ意で、その作品の情景やイメージ、気分や雰囲気といったものを聴き手に喚起させることを意図して与えられるネーミングという意味です。

この点、ベートーヴェンの9つの交響曲の中で、ベートーヴェン自身が与えた「実質的な標題」が、交響曲第6番の「田園」ただ一つしかないことは、ベートーヴェンの愛好家であれば周知の事実でしょう。

対して漱石の主要9作品のタイトルを見ますと、「吾輩は猫である」は小説の最初の一文をそのまま抜き出しただけで「実質的な標題」の機能はないですし、「坊っちゃん」は単に主人公のあだ名ですし、「虞美人草」にも標題性は特に認められませんし(これは別の作家の小説のタイトルを借りたに過ぎないとされます)、「三四郎」などは主人公の名前そのまんまですし、「それから」は単に「三四郎」という作品の「それから」ということを抽象的に示しているに過ぎませんし、「彼岸過まで」というタイトルは小説の筋と一切関係の無いものですし、「行人」と「こころ」も、標題というのは甚だ抽象的なものです。

こう考えると、唯一「門」だけが、標題性、つまり小説の筋と密接に関係する具体的な意味を持っている。ここでの門とは仏門、つまり主人公の参禅を表しているわけですが、この点においても漱石の「門」とベートーヴェンの「田園」とは奇妙な共通点を持ち合っていて面白いなと思います。

以上、次回は「彼岸過まで」について書きます。ただ、これから本格的にコンサートシーズンに入ることから、今後このシリーズは2週に一回くらいの割合で掲載することになると思います。ご了承ください。

夏目漱石の小説「それから」


「夏目漱石の小説シリーズ」ですが、今回は「それから」です。なお、テキストは青空文庫のものをコピーして使わせていただきましたが、何故か「それから」に限って新字旧仮名になっていましたので、私の方で適宜、新字新仮名に直しました。

       NatsumeSoseki-18

 平岡の眉の間に、一寸(ちょっと)不快の色が閃めいた。赤い眼を据えてぷかぷか烟草(たばこ)を吹かしている。代助は、ちと云い過ぎたと思って、少し調子を穏やかにした。――
「僕の知ったものに、丸で音楽の解らないものがある。学校の教師をして、一軒じゃ飯が食えないもんだから、三軒も四軒も懸け持をやっているが、そりゃ気の毒なもんで、下読(したよみ)をするのと、教場へ出て器械的に口を動かしているより外に全く暇がない。たまの日曜などは骨休めとか号して一日ぐうぐう寝ている。だから何所(どこ)に音楽会があろうと、どんな名人が外国から来ようと聞(きき)に行く機会がない。つまり楽(がく)という一種の美くしい世界には丸で足を踏み込まないで死んで仕舞わなくっちゃならない。僕から云わせると、是程(これほど)憐れな無経験はないと思う。麺麭(ぱん)に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭(ぱん)を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちゃんだと考えてるらしいが、僕の住んでいる贅沢な世界では、君よりずっと年長者の積りだ」
 平岡は巻莨(まきたばこ)の灰を、皿の上にはたきながら、沈んだ暗い調子で、
「うん、何時迄もそう云う世界に住んでいられれば結構さ」と云った。其(その)重い言葉の足が、富に対する一種の呪咀を引き摺っている様に聴(きこ)えた。

「それから」は1909年に朝日新聞紙上で連載された長編小説で、「三四郎」「門」とともに漱石の前期3部作を構成する作品です。主人公の長井代助と友人の平岡常次郎、その妻の三千代との三角関係を主題とした物語で、それゆえに晩年の「こころ」の原型としての意味合いも持つ作品です。

内省的な文調から綴られる、人間の魂の憂悶と苦闘、その果ての悲劇が強烈なインパクトを放つ作品ですが、ここまでの漱石の主要作である、「猫」「坊っちゃん」「虞美人草」「三四郎」、そのいずれとも文章の雰囲気が全く違っている点に驚かされます。いわば、ここまでの4作が「長調」とするなら、「それから」の文調は「短調」とも言えるほどに違っています。

そのストーリーは非常に簡単に言うなら、止むにやまれぬ衝動から、主人公が親友の妻を横取りするという話ですが、そこに至るまでの主人公の心理的な葛藤の度合が尋常ならざる迫力で描き込まれている点、そして、その行動を敢行したことから必然的に発生する結末も、また尋常ならざる迫力で描き込まれている点などを始め、それまでの漱石の主要作とは一線を画した深刻な緊迫感が小説全体を支配している点に驚きを覚えますし、それだけに読後感もまた一味ちがうものがあり、魂の平安を希求するがゆえに破滅に向かう人間の在り方、そのパラドックスなどを読み終えて考えさせられます。

そして、この小説で何より特徴的なのは、長井大助という人物の特殊性でしょう。正直、私も最初に読み終えた時は、わりとよくあるモラトリアムな青年という設定だなと理解しました。しかし作品論などにあたって、色々調べて見ると、ことはそう単純ではないことがわかってくるのです。

いわば、この長井大助の「高等遊民」というポジショニングを、読み手が自分に引き直して考えるのが難しい。これが本作品を読む上での一つの難関です。長井大助は大学を卒業しており、年齢30前後、そして小説の舞台は日露戦争の終戦直後なので、長井大助の出身大学は必然的に東京帝大に決まりますが、いずれにしても当時の「大学卒」というのは相当な特権階級の人間であり、その意味では現在の東大卒などとも全然レベルが違うでしょうし、こと知識力や頭の回転の速さ、という観点からすれば、普通の人からすれば、まさに「雲の上の人」という表現がピタリとくるような人物像です。

しかし、そういった長井大助という人物の特殊性にも関わらず、そこには21世紀の現在にも通用する汎時代性が随所に読まれる点が本作品の面白く、奥深いところです。例えば以下の部分。

 代助は人類の一人として、互(たがひ)を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでいた。そうして、これを、近来急に膨脹した生活欲の高圧力が道義欲の崩壊を促がしたものと解釈していた。又これを此等(これら)新旧両欲の衝突と見傚していた。最後に、此生活欲の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)と心得ていた。
 この二つの因数(ファクトー)は、何処かで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧洲の最強国と、財力に於て肩を較(なら)べる日の来る迄は、此平衡は日本に於て得られないものと代助は信じていた。そうして、斯(か)かる日は、到底日本の上を照らさないものと諦めていた。だからこの窮地に陥った日本紳士の多数は、日毎に法律に触れない程度に於て、もしくはただ頭の中に於て、罪悪を犯さなければならない。そうして、相手が今如何なる罪悪を犯しつつあるかを、互に黙知しつつ、談笑しなければならない。代助は人類の一人として、かかる侮辱を加うるにも、又加えらるるにも堪えなかった。

確かにナイーヴな考え方ですが、冒頭の引用部の最後のところなど、こういう気持ちになったことのない人は少ないのではないか、こういうことを誰でも一度くらいは考えるのではないかともに思えますし、「膨脹した生活欲の高圧力が道義欲の崩壊を促が」すような状況が、果たして無くなったかというと、無くなるどころか、時代が進むにつれ、むしろ拍車がかかっている感すらあることなど、汎時代的な訴求力を読み手に感じさせます。

そして、この漱石の「それから」という小説を、もしベートーヴェンの交響曲で喩えるなら何が妥当か、という問いに対して、私は躊躇なく交響曲第5番「運命」と即答したいと思います。

理由としては第一に、上で書いたように「それから」が漱石の主要作中で初の「短調作品」である点、第二に、「それから」という小説が、代助の三千代との関係において、あたかも「運命が突如として戸を叩く」を地で行くストーリーを有している点です。

この「運命」という点では、この小説では幾つかの「花」に、深い運命的な力の作用が託されているという風に一般に読まれています。冒頭の椿しかり、鈴蘭しかり、白百合しかり。例えば、「それから」の冒頭は以下のように書かれています。

 誰か慌ただしく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄(まないたげた)が空(くう)から、ぶら下っていた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退くに従って、すうと頭から抜け出して消えて仕舞った。そうして眼が覚めた。
 枕元を見ると、八重の椿(つばき)が一輪畳の上に落ちている。代助は昨夕床の中で確かに此花の落ちる音を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬(ごむまり)を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更けて、四隣(あたり)が静かな所為かとも思ったが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋(あばら)のはずれに正しく中(あた)る血の音を確かめながら眠(ねむり)に就いた。

「八重の椿(つばき)が一輪畳の上に落ちている」この「椿」が、ベートーヴェンの運命交響曲の第1楽章冒頭の、いわゆる「運命の主題」に対応するように連想されます。

そして第三に、ベートーヴェンの9つの交響曲の中で最も緊密な構成で書かれた作品が「運命」であることは論を待ちませんが、漱石の主要作の中で最も緊密な構成で書かれた作品が「それから」であることも、やはり多くの漱石研究家の見解の一致するところです。この小説では「花」に運命的なメタファーを細かく持たせた描写や、登場人物の人間関係の緻密な描かれ方など、その周到で綿密な設定に読んでいて驚かされますが、事実この小説を執筆するにあたり、漱石は膨大な量の構想メモに基づき、その構成を徹底的に検討したことが知られており、それが漱石の他作品とは一線を画するまでの、あの尋常ならざる迫力の表出に貢献しているのです。

最後に作品論ですが、江藤淳の漱石論集に興味深い論評が収録されています。漱石の中の、小説作家と文明批評家との2つの顔が葛藤した結果、大助のような不思議な自我を持つ主人公が誕生した、というものです。

そして、夏目漱石が江戸時代に生まれた(明治維新の前年)ことから、この「それから」という作品が、江戸時代という古き良き時代の終焉に対する漱石の哀惜の情が、ヨーロッパの世紀末に共鳴した小説ではないかと論じています。

 私は「それから」を渾然たる成功作とは考えない。しかし、漱石がこの小説で、世紀末趣味をではなく世紀末そのものを生きていたことは、疑うべき余地がない。その意味では、漱石は、あるいは白秋よりむしろ世紀末的な人間だったのかも知れないのである。

なお、ここで主人公を「世紀末の趣味人」と規定しているのは、漱石のロンドン体験の反映として、物語の序盤に描かれる大助の生活の様相が、イギリスの独身貴族の優雅な生活そのものである、と看破しているからです。

私も大助が相当な特権階級の人間だと理解したことは上で書きましたが、この江藤淳の漱石論を読んで、それが「貴族階級に近い」という知見を得た際は我が意を得たりという思いでした。

以上、次回は「門」について書きます。

夏目漱石の小説「三四郎」


「夏目漱石の小説シリーズ」(←どうもパッとしないタイトルですが、他に思いつかないので、、最初「夏目漱石を語る」にしようと思いましたが、傲慢にも程があると思って止めました)ですが、今回は「三四郎」です。なお、テキストは青空文庫のものをコピーして使わせていただきました。

       NatsumeSoseki-17

 三四郎はまったく驚いた。要するに普通のいなか者がはじめて都のまん中に立って驚くと同じ程度に、また同じ性質において大いに驚いてしまった。今までの学問はこの驚きを予防するうえにおいて、売薬ほどの効能もなかった。三四郎の自信はこの驚きとともに四割がた減却した。不愉快でたまらない。
 この劇烈な活動そのものがとりもなおさず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していないことになる。洞が峠で昼寝をしたと同然である。それではきょうかぎり昼寝をやめて、活動の割り前が払えるかというと、それは困難である。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はただ自分の左右前後に起こる活動を見なければならない地位に置きかえられたというまでで、学生としての生活は以前と変るわけはない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。
 三四郎は東京のまん中に立って電車と、汽車と、白い着物を着た人と、黒い着物を着た人との活動を見て、こう感じた。けれども学生生活の裏面に横たわる思想界の活動には毫も気がつかなかった。――明治の思想は西洋の歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している。

「三四郎」は1908年に朝日新聞紙上で連載された長編小説で、後に「それから」「門」と続く、いわゆる前期3部作の先駆けとなる作品です。東京大学(旧帝大)を舞台とし、主人公の三四郎が、親友の与次郎、ヒロインの美禰子、博識な広田先生といった個性豊かな登場人物を交えて織りなす学生生活の顛末が、漱石一流のユーモラスにして風格ある文調により鮮やかに活写されています。

この「三四郎」という小説の雰囲気は漱石の一連の作品群の中でも、かなり独特ではないかと思います。作品を支配する諧調はバラ色に近く、確かに、自分と社会との関係、距離感を計り切れない、青年期特有の不安や苦悩が随時、描かれはしますが、そういった色彩は作品全体の雰囲気を支配するまでには至らず、むしろ青春小説としての幸福な味わいの方が読後感として強く残るものです。

もうひとつ、この「三四郎」という小説が独特なのは、作品中に占められるユーモアとペーソス、つまり「笑い」と「涙」の配置関係が絶妙であるがゆえに、作品としての奥行きが深く感じられる点です。

「坊っちゃん」などは明らかにユーモア、笑いに傾斜していますし、「こころ」などは逆に、明らかにペシミズムに傾斜しています。もちろん、それぞれにおける漱石の語り口の巧さ、その表現の味わいなど、全く並のものではありませんが、「坊っちゃん」を読んで「こころ」のようなホロっとした感じにはなりにくいですし、「こころ」を読んで「坊っちゃん」のようなユーモアを楽しむこともまた難しいでしょう。

その点「三四郎」は、この両者が何か理想的ともいうようなバランスで拮抗していて、それが他の漱石作品にはない独特の複層的な味わいを形成せしめている、ように私には思えます。

ユーモアという点では、例えば以下のくだりなどが抜群です。

 その代り広田さんの事を聞いた。三四郎は広田さんの名前をこれで三、四へん耳にしている。そうして、水蜜桃の先生と青木堂の先生に、ひそかに広田さんの名をつけている。それから正門内で意地の悪い馬に苦しめられて、喜多床の職人に笑われたのもやはり広田先生にしてある。ところが今承ってみると、馬の件ははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと決めた。考えると、少し無理のようでもある。

実は「少し無理」どころではなく、はっきり言ってムチャクチャなんですが、こういうことを、こんな格調高い文体で平然と書かれると、どうしたって読んでいて笑ってしまわずにはいられません。とにかく面白い。

逆にペシミズムという点でも、ヒロインの美禰子が大活躍?することにより、深い味付けが大いに為されています。

この美禰子のキャラクタに関しては、指揮者、もとい識者の書かれた作品論をひもといてみますと「矛盾の女」「無意識の偽善者(アンコンシャス・ヒポクリット)」「迷える子羊(ストレイ・シーブ)」などなど、いろいろな切り口で書かれているようですが、例えば吉本隆明の作品論「夏目漱石を読む」(筑摩書房)では、最初に「虞美人草」の藤尾がもし自殺しなかったら「三四郎」の美禰子になったはず(!)、という大胆な仮説から始めて、「三四郎」という作品が「第一級の作品だけにある文学の初源性」をもっている点で、「最後の青春小説」であるという風に論じています。いずれにしても、美禰子をどう捉えるかが「三四郎」の作品論の根幹となっているようです。

そして、この長編小説のクライマックスは、あまりにも有名な以下のシーンです。

 女は紙包みを懐へ入れた。その手を吾妻コートから出した時、白いハンケチを持っていた。鼻のところへあてて、三四郎を見ている。ハンケチをかぐ様子でもある。やがて、その手を不意に延ばした。ハンケチが三四郎の顔の前へ来た。鋭い香(かおり)がぷんとする。
 「ヘリオトロープ」と女が静かに言った。三四郎は思わず顔をあとへ引いた。ヘリオトロープの罎(びん)。四丁目の夕暮。迷羊(ストレイ・シープ)。迷羊(ストレイ・シープ)。空には高い日が明らかにかかる。
 「結婚なさるそうですね」
 美禰子は白いハンケチを袂(たもと)へ落とした。
「御存じなの」と言いながら、二重瞼(ふたえまぶた)を細目にして、男の顔を見た。三四郎を遠くに置いて、かえって遠くにいるのを気づかいすぎた目つきである。そのくせ眉(まゆ)だけははっきりおちついている。三四郎の舌が上顎(うわあご)へひっついてしまった。
 女はややしばらく三四郎をながめたのち、聞きかねるほどのため息をかすかにもらした。やがて細い手を濃い眉の上に加えて言った。
「我はわが愆(とが)を知る。わが罪は常にわが前にあり」
 聞き取れないくらいな声であった。それを三四郎は明らかに聞き取った。三四郎と美禰子はかようにして別れた。

まさに珠玉の名文。その抑制された慎ましい文調に漂う無限の情感。

例によってベートーヴェンとの対応についてですが、「三四郎」はベートーヴェンの交響曲第4番に対応すると考えます。主要9作品の中では異例ともいうべき、幸福で満ち足りた雰囲気の作風という点で共通項がありますし、それより何より、音楽の雰囲気と小説の雰囲気とがピタリと一致します。もしベートーヴェンの交響曲第4番に標題を付けるとしたら、私には「三四郎」しか思い浮かびません、というのは少し言い過ぎですが、「青春」くらいは付けても良さそうです。いずれにしても、この交響曲の全体に浮遊する独特の幸福な情緒は、作曲当時のベートーヴェンの幸福な恋愛事情が反映されたものであるというのが通説であり、そこに三四郎という作品の持つ青春の儚いまでの幸福な雰囲気と相通ずるものがあるような気がします。

以上、次回は「それから」についてです。

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