ドラティ/ロイヤル・フィルによるベートーヴェン交響曲全集


ベートーヴェン 交響曲全集
 ドラティ/ロイヤル・フィル
 グラモフォン・タワーレコード 1975・76年 PROC-1001
PROC-1001

これは先月、タワーレコードのヴィンテージ・コレクションとして復刻リリースされた、アンタル・ドラティ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるベートーヴェンの交響曲全集です。

このベートーヴェン全集は当初イギリスでのみ販売されてほどなく廃盤となった「幻の全集」とのことで、これまでCD化されたこともなく、今回のタワレコ復刻盤が世界初CD化にして日本初リリースとされています。

1975年にドラティはルドルフ・ケンペの後任としてロイヤル・フィル首席指揮者のポストを得て、78年まで在任していますが、本全集はちょうどその時期に録音されていたもので、75年3月から76年10月という比較的短期間で全9曲を一気にレコーディングしています。

ドラティといえば、その代表的録音たる史上初のハイドン交響曲全集が、ハイドン・イヤーの今年になって超廉価で再発され、私も春先にそれを購入して聴き進めているところで、そこでの演奏内容の素晴らしさに関しては、本ブログにも既に何度か書き込んでいるところです。

今回リリースされたベートーヴェン全集は、オーケストラとレーベルは相違するとはいえ、そのハイドン全集と録音時期的にも近く、あのハイドンでの名演ぶりがベートーヴェンでも再現されるのか!と、心躍る気持ちで購入しました。それでさっそく第1番から順に聴いてみましたが、、、、

結果から言いますと、このベートーヴェン全集での演奏は、かのハイドン全集でのそれと同水準の素晴らしさ、とまではいかなかったというのが率直な感想です。確かに全9曲のうち「英雄」と7番の2演に限るなら、ハイドン全集において聴かれた充実感にかなり近いものが感じられるのですが、他の7演は残念ながら、その水準から計るといささか苦しい感じが否めませんでした。

全曲とも概ね端正にして楷書体風のベートーヴェンで、フレージングの折り目正しさ、アーティキュレーションの確実な刻み込み、地に足の着いた堅実なテンポ感、いずれひとつ取ってもまさに規範的であり、完成度としてみると一分の隙もない立派なベートーヴェンです。

しかしながらその完成度の高さに、演奏自体の表出力が比例しないのが何とも残念で、ロイヤル・フィルのアンサンブル展開はフィルハーモニカ・フンガリカのそれと比べて、弦のフレーズの力感といい音色の濃密感といい今一つ振るわず、前述の「英雄」と7番は別としても、特に「運命」「第9」あたりは、聴いていて全体にこじんまりとした雰囲気の演奏との印象が最後まで拭えませんでした。

音質は可もなく不可もなくで、クリアですが特徴に乏しく、少なくともハイドン全集の方での、デッカによるオンマイク的な音録りがもたらす音色の強度感や響きの迫力は全体的に希薄と言わざるを得ないと感じます。

ただ、以上はあくまでひと通り聴いた時点での私の印象に過ぎませんし、単に私の聴き込みが浅いだけかも知れず、もう少し聴き込んでみるつもりではいますが、少なくとも現時点での率直な感想としては、以上のような感じです。

買うならHMVか、タワーレコードか?


今日は都内のタワーレコード某店に出向いて、新譜CDを何枚か購入してきたんですが、なにやら妙なオマケが付いてきました。

2009-07-04
「タワレコイン」(3千円買うごとに1枚くれます)

単なるダジャレの記念品かと思いきや、集めると色々いいことがあるとのこと(詳しくはこちら)。

それでは、あと5枚集めて3ヶ月有効ダブルポイントパスとでも引き換えるか、とも思いましたが、よく考えると、あまり意味ないような気も、、。タワレコはしょちゅうダブルポイントセールをやってますから。

通常のダブルポイントセールをけっこう頻繁にやるほか、ケータイクーポンをレジで見せるとダブルポイントになるというサービス日もかなりあるので、むしろダブルポイントがデフォルトみたいになってますね。

それとは別に、タワレコのポイントカードは1000ポイントたまるごとに200ポイントが自動加算されたりするので、ポイントが割り合いガンガン貯まっていきます。

現在のタワレコのポイント還元方式は「500円買う毎に20ポイント」で、1ポイント=1円なので還元率は4%。これがダブルポイントだと8%になりますし、今日などはケータイクーポンでトリプルポイントになる日でしたが、これだと還元率は12%になります。

対して、タワレコのライバルともいうべきHMVはというと、現在の還元方式は「100円買う毎に1ポイント(円)」なので、還元率は1%。これでは、ちょっと勝負にならないですね。

というわけで、私はCDショップに出向いてCDを買う時は、もっぱらタワレコで買うようにしています。

さて、ここまで散々タワレコをもち上げておいて恐縮ですが、これがオンラインでのCD購入となると、私はタワレコではなくもっぱらHMVの方のサイトを使っています。というのも、HMVの方が品揃え・価格面において概ねタワレコのオンラインサイトを凌いでいるからです。

価格で言うなら、あのマルチバイ価格というのはかなり安くて重宝します。昨日のワルターの「田園」もHMVのマルチバイで購入したものですし。品揃えという点でも、やはりHMVの方が上で、例えば先日のラッヘンマンの2枚組のアルバムもHMVのサイトで見つけて購入したものですが、タワレコのサイト上ではこのアルバムは見つかりませんね。

そういうわけで、こと新譜の購入に関しては、現在のところCDショップに出向いて買う時はタワレコ、オンラインによるCDの購入に際してはHMV、と使い分けています。

両者の比率は、、だいたい五分五分ですね。これは、というディスクを狙い撃ちで買う時にはオンラインが便利ですが、やはりCDショップで実際に現物を手に取って、何を買おうか迷いながら決めるのも、私にとっては楽しみのひとつなので、容易には止められませんし、、、

以上、余談でした。つまらない話で恐縮です。

余談ついでにもうひとつ、つまらない話を、、

当ブログは現状、私が日々聴いたCDの感想記(或いはコンサートの感想)をその都度掲載するというスタンスで運営しておりますが、今年に入ってからは完全に新譜盤優先で聴いてきています。そのため今年上半期に購入した中古盤の方を全く聞けておらず、それらが未聴の山になっております(ミチョランマ状態、、、)。未聴の山がこれ以上高くなるのもイヤなので、そろそろ手をつけようかと、思っていたんですが、しかし、また今日買ってきたことで、新譜CDの未聴盤がさらに増えてしまいました、、、

# さて、どうしたものか、、、(-_-)>

ワルター/コロンビア響によるベートーヴェン「田園」のグランドスラム盤


ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」
 ワルター/コロンビア交響楽団
 グランドスラム 1958年 GS2035
GS2035

これまで数々の歴史的名盤につき驚異的な高音質での復刻を成し遂げてきたグランドスラム・レーベルから、今度はワルター/コロンビアの「田園」の復刻CDがリリースされたとのことで、購入してみました。

例によってLPレコードからの板起こし盤ですが、制作者のコメントによると、ここで使用されているLPは最初期に販売されたもので、後年販売のLPないしCDと違って音質加工の度合いが少なく、有りのままの響きが収録されている、とのことです。音質に関しては「各奏者の座席位置までもはっきりと聴き取れるほど」とも書かれています。

それで聴いてみたところ、このCDの音質には確かにずば抜けたものを感じました。そして聴き終えて、何というか、ちょっと言葉にならないくらいの感銘を覚えました。このワルター/コロンビアの「田園」は、今さら言うまでもなく歴史的名盤であり、演奏そのものが破格の名演ですが、それをこの音質で聴かされた日には、、、

既存盤との比較という意味で、以下のディスクと音質を比べてみました。

SRCR2007
ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」
 ワルター/コロンビア交響楽団
 ソニー・クラシカル 1958年 SRCR2007

これは本家ソニーによる1996年発売のSBMリマスタリング盤です。

ノイズレベルは全体的にソニー盤よりグランドスラム盤の方が高く、板起こし盤特有の針音も含めて、ソニー盤の方がすっきりとした耳当たりです。

その意味で単純に「聴き易い」のはソニー盤の方ですが、こと響きの実在感、アンサンブルの発するソノリティの生々しい臨場感という観点では、グランドスラム盤の方がソニー盤よりも遙かに上というほかなく、その違いには聴いていて唖然とさせられるほどです。

例えば第1楽章の第2テーマ(1:19)からの低弦の流れなど、両者を比べればグランドスラム盤の方が明らかにリアルでふくよかな音色の彩りに満ちています。この第2テーマの場面で適度に重低音を強調させ表情に奥行きを与えているのはこの演奏の特徴のひとつで、ソニー盤でもそれは認識できるものですが、このグランドスラム盤で聴くと遙かに説得力が感じられ、ここでワルターの言いたかったことさえまざまざと伝わってくるような、そんな気さえします。展開部でメインテーマがクレッシェンドしていく(3:14)あたりの弦楽器の素晴らしい臨場感などもそうで、そのむせ返るような響きの味わいが、ワルターの形成する開放的かつ愉悦的な音楽の情緒をさらに増幅せしめていて、このあたり聴いていて思わず感極まるほどのものでした。

以上の第1楽章に限らず、以後の楽章においても、総じてコロンビア響各パートの音色の発する色彩感がくっきりと、かつ生々しく収録されている点がこのグランドスラム盤の音質の大きな美質で、ソニー盤で聴くと何気なく通り過ぎてしまいそうなところも、グランドスラム盤だと意外な訴求力を獲得していて惹き込まれたり、そのあたりも新鮮な体験でした。

正直このグランドスラム盤は、聴く前は半信半疑で、「各奏者の座席位置までもはっきりと、、」というのも何かオーバーな感じがしましたが、実際聞いてみると、あながちオーバーとも言いきれない気もします。「はっきりと」というのはやや言い過ぎとも思いますが、コンサートホールを彷彿とさせる強い臨場感がよく確保されているのは事実でしょう。逆にそういう感覚がソニー盤の方にそれほど強くないのは、やはり聴き易さを過度に追求するあまりのリマスタリングの過剰による、化粧されたソノリティが、かえって本来の演奏の味わいを削ぎ落しているからではないか、そんな気もしました。

いずれにしても、このグランドスラムによるワルター/コロンビアの「田園」を耳にしたことは、私にとって極めて有意義な体験でした。こと音質面に関しては、ほぼ決定盤と言い切ってもいいのではないでしょうか。

それとは別に興味深かったのが本CDの楽曲解説で、その執筆者は、ベルリオーズです。これはベルリオーズが1830年代に書いたとされるベートーヴェン「田園」に関するエッセイ風の論考が、そのまま掲載されています。

第1楽章について「楽器法は特に描写性に富むものではないが」などと書かれていてビックリしますが、ベルリオーズからすれば確かにそうかも、、という気も。第4楽章は「恐ろしき天変地異、世の終わり」というように捉えていたようですね。

ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカによるハイドンの交響曲「朝」「昼」「晩」


ハイドン 交響曲第6番「朝」、第7番「昼」、第8番「晩」
 ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカ
 デッカ 1972年 4781221
4781221

先般購入したドラティ/フィルハーモニア・フンガリカのハイドン・シンフォニー全集ですが、ザロモン・セットの12曲に続いて、交響曲第6番から第8番の3部作を聴いてみました。

この3部作は周知のように、ハイドンが1761年にハンガリーの大貴族エステルハージ侯の宮廷音楽家に就任した直後に作曲したとされるもので、ハイドンの初期のシンフォニー群の中では抜群の知名度を有するものですが、これら3部作をハイドンが本当に「シンフォニー」として作曲したのかは疑問の余地がかなりあるようで、内容的にはコンチェルト・グロッソに近く、演奏に際しては木管パートを中心にかなり高度なソロ・テクニックが要求されるという側面もあります。

しかし、ここでのドラティとフィルハーモニア・フンガリカの演奏においては、おそらくこれら3部作を、確信をもって「シンフォニー」として表現したような演奏となっていて、弦パートを中心に漲るハーモニーの厚みの豊かさといい、鮮やかな立体感といい、聴いていて実に気持のいい演奏です。木管の各ソロのフレージングが多少ボッテリした感じではあるとしても、ヴァイオリンやチェロは合奏・ソロを問わず素晴らしい鳴りっぷりで胸がすく思いですし、提示部・展開部ともに反復指定が完全に守られている点も好感的ですね。

逆に、このドラティ盤において相対的に不足気味なのは、これら3部作のコンチェルト・グロッソとしての醍醐味ということになるかと思いますが、そちらの醍醐味に関しては他のCDでも聴けるため、私にはこのドラティ盤での確信的なシンフォニー・スタイルの演奏の方がむしろ貴重と思えます。

ちなみに、これら3部作のコンチェルト・グロッソとしての醍醐味が良く伺われる録音としては、例えば以下のマリナー盤が挙げられるかと思います。

PHCP-9237
ハイドン 交響曲第6番「朝」、第7番「昼」、第8番「晩」
 マリナー/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
 フィリップス 1980年 PHCP-9237

モダン楽器の名手を揃えた室内オーケストラによる、各種木管ソロを含めた器楽的な表現力の冴えが楽しめる一枚で、シンフォニックなドラティ盤の演奏とはかなりスタイルが異なりますが、このスタイルの中では傾聴に値する名演奏だと思います。ただ、全曲ともリピートは提示部のみで、ドラティ盤で行われていた展開部反復は省略されています。

チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルによるラヴェル「ボレロ」ほか


ラヴェル ボレロ&ムソルグスキー(ラヴェル編) 組曲「展覧会の絵」
 チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル 
 EMIクラシックス 1993年ライヴ(展覧会の絵)、83年ライヴ(ボレロ) TOCE-9589
TOCE-9589

昨日掲載したカンブルラン/バーデンバーデン・フライブルクSWR響のラヴェル・アルバムについての感想の中で、その「ボレロ」のタイムに驚きつつ、「チェリビダッケなどは多分もっと遅かったはず」とも書きました。

そこで、そのチェリビダッケの演奏によるボレロでは実際どうだったか、CDを確認してみました。そうしたら、やはりというか、18分強というタイム。カンブルランの17分弱よりさらに1分以上長いものでした。

このチェリビダッケ盤は購入してからもう10年は経つものですが、最初に聴いたとき、確かに異色を極めた、驚異的な演奏内容であることは認めつつも、ラヴェルの演奏としては何かしらが違うような違和感も同時に伺われるものでした。

今回ひさしぶりに聴き直してみても、やはり同様の印象を感じましたが、カンブルラン盤の演奏を聴いた直後であったためか、その違和感のみなもとがうっすらと判ったような気がしました。

カンブルランのボレロと、このチェリビダッケのボレロ、遅めのテンポという点で表見的には共通しますが、両指揮者においては作品に対する演奏のスタンスが根本的に異なるように思います。

カンブルランの方は、同じフランスの作曲家ラヴェルの音楽への強い共感をベースに、まるで現代音楽を扱うような精緻さと切れ味の鋭さで表現された、客観的なスタイルの演奏です。

対してチェリビダッケの方はというと、その演奏にはカンブルランほどにはラヴェルへの強い共感は伺われず、むしろ「チェリビダッケ流のボレロ」と言い得るような、主観性の強さを強く匂わせる表現内容となっていて、かつその主観性がラヴェルの音楽のイメージを上回るほど強いため、その絶大な音楽のスケール感、ないしハーモニーの極度に拡張されたような美感などに惹き込まれつつも、ラヴェル本来の音楽のイメージに照らすと聴いていて何か違和感も残る、そんなところがあるように思います。

チェリビダッケのボレロの冒頭、客席のざわめきに紛れ込むかのように密やかに始まる小太鼓のリズム打音。この超ピアニッシモをスコア冒頭のppと規定して始まる、長大なタイムスケールのクレッシェンドに耳を傾けていると、その過程におけるp、mp、f、mf、ffといったデュナーミクを、チェリビダッケが必ずしも精度良く音化していないことに気付かされます。

例えばスコア上初めてffとなる(15:47)からの主題展開など、このチェリビダッケの演奏では、そのだいぶ前からffの域に達しているため、聴いていて「ここからff」というような感触は希薄で、むしろ「気が付いたらffだった」というようなニュアンスでしょうか。こういうニュアンスは他部においても伺われ、その型破りなタイムスケールと相まって、「規格外の演奏」であるというイメージが増幅させられ、何かとんでもないものを耳にしているような、言い知れぬ戦慄が聴いていて湧き起るほどです。

こういう「チェリビダッケの魔術」は確かに凄いものですが、カンブルランの客観的なボレロの持つ凄味とは明らかに別物、というより対極で、それでいて感銘の度合いは甲乙付け難い、両盤の演奏を聴き比べることによって、そういう演奏行為の多様性の妙を改めて印象づけられたような気がします。

カンブルラン/バーデンバーデン・フライブルクSWR響によるラヴェル「ボレロ」ほか


ラヴェル ボレロ、高雅で感傷的なワルツ、ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ
&ムソルグスキー(ラヴェル編) 組曲「展覧会の絵」
 カンブルラン/バーデンバーデン・フライブルクSWR響
 GLOR 2001〜2003年 GC08061
GC08061

先月リリースされた、シルヴァン・カンブルランのラヴェル・アルバムを聴いてみました。

カンブルランというと今年の4月に東京芸術劇場で読響を指揮してのオール・フランス・プロのコンサートを聴き、この指揮者はただ者ではない!、と痛感させられた記憶が新しいところですが、それからほどなくCDショップで本ディスクが売られているのを見つけて、購入したものです。

収録曲はラヴェルの「ボレロ」、「高雅で感傷的なワルツ」、オラフ・ベーアのバリトン歌唱による「ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ」、ムソルグスキー=ラヴェル編の組曲「展覧会の絵」。なお本CDにはボーナスDVDも付属していますが、これはGLORレーベルのプロモーション用DVDのようで、本CDの内容に関連するものではありませんでした。

その演奏ですが、最初のボレロに度肝を抜かされました。そのアンサンブル展開における目を見張るほどの緻密ぶり、そして音楽の推移に伴いハーモニーが描きだす色彩的なダイナミクスの、恐るべき克明感。

実際、このカンブルランのボレロは、全体の演奏タイムが17分弱なのですが、平均的には15分、早いテンポの演奏だと13分台も珍しくないこのボレロにおいて、このタイムは明らかに異質というべきものです。

とはいえ、例えばチェリビダッケなどは多分もっと遅かったはずで、これよりタイムの長い演奏というのも無いことは無いのですが、しかしこのカンブルランの演奏を聴いて私が最も驚いたのは、タイム自体というより、聴いていて造型的に異端という印象をさほど受けず、むしろオーソドックスだとさえ「錯覚」してしまったことです。なにしろ、このボレロを聴き終えて、タイムを確認して17分弱だと知ってビックリしたくらいですから。

思うに、このカンブルランの演奏においてのスロー・テンポ設定が、明らかに音色のディテールを追求するためのものであることは聴いていて明らかと感じましたが、そのバランスが練り切られているため、聴いていて意識がそのテンポ的な奇矯感の方に向かず、むしろ瞬間瞬間のハーモニーのめくるめく音響美と、ひとコマひとコマの音色推移の鮮烈性の方にこよなく集中させられてしまう、そんな雰囲気があり、そのあたりのカンブルランの魔術的ともいうべき音楽の進め方は、端的に驚くべきものというより他ないと思います。

このボレロと比べると、「高雅で感傷的なワルツ」以下の3曲はテンポ的にはずっとオーソドックスで、その意味ではボレロでの衝撃感こそ控え目ですが、いずれの演奏においても、「音楽の表情が強くて演奏の雰囲気がどぎついほどリアル」という特徴が一貫して聴かれます。

このあたりの特徴に関しては、カンブルランがそういう方向に意識的に演奏を導いていることが大きな要因と考えられ、例えば「展覧会の絵」の6曲めの(0:41)からのシュムイレのフレージングなど、普通はトランペットがタ・タタタとリズムを刻むところ、カンブルランはタン・タタタというように前打音のリズムをやや強調させていて、しかもそれを早いテンポで吹かせているので、かなりコミカルなフレージングの流れが形成されていて、聴いていて思わず吹き出しそうになるほどです。

以上、このカンブルランのラヴェル・アルバムは、普通のラヴェルの演奏とは一味もふた味も違う、まさに「カンブルランのラヴェル」が味わえる一枚で、この前のコンサートの時以上に、やはりこの指揮者はただ者ではなかった!、と再度痛感させられるものでした。

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